Janis et John
Janis et Johnはその名の通り、
夭折した、ジャニス・ジョプリンとジョン・レノンを、
自由な生き方の象徴として描いた、
2003年のサミュエル・ベンシェトリ監督作品。
邦題は「歌え!ジャニス・ジョプリンのように」。
後年「ハンズ・ラビリンス」で残虐な軍人を演じ、
また「堕天使のパスポート」でも独特な悪役が
印象的なセルジ・ロペスが、
本作では、顧客の金を着服し、
その埋め合わせに思わぬアイデアを
考え付く主人公を演じ、
コメディータッチでありながらシリアスなこの映画に
スリリングな味を付け加えていた。
平凡な主婦と売れない俳優が、日常から飛び出すために
ジャニスとジョンという個性的かつ反俗的な“偉人”の
姿を借りることで、開放され壁を突き破る。
灰色の人生よさようなら
孤独からさようなら
ラストにかかり、主人公に対して、顧客の老人が話す次の言葉、
「我々は愛されるために生きているのでは?」
「毎日世界と戦っているつもりでも、向こうは相手にしていない」
そして、直後にTレックスのバラードをバックに
セルジ・ロペスとマリー・トランティニャン演じる
”ジャニス“とがオーバーラップするシーンは秀逸。
ジャニスとジョンのレコードグッズだけが売られている、
「サブウェイ」のクリストフ・ランべール演じるレオンの店など
”ロック“の感覚が随所に盛り込まれた作品だった。
ラストタイトルのまた最後の言葉
「イカした、ロックン・ロールが聞きたい」
この作品は“ヒップ”
本作はマリー・トランティニャンの遺作となってしまった。
天の川 銀河
今日の午後は、出社してくるオフィース、バール、キャンティーンで
ビルバオの友人達は、早口のスペイン語で、体全体でうれしさを
表現していることであろう。スペインが決勝進出。
今日は天の川の話。
昨日は勿論、雲が無い夜でも、
夜でも明るさが消えることのない東京地方の平野部では
しばらく前から天の川を見ることは難しい。
星空の素晴らしさに心をうたれたのは、
数年間に妻と妻のお母さんと三人で訪れたケアンズの夜空。
街から少し離れた何もない畑から見上げた空には、
そこだけ流れるように天の川(Milky Way)が輝き、
漆黒の空から星が降ってくるようにも感じた。
同じく星空では、三富町(今は山梨市)の
大平牧場から見る夜空も美しかった。
参加者に随所で配られる巨峰が美味しく、
アップダウンが名物の「牧丘巨峰の丘マラソン」。
この巨峰の丘マラソンに参加するため、
周囲の環境が気に入って、毎年、マラソン前日は
我々「オプティミスト」のランニング仲間は
三富町の民宿に泊まっていた。
人里離れた山の上にあり,周囲に殆ど人家が無い
静寂で漆黒の空に輝く満天の星空は、
美しい地球に生きている事を感じさせてくれた。
天の川のイメージ
最近は、大気が澄む冬になると、
多摩川の土手からも眺められる、数は少ないが、
美しい星の輝きに驚かされる。
海外を旅して感じるのは街の暗さ、
香港のような例外もあるが、
少しだけ、照明を落として星空を楽しめるような
環境対策も不可能では無い。
アガパンサス・プラエコックス・オリエンタリス
蓮の花
少し涼しく感じた今朝、乗り合わせた地下鉄車内は、
最近では珍しく過剰冷房で、半袖クールビズ通勤にとっては、
肌寒い数十分であった。
七夕の今日、近くの女子校では、早く登校してきた生徒達が
それぞれの願い事を書いた色とりどりの短冊を、
校門近くに置かれた笹の枝に、楽しそうに結びつけていた。
今日は蓮の花の話。
今月15日は仏教の行事である盂蘭盆。
先日、義妹の法要に出かけたお寺では、
境内に並べられた睡蓮鉢から蓮の花が
美しく咲いていた。
蓮華と言われる蓮の花、泥水の中で育つ根から、
するすると伸びた茎の上に、
美しく汚れの無い花を咲かせる事で、
清らかに生きる人間のあるべき姿に例えられ、
仏教では重要な花とされている。
その形から蓮口と言われる
如雨露の口そっくりの花托の中で成熟する種は、
大賀博士が2000年程度前の蓮の実から
花を咲かせる事ができたように、
固く頑丈な殻で守られている。
この種、固い殻の中身はデンプンのように食べられる
ようであるが、以前、研究所に隣接する古代蓮池で
沢山咲いていた蓮の成熟した種を採取し、
カッターナイフで一部を削って、
ガラスのコップの中に入れておくと
白い根と芽が出てきて、開花するまで大きくは
出来なかったが、しばらく
小さな観葉植物として楽しませてもらった。
水面に浮かぶ睡蓮の華やかさと比べて
蓮の花には風雅な美しさを感じる。
パンジーの新芽から花が咲き出した。







