本日のテーマ
【自殺をしてはいけない理由】
自殺の原因は、様々です。
病気…
借金…
恋愛…
人間関係…
家族…
いじめ…
仕事…
暴力…
など、それぞれが何かの理由によって苦しみとなり、耐えきれなく自殺を選択してきたのです。
自殺を図る人は、
自分の悩みは解決できないと考える…
自殺以外に道はないと思い込む…
自殺者が、弱かったなど言うつもりなどさらさらありません。
それは、誰でもが一度や二度は自殺を考えたことがあるからです。
わたしも人生で2回自殺考えたことがあり、その内の一つは本気でした。
十代のころ、失恋、そして40台で事業に失敗したときでした。
その頃、苦しく、辛い日々が続き、自分でもどうすることもできず、死んでしまう方が楽に思えたのです。
自殺者たちの本当の目的は、自殺ではなかったはずです。
本当は、抱えている問題を解決することを望んでいたはずです。
わたしは、あの時を振り返り考えました。
「なぜ自殺を踏み止まることができたのだろう?」
今になって分かるのですが、人の支えがあったからです。
その時点では、一人で生きられる、一人で生きなければならない、一人で解決しなければいけないと勝手に決めつけていました。
今、わたしは自らの体験で、「人は人によって自殺は止められる!自殺を未然に防ぐことができる!」と強く思います。
わたしは、苦しみの渦中にあるときには気づかなかったのですが、後になってハッキリ分かったことがあります。
それは、“苦しみにも意味がある”ということでした。
それは、その苦しみを通り越さないと分からないでしょう。
これは、スポーツをやり始めた頃によくあることですが、基礎トレーニングで、なぜ最初に基礎トレーニングが必要なのか?
そのときには分からないのですが、それを通り越して、相手との競技をしたときに分かるのです。
わたしは思います。
「“苦しみには意味がある”そして“人生にも意味がある”苦しみは通過点であって着地点ではない」と!
死ぬことを踏み止まった人もいれば、死んでしまった人もいます。
それは単なる考え方や価値観の違いもあったかもしれません。
しかし、自殺に踏み込んだ理由の一つに、こんなことも挙げられるのではないでしょうか。
それは死んだ後の捉え方で、死後の世界をどう考えるかということです。
自殺行為は、今の苦しみから逃れたい、楽になりたい、という思いからくるのではないでしょうか?
では、死んだ後は?
「無になる」
「人生をリセットできる」
「すぐに生まれ変われる」
もしこのような考え方であれば、死の道を選ぶこともあるでしょう。
しかし、本当にこれは事実なのか?
死後の世界は誰にも分かりません。
いろいろ語る人がいますが、立証されてないことが事実です。
大切なのは、「何を信じるか?」です。
だから、わたしは死後のことは考えません。
立証されていないのですから。
だから、生きている時間の中で考えるようにしてきました。
わたしは、自殺を考えません!
なぜか?
それは「生きる意味を信じるから」です。
苦しみの後に得られるモノがあることを知りました。
人生で大切なことは、苦しまないと気づかないこともあると気づきました。
わたしにとって苦しみは、幸せになるための気づく通過点”だったのです。
自著やブログにも紹介していますが、ユダヤ人の精神科医・神経科医のヴィクター・エミール・フランクルは、第二次世界大戦中にナチスに強制収容されます。毎日、死と隣り合わせの恐怖を体験した後、生還を果たします。
フランクルは、“生きる意味”があることを著書『それでもイエスと言う』の中で述べています。
「無期懲役の判決を受けたひとりの黒人が、囚人島に移送されました。(略)その船が沖に出たとき、火事が発生しました。その非常に、黒人は、手錠を解かれ、救助作業に加わりました。彼は、十人もの人を救いました。その働きに免じて、彼はのちに恩赦に浴することになったのです。」
「もし誰かがまだ乗船前に(略)この黒人に、お前がこれから生きる意味がまだなにかあるのか、とたずねたとしたらどうだったでしょうか。たぶん、黒人は首を横に振らざるを得なかったでしょう。」
人生は、先のことは誰にも分かりません。
フランクルは言います。
「あなたは人生を諦めたかもしれないが、人生はあなたを諦めていない。そして必ず未来にあなたを待っている誰かや、何かがる!」
わたしがこのフランクルの言葉を紹介したのは、その通りに自分の未来に待っているモノと会えたからです。
その会えた相手とは、“気づき”というモノでした。
「人生には意味があり、苦難を乗り越えると、真の幸せを手にできる」
ことを知りました。
あの時の苦しみがあったから、気づきがあり、今が幸せなのです。
本当の幸せとは、苦しみを乗り越えた後、大切なことに気づくことだと実感しています。
■ニーチェの言葉…
「生きるべき“なぜ(意味)”を知っている者は、ほとんどすべての“いかに(どのようなこと)”に耐えられる」