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「人生の特等席」(TROUBLE WITH THE CURVE)

映画の醍醐味の一つが非日常的爽快感だとしたら、

随所に映画造りのプロの心意気を感じる本作は、

極めて後味の良い、映画の王道を行く作品である。


10年以上、プロデューサーとしてクリント・イーストウッドの作品に

関与してきたロバート・ロレンツが監督を務めた本作で

俳優クリント・イーストウッドが演じるのは、とうの昔に定年は過ぎたが

未だに現役としてメジャーリーグのスカウトの仕事に

情熱を燃やしているガス・ロベル。

そして幼少の頃に母を亡くし、人生の多くの部分を親戚の家や

全寮制学校で一人で過ごし、父親ガス・ロペスを恨み、

他人に心をひらかなくなっている弁護士の娘ミッキーを演じた

エイミー・アダムスが秀逸である。


原題は「TROUBLE WITH THE CURVE

CURVEは野球のカーブであるがCURVEには策略、ごまかしの意味もある


この“ごまかし”を見破る父親の耳と、娘の目。

目が衰えてきた父親はボールやバットの微妙な音で

バッターの資質を判断し、父親の仕事をみて育った娘は

父親の目となり、父親にアドバイスをする。


今年83歳となるクリント・イーストウッド、

グラン・トリノ以来4年ぶりの出演となる本作でも

武骨で一本気な男の存在感は変わらない。





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「愛について、ある土曜日の面会室」

制作当時28歳のレア・フェネール監督がその先鋭化された感性で

映像化した「愛について、ある土曜日の面会室」は、

コンクリートの壁、その壁の上に張られた通電線、季節は冬であろうか、

木枯らし吹きすさぶマルセイユ刑務所の無人の外観を、

無機的に長時間カメラで追い続けるシーンが、

“犯罪人”を隔離する刑務所から連想される

乾いた心が全篇を支配している。


自らが犯した行為を反省させ、二度と同じ過ちを繰り返させない

ことを目的に、”犯罪者“から自由を奪い取り、人間としての人格を無視し、

粗末な食事と狭い空間で無為の時間を過ごさせる刑務所。


本作ではこの刑務所の面会室で言葉を交わす3人の受刑者と

この3人と何らかのかかわりを持つ塀の外の市井の人たちの物語である。


フランスで殺され遺体で戻ってきた最愛の息子の死因を知りたいとの一心で、

アルジェリアからマルセイユの刑務所まで、収監されている犯人に面会にきた母親、

ちょっとしたきっかけで知り合った若者が警官に暴行した罪で逮捕され、

この若者の要請で面会に行った16歳のサッカー好き少女、

面倒に巻き込まれた妻を救った恩人から、顔が瓜二つだという理由で、

収監されている犯人とすり替わって刑務所に入ってほしいと依頼された、

負け犬の男。


孤立無援で、必死に生きる人間の姿を決して突き放さず、

かといって過度の憐憫も同情の心もなしに描写し、

人間の本質を自問するレア・フェネール監督の心が表現された

2009年のフランス映画。






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「もうひとりのシェイクスピア」


舞台はイングランドとアイルランドの国王エリザベス1世の

治世時代の16世紀のロンドン。


この時代にウイリアム・シェイクスピアの名で多くの傑作戯曲を

著した劇作家・詩人については、貴族と平民の間に横たわる

大きな段差から別人説が根強く残っているようであるが、

SFアクションを得意とするローランド・エメリッヒ監督は

エリザベス1世に近い第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアーが

ウイリアム・シェイクスピアであったという仮説に基づいて製作されている。


卓越したVFXを駆使して16世紀のロンドン塔、タワーブリッジ、

テームズ川そしてロンド市街を想像も含めて忠実に再現させた本作は、

ウイリアム・シェイクスピアが別人であったということを”狂言回し“として、

完成度の高い映像で観客を楽しませ、

ある程度史実に忠実なエリザベス1世をとりまく人々の権謀術策、

権力争い、そして“ウイリアム・シェイクスピア”が著した戯曲が

混迷していた当時のロンドンの民衆をいかに熱狂させたかについて

説得力のあるストーリー展開が図られている。


オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアーには戯曲の原作者としての

名誉は必要ではなく、自作が劇場で演じられ、多くの人々に

熱狂的に受け入れられることを劇場で実感することが人生の

楽しみであった。




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