昨日開港151周年
昨年開港150周年を迎えた横浜港。
昨日6月2日は151回目の横浜港開港記念日。
小学校の大半を、横浜市の小学校に通った私にとって
5月の連休が終わり休みの少ない6月の初旬に、
学校が休みとなるこの日は子供心に楽しみな日であった。
その昔、横浜マリンタワーもなく、氷川丸がまだ山下公園に係留
されておらず、ホテルニューグランドも本館だけだった頃
横浜港のシンボルは明治29年(1896)に港の入り口に建設された
赤と白の灯台だった。
よどんだ運河と浮浪者が多く、あまりきれいな地域とは言えなかった
桜木町界隈も、今ではみなとみらい地域への入り口として美しく変身したが、
かつての東急線桜木町駅から野毛坂を登った野毛山動物園の
界隈は昔からの姿を残している。
みなとみらいとは反対側に進むと、風向きによっては
動物園の匂いが漂う昔からの野毛地域。
子供の頃から通い、大人になっても家族と良く行った
入園料無料の市立野毛山動物園。
横浜市の良い伝統を残す場所として
いつまでも今の姿を残してほしい。
赤煉瓦倉庫
Radio(僕はラジオ)
エド・ハリスが、アメリカ南部地域にあるサウスカロライナ州の
高校でアメリカンフットボール部を指導していた実在の教師
“コーチ・ジョーンズ”を演じ、家族や自分の経歴を犠牲にしてまで、
人間としての自立を教え込んだ、知的障害を持つ青年“ラジオ”
との心の交流の話。
2003年のマイク・トーリン監督作品。
この映画で知的障害を持つ青年を演じたキューバ・グッディングJr、
ザ・ダイバーで米国海軍史上初めて「マスターダイバー」の
称号を得た実在のアフリカ系アメリカ人を演じた迫真の演技には
泣かされたが、この映画でも、モデルとなる青年が持つ心の鏡を
スクリーンからは演技の難しさを感じさせない自然体で演じていた。
子供の時に見て見ぬふりをしていた「正しいこと」
ずっと心の中にあったが、時を経て、
そうすることが出来る年齢になった今、
自分を乗り越え、垣根を取り払って行動する事が、
“コーチ・ジョーンズ”と“ラジオ”の永遠の友情の
きっかけだった。
自分自身に対する精神的葛藤から、
映画の世界から一歩退いて、
自分探しの時間を過ごしていたが、
この脚本を読んで、7年ぶりに映画の世界に戻ってきた
デブラ・ウィンガー。
かつての華やかな主演ではなく、
“脇役”ではあるが、重要な役割を持つ、
コーチ・ジョーンズの妻としての
落ち着いた演技に実力を感じた。
ある意味で家族を犠牲にし、悩んでいたコーチ・ジョーンズに
向けて妻役のデブラ・ウィンガーが言った次の言葉
「人のために何かをするのは間違えではない」
このときのデブラ・ウィンガーの笑顔が、
街全体で“ラジオ”を育てた心の顔だった。
サボテンの白い花
陽当たりの良いベランダで、サボテンに白い花が咲いている。
大事に育てられていた方から、妻が頂いてきて、今の場所で、
夏の暑さ、冬の寒さにも順応し、逞しく育っているこのサボテン。
その静かな姿とはイメージが異なる白い大輪の花は華麗。
今朝も白い花が初夏の朝日に輝いていた。
白と淡いグリーンに花色を変えるミニバラが今年も
玄関先で咲き始めた。
時間とともに花色を変え、次から次に咲いてくれる
この薔薇、今の季節には欠かせない家族の一員。
近くの土手に自生している枇杷の木の実が、
今年は例年に無く豊作。
摘果することもない“野生”の実なので、
ひとつひとつの実は大きくなる事はないが、
熟した実は野鳥達の好物。





