本日のテーマ

【老い方】

 

 

人は誰もが例外なく、日々老いて行きます。
でも、自分のことはあまり分からないようです。
毎日、自分を鏡で見ているので、少しずつの変化には気づかないからかもしれません。

 

よくテレビで昔のタレントが出てきた姿を見て、「まぁ~、あの人老けた……」と言っている人がいますが、じつは、自分も久しぶりに会った人からはそう思われているかもしれませんね。

 

“光陰矢の如し(こういんやのごとし)”と言うように時の流れはあっという間に流れ去って行きます。
外見だけでなく、体全体の細胞が老いているのです。

 

以前、出来ていたことも徐々に出来なくなって行きます。
目の視力、聴覚、皮膚、骨、歯、内臓の機能が衰え、だんだん自由が利かなくなってきます。

悲しく寂しいことに、生きている以上、これは避けられません。

 

わたしは、老いの準備をしています。

どんな年寄りになりたいかということをよく考えます。老いて行くことをネガティブに捉えるのではなく、年相応に、その年齢にしか出来ない事があると思うからです。

 

老いとともに外見や体の機能は衰えを見せてくるでしょう。
これは仕方のないこと。
でも逆に、心は、どんどん成長させられることができるはずです。
だから、わたしは年を取るのではなく、
「一年一年、人生の時間の重みを重ねる年輪」
と考えています。
着ている衣は古くなりますが、中身はいつでも磨きをかけて生きて行きたいのです。

 

「今までの人生で一番よかった時代は、いつですか?」
と聞かれたことがあります。
その時の答えは、いくら年をとっても、「今です!」と答えるでしょう。
体の自由が利くときに、今しかできないことをやっておきたいです。
ですから体を鍛えることをしています。
今だけの健康ではなく、未来の自分の健康のために……。

 

あるお年寄りの話…

「若い時は体も健康で、なんでもできた。仕事もバリバリやったもんだよ。今のような時期が来るなどとは想像もつかなかった。今の若者も必ずいつか年寄りになる。みんな順番なんだよ。だから今しかできないことをしておくがいい。そして年寄りになった時、孤独にならないよう家族や人を大切にしておきなさい…。あっ、それから年寄りは若いあなた達の優しい言葉が何よりの薬になるんだよ……。」

 

 

■スタンダールの言葉…
「精神のいちばん美しい特権の一つは、老いて尊敬されることである」

 

 

本日のテーマ

【九死に一生を得た人たちから学ぶこと】

 

 

以前に調べたことですが、全国の講演会に参加いただいた方々を対象に無差別で、こんな質問をしました。

 

「あなたは何才まで生きられると思いますか?」

 

14才~83才までの男女に対し直接聞いてみました。

すると、

 “たぶん”80才まで生きられる。
 “きっと”90才まで生きられる。
 “できれば”80代までは生きたい。

というように、
 たぶん…
 きっと…
 できれば…

からはじまりました。

当然かもしれません。誰も未来は分からず断言などできないからです。

 

しかし、これらの言葉を使わずにこの質問に答える人たちがいました。
「あなたは何才まで生きられると思いますか?」

 

 分かりませんが残された人生を大切にしたい…
 いくつまで生きようと生かされている人生だから命ある限り生きます…
 命ある限り自分の使命を果たしたい…

 

このように前者と後者の人たちでは違いがありました。
後者の人たちは皆、大病や事故、戦争などで“九死に一生を得た人たち”だったのです。

 

九死に一生を得るとは、

ほとんど助かる見込みのない危険な状態から、かろうじて助かること。

 

というように一度死の間際まで行った人たちでした。

 

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その経験を持っている人たちは、皆さん口々に、

人生を大切にしたい”

という思いがある言葉を使っていました。

 

 残された命…
 生きている時間を大切にしたい…

 

生きていることに感謝しているようでした。

 

人間は、誰もが例外なくいつかは死を迎えます。
このことを本当に理解している人、していない人の“人生観”は違ってくるのかもしれません。

 

人生とは、言い換えれば

「生きていられる時間」

です。
その限りある時間をどう使うかはその人が決めることです。
九死に一生を得た人は、残された時間を誰よりも知っているのかも知れません。

 

■ボスハルトの言葉…

「死のない生とは何か? 死がなければ、生を重んじる者はいないだろう」

 

 

わたしも九死に一生を得ていますので、やはりこう思えるのです。
「残された人生、死を迎えるまでの時間で価値ある生き方をしたい」

 

いつかは誰もが死を迎えます。
でも、多くの人は死を理屈(頭)では理解しているようですが、現実に理解してはいないかもしれません。
わたしは、「自分もいつかは死ぬ」ということを理解した時から人生が変わりはじめました。

 

それは、

「今日という日が二度と来ないことに気づきはじめたから…」

と、強く思うからなのでしょう。

 

 

本日のテーマ

【快楽に負けない生き方

~快楽は神が与えた人生の試験~】

 

 

快楽の度が過ぎて、身を滅ぼした人を何人も見てきました。
わたし自身も過去に快楽にのめり込みそうになり苦しんだことがあります。

 

心地よく楽しいことは、人により若干異なるかもしれませんが、
 お酒…

 美食、過食…
 タバコ…
 SEX…
 賭け事…

 ゲーム…

また別には犯罪になりますが、覚せい剤やドラッグ、シンナーなどに手を出す人もいます。

 

ワインの瓶

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どれもが度を過ぎでしまえば、毒にもなりえるもので、中毒や依存症に陥り、それを続けることで健康や心を病ませ、人としての信用を失い身を滅ぼすことになります。

 

人間は弱い生きものです。
 人生につまずき快楽に逃げてしまう人…
 仕事も満足にせず快楽にのめり込む人…

 

そのようにして快楽の地獄にはまり、抜け出せず、人生を棒に振ってしまうのです。

 

わたしも若い頃は快楽を求めていました。
度が過ぎたこともあり、もう少しで人生を棒に振ることになるところまで無茶をしていました。

 

今考えてみると、快楽というものは、肉体的、精神的に気持よく心地よいものだから誰もが求めるのですが、そこには節度が必要だと理解できます。

 

その節度を守るために、ある時ふとこんなことを考えてみました。

 なぜ人間は快楽を求めるのか?

 なぜ人間は快楽に弱いのか?

 

考えていくうちに、こう思えてきたのです。

「人生の試験」

 

その意味は、

「神が人間に試練を与え試すために、わざと快楽を求めるように人間をつくった」

のではないかと……。

 

そして神は試験するのです。

 快楽を適度に抑えられる人間には、快楽を楽しみとして与える…

しかし、
 快楽の度を越えた人間には、罰として不幸を与える…

 

だからわたしは快楽を、
「神からの与えられた一つの試験」
と考えるようにしています。


「度が過ぎると必ず天罰が下る」
そう考えて、快楽を抑制するようにしてきました。

 


■パスカルの言葉…
「人間にとって苦労に負けることは恥ではない。快楽に負けることこそが恥である」