本日のテーマ

【大自然の法則】

 

 

わたしの人生の指針は、「大自然の法則」です。
これは、「原因と結果の法則」でもあると思っています。

 

指針とは…
方針。手引き。

 

たとえば、仕事でいえば、“成功者”です。
成功することは、いくら自分が思って頑張っても、なかなか実現できないことがあります。
その理由は、“成功する条件が満たされていなかった”とも言えます。

 

例えば、土に花の種を蒔いたとします。
種まき → 水をやる → 芽が出る → 花が咲く

 

このような順番で花が咲いていきます。
しかし、これらの条件が一つでも満たされなければ花は咲かないでしょう。
水がない、光が足りない、土壌の栄養がない等…

 

大自然の法則とは、条件が揃えば必ず結果が出るということです。
その反対は、条件が揃っていなければどんなに努力しても花は咲かないということになります。

 

わたしに“大自然の法則”を教えてくれた、二人の人物をご紹介しましょう。
■二宮尊徳(にのみや そんとく)1787~1856

 

ダイアグラム

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二宮尊徳の書かれた「天地経文」(大自然の教え)
「この世の真理、つまり誠の道は自然から学ぶもので、教科書や、記録、師匠がいなくても体験によって得る物である。ただ本を読んで理屈をならべることは排して、天地自然を学ぶ。」

という意味が書かれています。

 

もう少し内容に触れてみましょう。
人間が書いたものは、一つとして完全なものはない。たとえ釈迦や孔子といえども人間だから、書いた人の癖が出てしまう。天地自然に当てはめてみて、間違いないものを採用し学ぶ…。」

という内容を書きながら、尊徳は自然が全ての道理を教えているとくり返しています。

 

また、二宮尊徳より77年後に生まれたイギリスの謎の哲学者といわれているジェームズ・アレンも自然のことに触れています。
■ジェームズ・アレン(1864~1912)

 

スーツを着たひげの男性の白黒写真

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著書「原因と結果の法則」は世界で一世紀にわたるロングセラーとなりました。

「私たちは、文字どおり、自分が考えているとおりの人生を生きているのです。なかでも人格は、私たちがめぐらせているあらゆる思いの、完璧な総和です。思いという種から芽生えます。これもまた、その種がなければあらわれることがありません。意識的に行うことでも、無意識のうちに行うことでも、ひとつとして例外はありません。行いは思いの花であり、喜びや悲しみはその結果です。そうやって私たち人間は、自分自身が育てる、甘い、あるいは苦しい果物を収穫しつづけるのです。」

 

二人はこんなことも言っています。

■二宮尊徳の言葉…
「小さな菜虫など探しても見つからないが、菜をつくれば必ず生ずる。小さなボウフラ、も、おけに水を溜めれば自然と生ずる。いまここにハエを集めようとしても決して集まらない。つかまえてきて放しても飛び去ってしまう。ところが飯粒を置いておけば、集めなくても集まるのだ。よくこの道をわきまえて実地実行を励むがよい。」


■ジェームズ・アレンの言葉…
「よい思いや行いはけっして悪い結果を発生させませんし、悪い思いや行いはけっして良い結果を発生させません。これは、トウモロコシからトウモロコシ以外のものはけっして成長しないことと同じくらい明らかです。この法則が自然界のなかで機能していることは、誰でもが知っています。でも、それが個人の人生のなかでもまったく同じように機能しているという事実を認識している人は、とても少数です。」

 

大自然の法則は、原因があって結果が出る。
このことは、ビジネス、人間関係、子育ても、すべてにこの法則が当てはまるのでないでしょうか。

 


参考文献:「世界に誇る日本の道徳力」著者石川佐智子
     「原因と結果の法則」著者ジェームズ・アレン   

 

 

本日のテーマ

価値あるモノと無いモノを考える】

 

 

価値あるモノと無いモノとはどのようにして決まるのでしょう?

 

趣味の世界では、その趣味をもつ人たちでの間で共通する価値観があります。
たとえば、おもちゃのコレクターや切手、ゴルフクラブなどそれなりに価値の判断があります。

しかし、このような趣味を持たない人にとって、それはまったく価値がないモノになります。

 

身につけているモノでも同じです。

ブランド品を価値あるモノとする人は、ブランドに拘らない人には価値あるモノにはなりません。宝石なども同様です。
では、価値とは好むと好まないで決まるのでしょうか? 
もっと深く掘り下げ、本当に価値のあるモノを考えてみるとどうでしょう。

 

わたしの場合、突き詰めていくとたどり着くところは、“生きるために必要なモノ”になりました。

最も優先する価値とは「必要なモノ」であって、欲しいモノ、好むモノではないはずだからです。

 

価値あるモノを追究していくと、最終的には、“必ず必要なモノ”になります。

必ず必要なモノこそが本当の価値あるモノに値すると、わたしは考えます。
1、大自然(空気・水・土・緑のような大自然)
2、命
3、健康
4、豊かな心
5、人
6、衣食住(仕事・お金)
7、平和

 

 

これらのことが、現代では軽視され、粗末に扱われているようです。
お金があれば何でもできると言わんばかりに、お金儲けのためなら自然環境や人の健康や心はどうでもいい。そして、お金を儲ける人が勝ち組や成功者などと評されています。
その人たちの“価値”は「豪華、ステータス、名誉、勝利、快楽」のようです。

人間で言えば、 

 どんな人が、どんな価値を生み出すのか? …
 どんな人生が、価値ある人生なのか?

 

オーストリアの精神科医・心理学者ヴィクトール・エミール・フランクルはこんなことを言っていますが、わたしは、自身の人生を価値ある人生にするために、この言葉参考にしています。


「幸福は人生の意味の追求の結果から生まれる」

 

価値有るモノとは何かを、追求するために……。

 

 

本日のテーマ

【死にもの狂い】

 

 

わたしに、この質問を投げかけたのは、もう35年も前になりますが、取材で訪れたある知的障がい者の施設の理事長でした。

 

「あなたは、死にもの狂いで、何かに取り組んだことがありますか?」


投げかけられた質問に思わず考え込んでしまいました。
「はたして今までの人生で“死にもの狂い”という表現に当てはまることをしてきただろうか?」

よくよく考えましたが…

過去にどんなに努力したことがあっても、“死にもの狂い”に当てはまることは記憶にありませんでした。

 

この質問の答えは、その時点では理事長には言えませんでした。

後になり質問の意味を自分なりに考えたのですが、どうしても答えは出ません。
そこで、何か“死にもの狂いで出来ること”をやってみようと思い立ちます。

何をしたらよいか、いろいろ考えましたが、先ずはすぐに結果がでることを考えました。
それは、日頃からしていたジョギングです。

ジョギングをはじめたキッカケは、若いころに交通事故で左足に大ケガをしてリハビリが必要になったからでした。


当時、2キロのダンベルを両手に持ちながら週に一度、8kmほど走っていたので、今回はダンベルを持たず身軽に走れば、かなりの距離は走れるのではないか、そしてフルマラソン(42,195km)も走れると思ったのです。

 

そこで、「よし!倒れるまで走ってみよう」と決めました。
だいぶ走り込んだので、もう完全に左足は良くなったと自信がありました。

 

家族の立ち会いで、その挑戦ははじまりました。
一周2,2kmのコースを走り出しました。
ダンベルがないため、軽快に足が運びます。
いつもより余裕で回数を重ねて行きます。

しかし、6周目に入った12kmころより、左足のケガの箇所である脹脛(ふくらはぎ)に、かすかな痛みを感じるようになります。
だんだんその痛みは強くなり、筋肉の疲労と共に左足の動きが鈍くなってきました。

「おかしい、こんなはずではい!」

やっとのことで7周目を走り終えた時には、左足を引きずりながら走っていました。
8周目(17キロ)を過ぎたところで、左足の自由が利かず、力尽き倒れてしまいました。

 

男, 女性, 乗る, 板 が含まれている画像

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この瞬間、「まさか!そんなはずはない…」という思いに駆られ、とてもショックでした。

 このショックは、自分が出来ると思いこんでいた事が出来ない現実を見せつけられたことから起こったのです。

その時です、あの理事長が言った“死にもの狂い”が脳裏に過ります。

「そうか、このことを言っていたんだ!」
と気づいた瞬間でもありました。

 

 死にもの狂いになった時、本当の自分が見えてくる…
 思い込みの自分ではなく、本当の姿が現れる…

 

そしてこんなことに気づくのでした。

 治ったと思っていた左足には、まだ後遺症があった…
 あさはかな自分の考え…
 どこかでうぬぼれていた…

 自分のことを知っているようで知らなかった…

 

この経験から慎重に考えるようになりました。
・やってみなければ分からない。
・やってもいないことを軽々しく出来るとは言わない。
・経験のないことは甘く見ない。

 

人間は、極限まで行ったときに、本来の自分が現れてくるのです。

 

■アウグスチヌスの言葉…
「わが実力の不十分なることを知ることこそ、わが実力の充実なれ」