もう、むしゃくしゃです。


誰かハードに詳しい人、教えてください。


どうやら、多言語を一時的に設定した際に、ハードにある日本語フォントのコードが壊れているようです。


あくまで素人予想ですが、かなり的を得ているのではないかと。


ホント、助けてください…


仕事も何もできましぇん。


しばらく会社のパソコンが重宝されそうです。





で、感じましたが、今の生活ってパソコンの依存度が高い。


改めて感じました。


ICTといわれるように、コミュニケーションも、仕事も何もかも、パソコンに集約されていますね。





あぁ、もっとパソコン勉強せにゃいかん。


知識が増えるのは良いんだけどね。結構時間かかりそう。

ブラジル戦みました?


日本が先制したときはスゲェことが起こるかもしれない、と本気で思ってた。


そのとき店長が出してくれたテキーラがうまかった。


というのもつかの間、前半ロスタイムの失点はちょっと勘弁してよ~くらいだったのに、逆転されたときから嫌な予感がしてきて・・・


ってもよぉ、ブラジル強すぎだよ。


そこにそうやってボールがコロコロ、あれ、アレ、なんでそのスペースに、、いつの間に??


なんてことが多々あった。








ってのはある程度仕方ないよ。


サッカーの国だもん。







それにしても日本代表はなんで豪州戦からあのテンションにできなかったのかな。


って、どうしても思ってしまう。


そりゃ、豪州戦は暑かったし、切羽詰ってないし、割引材料があるにしてもブラジル戦のテンションを出さなかったのは怠慢じゃねぇの???


シュート500本とかも、いまさら注目されるようじゃだめでしょ。。。


4年前から、もっと前から決定力不足なのは分かってたんでしょ?


シュート500本とかそういう練習が日本の定番になっててもよかったんじゃないの?






気持ちは4年後。


ブラジルの試合が見られたのはよかったことだ。






で、試合が終わるころにはフラフラ。


起きたら床で寝てるし、ちょっと痩せたし(関係ない)。





で、阪神はどうなってるんだろう?

昨日は新しいチラシの見積もりで横浜、国立間を往復。


と、途中で電話がなったので出てみると・・・


就職活動中、しかも事情により相当スタートが遅かった友人でした。


何かと思えば、


「エントリーシートが書けない…」


就職活動未経験の私も

「エントリーシートが書けない…」

さすがに困っている人を見殺しにしたくなかったので、仕事がひと段落した後に会うことにした。


(しかも、実際に会うのはかなり久々)


はじめはお互い身の上話を延々としていたため、就職活動の話がすすまず。


さらにその後、ゴハンでも食べながら話そうということになったが、さらに身の上話はヒートアップ。


怒涛のベシャリでした。ふたりとも。


友人って良いもんです・・・なんて言ってられません(私には影響はありませんが・・・)


結局エントリーシートやらをほぼすべて私が作ることに。


やつは自分の考えをしゃべって、対して私は、それをまとめて文章として再構築するのが“担当”でした。


普段、なんとなく雇うならこんな人間が良いなぁと思っているので、(社長って立場から見てる)人事が望んでくるような像は比較的興味があるのですが、なんとなく堅苦しい文調で、しかも大学受験の小論文みたいに絶妙な文字制限にしたがってまとめるのが大変。


でもまぁ初めての経験(全部書かされるのはねw)で勉強になりました。


脈絡のない話ですが、就職活動を終えた皆さん、本当にお疲れさまでした。




で、なんでそんな他人のエントリーシートを書く気になったか?


困っている友人がいたら、自分にできることなら何でもしようと思っているから。


困った時はお互い様だしね。

多摩で一番になる。


私たちはそう決めました。


尊敬すべき大企業との差別化、それが狭い商圏と密度の濃いサービスであるべきだと判断しました。


お客様によろこんでもらいたい。


そんなシンプルな思いを形にしていくため、私たちは進んでいきます。

もう凹むのはやめた。


そう、今日新たな自分の改革案ができあがったのでここに宣言することにした。




宣言


「このミクシィで自分の使命を公開し、この日記でその実現への軌跡を記す。」




ここで言う使命とは、なぜ自分がこの世に生まれて、生きているかという自分の存在意義である。


たしかに、この年齢で思う使命なぞ、口だけなのかもしれない。


しかし、私はあえてこのミクシィという場に自分の使命を公開し、皆にオブザーブしてもらうことを願う。


これはひとつの自己啓発でもあり、私に共感してくれる人がいてくれるなら、そうした人たちとの交流の場にもなる。





自分の使命を公開し、その実現過程を日記にしていく。


これで言い逃れはできなくなるし、あきらめることなんて決してできなくなる。





あきらめた時、それは人生最大の恥であり、ミクシィ至上最高の嘘つきとなるだろう。



それを踏まえての選択。


私は本気だ。



使命


「日本の学校教育に市場原理を導入し、学校教育史に名を残す。」



教育は何のために行うものか?


それに対する私の答えはただひとつ、自立するため。


人は生きていかなければならない。



では、その生きるための教育を施すのは誰か?


最も広い意味で捉えれば、すべての行動はその人にとっては成長の糧となりうるから、身の回りの出来事が教育だといえるかもしれない。


だが、私はここで学校での教育にこだわることにした。


それは、紛れもなく自分が学校で多くの先生方に育てられ、自らも教師の道を一度でも志したからだ。


そう、生きるための教育を施すべき存在なのは他でもない、学校の先生だと思う。



子どもたちは生まれてすぐに親という人生はじめての教育者に出会う。


では次に出会う教育者はだれか?



それが小学校の教師だ。



たしかに、小学校入学までにも多くの教育者に出会うのかもしれない。


だが、小学校から義務教育がはじまることから考えれば、その教師の影響力は、たとえば幼児教室の先生とは比べ物にならないだろう。


このことも踏まえて、人生で2番目に出会う教育者が小学校の教師だと、ここでは誤解を恐れずにあえて断言する。



小学校の6年間がその後の人格形成に多大な影響を与えるということは、わざわざ言うまでもないだろう。




その教師の世界がどのようなものか。


それを私は大学、本、そしてたくさんの人の話を聞くことで知ることとなった。



私は公務員や官僚の制度が必ずしも悪いとは思わない。


これまでの日本根付いて機能してきたものなのだから、やみくもに否定するつもりはない。



ただ、ひとつだけ納得できないことがある。


それは、子どもたちのために努力をしている教師とそうでない教師に与えられる評価に違いが見受けられない点である。


評価とは単純に地位と給料だ。



教育は金のためにやるものではないという話もよく理解できるが、この日本は資本主義の国ではなかったのか。


努力して成果を挙げる人間が評価され、それ相応の給料をもらう。


その逆は辞めさせられるなり、減給されるなりの対処をされる。



民間では当たり前のこの考え方が、教師には通用しない。



教師だけではない。


学校という組織についても同じことが言えるだろう。


特に少子化を迎えるこれからの時代、公立でも学校が淘汰されてくる中で、自らの魅力を生徒や保護者にプロモーションできない学校はつぶれるべきだと思う。


自分の学校をなんとか残そうという努力(民間なら当たり前の企業努力といえるものだが)すら出来ない学校はたとえ存続しても、子どもたちのための最良の教育を提供できるのか疑問である。



これからの時代は今まで以上に自助努力が必要だと感じている。


国民総中流時代はほぼ終わり、「勝ち組」「負け組」という言葉が聞かれるようになった。


日本も2割の金持ちが残り8割の財産をもつ国へと移行しているように感じている。



こうした時代において、学校、特に公立学校の改革は遅れていると言わざるを得ないのではないだろうか。



私はこの改革をする。


それを使命として背負い、これからの人生を歩んでいくことにした。




学校が大好きで、いつも先生にあこがれていた。


そんな私だからこそ、この改革実現のために自らの人生を捧げたいと思う。



今は無謀なことを言っていると言われても仕方がない。


ただ私はこの使命のために、これから一歩一歩進んでいくのみだ。


すべての行動は使命のためかどうかという問いかけをしながら進んでいく。


時には思い通りにいかないこともあるはずだ。


しかし、そうした経験すべてが使命を果たす上でのプロセスとなればそれでよい。




最後に、もし私に共感してもらえる人が一人でも居るのならば、ぜひ名乗り出て欲しい。


それは単なる出会いにとどまらず、この改革を実現させるための同志となると信じてやまないからだ。




それでははじめよう。


子どもたちひとりひとりが最高の未来を迎えられるように。



そして、強い日本をつくるために。




2006.6.20 静かな夜、東京国立にて。

これは難しい。


自分の考えていることが、そのまま相手に伝われば何の問題もないし、困らない。


まぁ、ありえないことだが。


ヒトにモノを伝えるとき、様々な要素が重なり合う。









って、そんな難しい話はやめる。


とにかく言いたいことが伝わらないときの歯がゆさは計り知れないものがある。


もう、なんかへんな汗みたいなもんが出てきたり、痺れきらして八つ当たりしてみたり。


普段は営業でもたくさんの人と話す機会はあるし、話法の本もよく読むので日常から実践するようにはしている。


しかし必ずしも、いつも上手くいかないということだ。


相手が心の底から決心していることを覆すなんて、よほどのきっかけが必要なのだろう。








って、また難しい話になってしまった。


ちょっと頭が最近固い。


明らかに硬い。


いっぺん大爆発させて再構成したいもんだ。

このタイトルでここに各内容はもはやみえみえだ。


そう、プライベートで大事件が起こった。


とはいえ、明確な表現をあえてさける。


それにしても人生、何が起こるか分からない。


想定の範囲外のことがどしどし起こっている。


そして、それに対して決して男らしくなく、たびたびへこんだり、八つ当たりする小さな自分を毎回発見している。


そのたびにああしよう、こうしようとか心に誓う。


そう、あくまですべての事件は自分の充実した人生を構成するひとつ要素であり、小さな自分は大きな自分への願望の裏返しで、日々その実現を目指して努力しなければならない。


昨日、電車の中で居酒屋和民の社長、渡邉美樹さんの本「さあ、学校をはじめよう」を読んでいて思わず涙ぐんでしまいそうになった一説がある。


渡邉美樹さんが自らの活動でカンボジアにつくった小学校を視察したときのこと…


<-------------- 以下、引用部 ------------------>


…後ろのほうで一人の女の子がスッと手を上げた。

「はい、なんでしょう。前に出てきてください。」

女の子はカツカツと皆の前へ。


年齢は12歳という少女の学年は小学2年生。自分で水汲みをしてお金が貯まると学校に来るという生活なので、なかなか進級できない。しかしその少女は、姿勢を正し、しっかりした口調でこう言った。


「学校を建ててくださってありがとうございます。どうしてもお礼が言いたくて、ここにきました。これから一生懸命勉強して、学校の先生になりたいです。いま私たちは勉強したくても先生が少なくてなかなか勉強ができません。だから私が先生になって一人でも多くの子供が勉強できるようにしたい。」


<-------------- 以上、引用部終わり ---------------->


これに対して渡邉さんは、「感動した。」という言葉で締めている。


その言葉は私の心に自然と重なりあった。


感動した。


こんな立派なことを私は考えているといえるだろうか。


あくまで純粋で、自己利益のためではなく、周囲への思いやりがある。


たしかに、カンボジアと日本とでは状況がまるっきり違うから、比べても意味がないといわれるかもしれない。


しかし私はこの少女の言葉がうらやましい。


人間には生きる意味や目標が必要だと思う。


それは使命という言い方でも良い。


このブログでも何度もでてきていることば。それだけ私にとっては重要だ。


この少女の話を読むと、自分の悩みなんて地球上では塵にもならないちっぽけなものだと思い知らされる。


誰でも自分が大好きだ。


それを否定するつもりはない。


しかし、さらに他人を愛する心をもてるということは誰にでもできることではないだろう。

この話題はもはやブログ界においてホットではないかもしれないがあえて。


それにしても、最後の6分で3点ていうのはちょっと…


私は社員をつれこんで自宅でみていたが落胆した。


もっと体力つけておいてもらわんと。


がんばれ、ニッポン!

その大きさに差はあれど人には自信がある。


時にそれは自らの器より大きなものとなり、その事実に気づかず、痛い目にあう。


自信が大きくなるきっかけは誰にでもある。

特に、客観的な評価を得たときは、当然ながらそのふり幅も大きい。


その評価を自分が過大に受け取るとそこに温度差が生まれる。


さらに、人は自信があるときは自信のある循環を同時に起こす。

何をやっても自信満々だし、その結果でさらに自信を得る。


だが、良いことが永遠に続くとは限らない。

周囲の人間には悪く見られていたり、自分のスケールを超えていたり。


それに気がつくことは容易ではなく、失敗して気づくことがほとんどなのかもしれない。


これまでに私も同じような経験を繰り返してきたし、そうした人間も知っている。


最後には、そうした結果を謙虚に受け取るか否かで、その人間にフィードバックされるか否かが決まる。

というような話、私の行動規範だと自信をもって言えるようになりたい。

昨日、社内の会議で新企画を提唱した。


当然、実現の方向に進むわけであるが、今回の新企画、私としては色々と考えさせられた。

というのも、今回の企画は大企業でできないことに徹底的に焦点をあてたからだ。


それのどこが考えさせられるのかというと…


そう、なぜいままでやっていなかったのかという点。


私たちは中規模企業である。


全国や地方全域を商圏としているわけではない。

売上高からも業界トップには遠く及ばない。


にもかかわらず、私達は私たちは大企業と比べて自信をもってアピールできるところがほとんどなかったのである。


もちろん、頭の中で差別化の必要性は理解していたつもりだった。

具体的に何を差別化するのかもアイデアを練っていた。


しかし、実行していなかったのだ。


これは致命傷である。


「なぜ、ベストを尽くさないのか?」


あるドラマの迷台詞のひとつであるが、まさにその通りである。


中規模企業、地場産業にしかできないことをやっていなかった。


どこかで大企業に憧れがあったのかもしれない。


今考えると、今までのマーケティングの質がいかに低かったかが浮き彫りになる。


初心にかえろう。


私たちだからできるサービスは何か?お客さんを最大限喜ばせるには何が必要か?


言うのが簡単だが、実行するのがいかに難しいか、思い知らされた一週間であった。