「桐島、部活やめるってよ」
高校に限らず、男女共学の中学校、小学校に通った経験を持つ者
には、この作品のどこかに既視感を感じるさせるような、
不思議な魅力をもった映画「桐島、部活やめるってよ」
切り取られた全く同じシーンを個々の生徒のそれぞれ異なった
観点からパラレルに再現し、他人を理解することの困難さ、
無意識の自己愛を若々しく描く。
ステレオタイプで描かれる華やかな体育系部活動とこれと対比される
地味な文科系部活動。
ステレオタイプで描かれる力強い体育系部員と
一見地味な文化系部員。
映画の撮影、それもゾンビを主人公にしたマニアックな
“ホラー”映画をフィルムを使って撮影する映画部の部長前田が
“桐島”騒動がなければ言葉を交わすこともなく3年間を過ごすかもしれない
スポーツ万能の宏樹とある事件をきっかけに学校の屋上
で出会い、言葉を交わす。
屈託が無く自分の内面を見つめることは無いだろうと前田から
思われていた宏樹が、実は自分と同じような人間だったと
前田が認識するさまこそ吉田大八監督が伝えたかった
メッセージであろうか。
「ジャンゴ 繋がれざる者」
映画を観客と共に監督自身も“楽しむ”媒体と捉え、
本作でも後半に自らの登場シーンを設け、
“素人”のような演技で爆死する悪役を演じてみせる
クエンティン・タランティーノ監督。
時には笑いとばし、
時には残虐このうえない映像で観客に迫り、
スクリーン上の物語が自分とは無関係ではありえないと
観客をタランティーノの歴史観に引きずり込む
タランティーノの作品。
本作ではマカロニ・ウエスタンの特質であるアウトロー的雰囲気を
強調して取り込み、奴隷制が現存した南部を舞台に、
奴隷制に反感を持つ白人、この白人に救われ、この白人と
一緒に賞金稼ぎとして日々を過ごした後に、
残虐無比の農場主に奴隷として買われていった妻を
探しだし、助けるためにあらゆる手をつくす“自由”な
黒人の姿を描いている。
TBSテレビで放映されているドラマ「半沢直樹」の高視聴率は、
悪者は極端に悪く描かれ、主人公を貶める行動をしていた悪者が
主人公から完膚なきまで叩きのめされる姿に爽快感を感じると同時に、
銀行という組織の暗部に思いを至らせる視聴者が多いことを反映している。
本作「ジャンゴ 繋がれざる者」も同様にアメリカの暗部ともいえる奴隷制の
非人間性を強く描き、この奴隷制を享受していた人々を苦難の上叩きのめす
弱者の姿に観客はスクリーンに引きずりこまれる。
タランティーノ監督の前作とは異なり、奴隷制に反感を持つ
賞金稼ぎの“歯医者”として人の良心を演じたクリストフ・バルツの
演技は秀逸であり、自由人ジャンゴ役のジェイミー・フォックスは監督の
心を代弁していた。
続・荒野の用心棒の主題歌“DJANG0”が素晴らしくかっこ良い。
「アルゴ」
1979年11月に発生した反米イラン人による
テヘランのアメリカ大使館占拠時にかろうじて脱出し、
カナダ大使館の手で匿われていた6名の米国大使館員を、
特命をおびた一人のCIA職員が、命を顧みず極秘裏に
国外に脱出させることに成功した史実に基づいて
制作された本作は、観ているものを引き込む
良く出来た作品であるが故に、米国が正義で、イランは悪とも
解釈されかねないその史観は、現在の保守派のアメリカ人が
イスラム圏に対して抱くプロトタイプの危険性を
秘めているように思われた。
かつてのペルシアに莫大な量の石油が眠っていることを知った
米国・欧州は石油の利権獲得を目的に周到にイランに
傀儡政権を構築したが、権力を手にしたシャーは、欧米の搾取に
反対する自国民の自由を抑圧し力で弾圧する政策を推し進めていた。
これに反発した国民が、ホメイニ師を新たな指導者に推す革命を
推進していいた1979年の11月に、米国に反発する学生・一般市民が
アメリカ大使館に押しかけ、大きな流血なしで大使館を占拠し、
大使館員を拉致した。
確かに軍人ではないアメリカ大使館員を拘束することは
国際法に違反する行為であり、糾弾されるべき行為ではあるが、
そこまで米国民を憎むようになったイランの悲惨な状況についても
思いを巡らす必要がある。
劇的に成功した救出劇、
一つ間違えば大きな悲劇となっていたことは間違いなく、
本救出劇の真相についても1997年迄CIAの関与は極秘と
されてきた本事件。
作品としての質は高く、
翻って1970年代のイランの状況を知るには
高素材である本作は、一見の価値がある。


