本日のテーマ

感謝の気持ち

 

 

私たちは、新しいものや珍しいものに出会うと、感動したり、ありがたく感じたりします。

 

しかし、不思議なもので、時間が経つにつれて、その感動は少しずつ薄れていきます。
最初は特別に感じていたことも、何度も繰り返されるうちに、いつの間にか「当たり前」のように感じてしまうのです。

 

その一つが、感謝の気持ちではないでしょうか。

 

人から親切にしてもらったとき、最初は心から「ありがたい」と思います。
しかし、その善意が何度も続くと、知らず知らずのうちに、それを当然のことのように受け取ってしまうことがあります。

 

ある慈善家が、年末になると生活に困っている人たちへ物資を寄付していたそうです。

 

最初のうちは、受け取った人たちからたくさんのお礼状が届きました。
ところが、その寄付を毎年続けているうちに、受け取る側の気持ちに変化が生まれてきました。

 

「今年も、そろそろ届くころだ」
「今年は少ない」
「たいしたものが入っていない」

 

このように、ありがたく受け取っていたはずのものが、いつの間にか不満の対象になってしまったそうです。

 

人は、同じことが続くと慣れてしまいます。
慣れること自体は悪いことではありません。
しかし、慣れが過ぎると、相手の善意まで見えなくなってしまうことがあります。

 

本当は、そこには人の思いやりがあります。
時間を使い、心を配り、相手のために何かをしてくれた人がいます。

 

それを忘れたとき、感謝は薄れてしまいます。

 

人の善意は、いつも新鮮な気持ちで受け取りたいものです。
たとえ同じことを何度してもらったとしても、そこに込められた思いは、決して当たり前ではありません。

 

「してもらって当然」ではなく、
「今日もありがたい」

そう思える心を持ち続けたいものです。

 

感謝の気持ちは、気をつけていないと薄れていきます。
だからこそ、私たちは意識して、ありがたさを感じ直すことが大切なのだと思います。

 

W・テンプルの言葉に、次のようなものがあります。

「生まれる時に泣き声をあげ、不平を言いながら生活し、失望して死んで行くのは人間だけである」

 

人は、不平を言おうと思えば、いくらでも言うことができます。
しかし、感謝しようと思えば、日々の中には感謝できることもたくさんあります。

 

大切なのは、どちらに心を向けるかです。

 

人の善意を当たり前にしない。
今ある恵みを当然と思わない。
そして、いただいた思いやりを、いつも新鮮な気持ちで受け止める。

 

感謝の気持ちを忘れない人でありたいものです。

 

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本日のテーマ

愛着障害

 

 

最近、子どもへの虐待に関するニュースを耳にすることがあります。

 

親が、我が子に暴力をふるってしまう。
十分な食事を与えず、命を奪ってしまう。
本来なら、子どもを守るはずの親が、子どもを傷つけてしまう。

 

このようなニュースに触れるたびに、胸が痛みます。
そして、考えさせられます。

 

なぜ、親が我が子にそのようなことをしてしまうのでしょうか。
そこには、愛情がないのでしょうか。
それとも、愛し方を知らないまま親になってしまったのでしょうか。

 

ある調査では、虐待をしてしまった親自身が、過去に親から虐待を受けていたケースが少なくないといわれています。

 

もちろん、虐待を受けた人が必ず虐待をするということではありません。
しかし、子どものころに受けた心の傷や、怒り、悲しみ、不安が、十分に癒やされないまま大人になると、親になったときに、その苦しみが別の形で表れてしまうことがあります。

 

つまり、受けた痛みが、知らず知らずのうちに次の世代へと繰り返されてしまうことがあるのです。

 

これは、とても悲しいことです。
同時に、私たちが深く考えなければならない問題でもあります。

 

【愛着障害】簡単に言えば、幼いころに安心できる養育者との深い結びつきが十分につくられず、人との関係や感情の安定に影響が出る状態のことです。

 

「愛着障害」について書かれている書籍に、『愛とは何か』があります。
そこには、次のような内容が紹介されています。

 

愛着障害について

両親が責任や関心を分け合い、自分を愛してくれている。
子どもがそう感じられる、幸福で平和な家庭で育つと、その子どもは成長したときに、社会の中で適切なリーダーシップを持ち、安定した人間関係を築きやすくなる。

 

一方で、いつも不安の中で生きている子どもは、反応的に愛着障害を起こし、愛着行動を示さなくなることがある。

 

このような障害は、次のような場合に起こりやすい。

 

  1. 親が子どもをけなしたり、拒否したり、虐待したりする。
  2. 子育てが途切れ、病院や施設に預けられる。
  3. 親が子どもに「もう愛さないぞ」と脅す。
  4. 親が「家庭を見捨てるぞ」と脅す。
  5. 一方の親が、他方の親を「見捨てるぞ」と脅す。
  6. 親の病気や不調を「子どものせいで起きた」などと言い、子どもに罪悪感を持たせる。

 

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このような環境で育つと、子どもの良心が過剰に働き、罪悪感に苦しむことがある。
また、子どもの中に怒りが生まれても、その怒りを表に出すことを禁じられるため、無意識の中に恨みが残ることがある。

 

そして大人になったとき、その怒りや恨みが、親ではなく、夫や妻、子どもなど、身近な愛着対象に向かってしまうことがある。

 

この内容を読むと、心に受けた傷は、簡単には消えないのだと感じます。

 

子どものころに受けた言葉。
拒絶された記憶。
愛されていないと感じた寂しさ。
自分が悪いのだと思い込まされた罪悪感。

 

そうしたものは、心の奥に残り、その後の人生に影響を与えてしまうことがあります。

 

そして、その傷に本人が気づかないまま親になると、かつて自分が受けた苦しみを、今度は自分の子どもに向けてしまうこともあるのです。

 

だからこそ、大切なのは、まず知ることだと思います。

 

子どもにとって、安心して愛されることがどれほど大切なのか。
親の言葉や態度が、子どもの心にどれほど深く残るのか。
怒りや不安、罪悪感が、人の人生にどれほど影響を及ぼすのか。

 

このことを知るだけでも、子どもへの接し方は変わってくるのではないでしょうか。

 

人は、愛されて育つことで、人を愛する力を学びます。
大切にされることで、人を大切にする心を育てます。
理解されることで、人を理解しようとする力を身につけます。

 

もちろん、完璧な親などいません。
誰でも感情的になることがあります。
思うようにいかず、苦しくなることもあります。

 

しかし、子どもにとって大切なのは、親が完璧であることではありません。
安心できること。
受け止めてもらえること。
存在を否定されないこと。
そして、愛されていると感じられることです。

 

愛とは、ただ「好きだ」と思うことだけではないのだと思います。
相手を理解しようとすること。
相手の痛みに気づこうとすること。
そして、真心をもって接すること。

 

それが、愛の土台ではないでしょうか。

 

子どもに向けられた愛情は、その子の心の中で生き続けます。
反対に、傷つけられた記憶もまた、心の奥に残ってしまいます。

だからこそ、私たちは言葉を大切にしなければなりません。
態度を大切にしなければなりません。
そして、人と接するときには、相手の心に何を残しているのかを考えなければならないのだと思います。

 

パスカルの言葉に、次のようなものがあります。

「愛は精神を与える。そして精神によってみずからをささえる」

 

 

本日のテーマ

生き物を大切に

 

 

地球上には、人間を含め、数え切れないほどの生命が存在しています。

 

動物、植物、虫、微生物。
その一つひとつが、自然の中で役割を持ち、互いに影響し合いながら生きています。

 

私たちはよく、「食物連鎖」という言葉を耳にします。
これは、ただ食べる、食べられるという関係だけではありません。
自然界の命が、互いにつながり、支え合っているということでもあります。

 

たとえば、ある一つの種が絶滅に瀕すれば、その影響は別の生き物にも及びます。
また、天敵がいなくなった生き物が異常に増えれば、今度は別の生態系に影響を与えてしまいます。

 

そう考えると、自然の中に、まったく無駄な生き物などいないのだと思います。

 

すべての命には意味がある。
そして、すべての命はどこかでつながっている。

 

だからこそ、私たちは同じ地球に生きる仲間として、生き物を大切にする心を持たなければならないのではないでしょうか。

 

昔の教科書に、「生き物をあわれむ」というお話があります。
明治三十七年から発行された『尋常小学校修身書』に載っていた話です。

 

少しご紹介します。

 

生き物をあわれむ――孫兵衛

昔、木曽山中に、孫兵衛という馬方がいました。

あるとき、一人の僧が、その馬に乗りました。
道の悪いところにかかると、そのたびに孫兵衛は、馬の荷に肩を入れて、

「おっと、親方、あぶない、あぶない」

と言って、馬を助けてやりました。

僧は不思議に思い、そのわけを尋ねました。

すると孫兵衛は、こう答えました。

「私ども親子四人は、この馬のおかげで暮らしております。ですから、馬とは思わず、親方と思っていたわっているのでございます」

約束した場所へ着くと、僧は賃銭を払いました。
孫兵衛は、そのお金でまず餅を買い、馬に食べさせました。

そして自分の家の前に着くと、孫兵衛の妻と子どもたちは、馬のいななきを聞きつけて迎えに出てきました。
そして、すぐに馬へまぐさをやりました。

僧はその様子を見て、孫兵衛の家族みんなの心がけのよさに、たいそう感心しました。

 

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この話を読むと、生き物を大切にするとは、ただ優しくすることだけではないのだと感じます。

 

孫兵衛にとって、馬はただの働き手ではありませんでした。
家族の暮らしを支えてくれる大切な存在でした。
だからこそ、「馬」ではなく「親方」と呼び、心からいたわっていたのです。

 

生き物にも、こちらの心は伝わるのだと思います。

 

動物にも感情があります。
寂しいときもあるでしょう。
つらいときもあるでしょう。
痛みも感じます。
空腹も感じます。

 

言葉を話せないだけで、生き物にも命があり、心があります。

 

人間は、つい自分たちを中心に物事を考えてしまいます。
しかし、この地球は人間だけのものではありません。

 

私たちは、多くの命とともに生きています。
そのことを忘れてはいけないと思います。

 

生き物を大切にする心は、自然を大切にする心につながります。
自然を大切にする心は、命を大切にする心につながります。
そして、命を大切にする心は、人としてのやさしさを育ててくれるのではないでしょうか。

 

ワーズワースの言葉に、次のようなものがあります。

「自然は、それを愛するものの心を裏切ることはけっしてない」

 

自然を愛し、生き物を大切にする人の心は、きっと自然からも教えられ、育てられていくのだと思います。

 

私たちは、同じ地球に生きる命の仲間です。
だからこそ、身近な生き物にも、感謝と愛情を持って接していきたいものです。

 

参考文献:
『修身の教科書』小池松治編 サンマーク出版