El Premio 『プライズ~秘密と嘘がくれたもの~』
2011年のベルリン国際映画祭でコンペティション部門で、
美術及び撮影の部門で芸術貢献賞を受賞している本作は、
緻密に計算され、映像だけで主人公の置かれた境遇、心を表現した、
“純文学”の香りがする映像作品に仕上げられている。
同年のベルリン国際映画祭で審査員グランプリを受賞した
タル・ベータ監督の“抒情詩”「ニーチェの馬」と同じように、
四六時中無慈悲な風が吹き荒れる映像は、
主人公達が置かれた過酷な環境を暗示する。
アルゼンチンを舞台とした映画の多くが軍政下で
人としての尊厳を奪われたあるいは虐殺された人々の
家族を取り扱っているように、
本作の主人公である母と少女の父は軍によって殺されたことが
暗に表現される。
ガラスが無く透明なビニールで応急処理をしている窓から
いつも隙間風が音をたてている、廃屋のような海辺沿いの家。
母と共にここに身を隠していた少女は自らの意思で学校に行き、
友達をつくるようになる。
小学校自体が軍人の支配下にあったようなこの時代、
少女が正直に書いた作文には軍部の批判が書かれていたが、
作文の写しを読み自分達が窮地に陥ることをさとった母親は
教師と直談判し、書き直しを認めてもらう。
最初の作文と全く反対の内容を書きつづった作文は
邦題『プライズ~秘密と嘘がくれたもの~』で表現されているように
この年代の子供達の作文の最優秀作として軍から表彰さえることが
決定する。
授賞式に出席したい娘、出席させたくない娘。
作品冒頭の屈託が無くにこやかな少女の表情がどんどん変わっていく
その姿に深い疎外感を感じる。

「あなたを抱きしめる日まで」
2009年にジャーナリストのマーティン・シックススミスが著わした
「The Lost Child of Philomena Lee」を原作とする本作は、
2001年頃のアイルランドを舞台として、
The Sisters of the Sacred Hearts of Jesus and Mary の名の
修道女団体により1930年から1970年までアイルランド南部の内陸部で
運営されていた、私生児とその母親が身を寄せたSean Ross Abby
(ショーンロス修道院)で1951年に男の子を生んだ女性がその後の人生で
心の中の最大事とした息子探しの物語である。
50年前、見ず知らずの若者と過ごした夢のような時間の結果として
子供を身ごもった母の無い少女フィロミナは、世間体を恥じる父親により
ショーンロス修道院に預けられ、正規の助産婦ではない修道女の手で、
逆子状態の男の子を麻酔も無い苦しみの末生んだ。
この修道院では若くして私生児を生んだ母親達の生活費として、
週に7日間洗濯女としての奉仕を5年間強要し、
わずか週に1回たった1時間だけ子供との面会をゆるしていた。
わが子アンソニーの成長するさまを見ることだけを生きがいにしていた
少女フィロミアであったが、この修道院の慣習通り、2歳程度まで成長した
幼児アンソニーは突然、フィロミアへの説明なしに養子に出されてしまう。
その後結婚してもうけた娘にある日フィロミアは自分にはもう一人の子供がいる
ことを打ち明け、これを聞いた娘は失職していたジャーナリストのマーティン
・シックススミスにアンソニー探しを依頼し、マーティンの献身的捜索により、
アンソニーは養子として米国に移住していたことが突き止められる。
フィロミアを演じたのは英国が誇る名女優ジュディ・デンチ、
そして自ら脚本と製作を兼ねたスティーブ・クーガンが
マーティン・シックススミスを演じている。
“罪を憎んで人を憎まず”
マーティン・シックススミスの怒りの心を超絶した、
最愛の息子を奪われたフィロミアの“赦しの心”に
権威の衣を纏わない一人の人間の
神々しさを強く感じた。

『メイジーの瞳』(What Maisie Knew)
自立は不可能で、親あるいは誰かの庇護なしでは
生きていくのが困難な6歳の少女が辿った日常生活を通して描かれるのは、
ステレオタイプの、大人のエゴに翻弄される哀しい少女の物語ではなく、
どのような状況でも心の底で人を愛し、希望を忘れない
心豊かな人間の姿である。
世界を飛び回っている裕福な画商の父、
バンド仲間とツアーを続けるロック歌手の母を両親とする
少女メイジー。
共に理解しあうことを避け、いがみ合う両親は離婚し、
別個に暮らす両親の狭間で翻弄されるメイジー。
自分達の仕事が最優先でメイジーの養育に対して
責任感を持たない両親が雇ったベビーシッターであり、
後に父親と結婚するマーゴ、そして母親の再婚相手
リンカーンがいつしかメイジーを自分達の子供のように
育むようになる。
生まれ故郷の英国で暮らすことを決断した父には
置き去りにされ、ツアーに出かけた母親からも置き去りにされ、
マーゴとリンカーンの手で面倒を見てもうようになった
メイジーが決断した事とは。
邦題の「メージーの瞳」に込められた思いを体現している
メイジーを演じた少女オナタ・アプリールのまなざしが印象的で、
マーゴ(ジョアンナ・ヴァンダーハム)そしてリンカーン
(アレキサンダー・スカルスガルド)が抱える孤独感が
“メージーの瞳”で癒される様子に共感を覚える。
スコット・マクギーとデイビッド・シーゲルが共同監督として
制作した2012年の優れたアメリカ映画。

生きていくのが困難な6歳の少女が辿った日常生活を通して描かれるのは、
ステレオタイプの、大人のエゴに翻弄される哀しい少女の物語ではなく、
どのような状況でも心の底で人を愛し、希望を忘れない
心豊かな人間の姿である。
世界を飛び回っている裕福な画商の父、
バンド仲間とツアーを続けるロック歌手の母を両親とする
少女メイジー。
共に理解しあうことを避け、いがみ合う両親は離婚し、
別個に暮らす両親の狭間で翻弄されるメイジー。
自分達の仕事が最優先でメイジーの養育に対して
責任感を持たない両親が雇ったベビーシッターであり、
後に父親と結婚するマーゴ、そして母親の再婚相手
リンカーンがいつしかメイジーを自分達の子供のように
育むようになる。
生まれ故郷の英国で暮らすことを決断した父には
置き去りにされ、ツアーに出かけた母親からも置き去りにされ、
マーゴとリンカーンの手で面倒を見てもうようになった
メイジーが決断した事とは。
邦題の「メージーの瞳」に込められた思いを体現している
メイジーを演じた少女オナタ・アプリールのまなざしが印象的で、
マーゴ(ジョアンナ・ヴァンダーハム)そしてリンカーン
(アレキサンダー・スカルスガルド)が抱える孤独感が
“メージーの瞳”で癒される様子に共感を覚える。
スコット・マクギーとデイビッド・シーゲルが共同監督として
制作した2012年の優れたアメリカ映画。
