Dogwood 日米のミズキ属
雷が静かな朝に轟き、大粒の雨が色づいた葉を舗道に撒き散らした、
季節外れの台風のような今朝の関東地方。
南から運ばれた湿った空気で、師走とは思えない暖かさを感じた。
来年3月に開業予定の「 二子玉川ライズショッピングセンター」。
建物の建設は終了し、駅周辺の舗道やエスカレーターの整備が
急ピッチで進んでいるが、昨日帰宅途中に新しくなった舗道を歩き、
顔を上げると、あの懐かしい「DogwoodPlaza」のロゴマークが
掲げられていた。
”花みずきの町 二子玉川”の象徴とも言え、
日当たりの良いパティオにならべられたテーブルで食事が楽しめた、
2階建てのDogwoodPlazaが再開発で取り壊されて3年、
以前とは全く違う感じではあるが、
二子玉川ライズショッピングセンターの一画に復活した。
DogwoodPlaza前のイルミネーション
Dogwood呼ばれるミズキ科ミズキ属のハナミズキは北米原産で、
ニュージャージーの芝生の庭で、沢山の花が初夏の太陽を浴びて
光り輝く美しく大きなハナミズキの木をよく見かけたが、
同じくミズキ科ミズキ属で英名Japanese Flowering Dogwood
と呼ばれるヤマボウシが、一番町の街角で美しく紅葉している。
一足早く色づいていたハナミズキの紅葉は美しかったが、
今年のヤマボウシも例年以上に美しい。
ヤマボウシとドウダンツツジの紅葉
ハナミズキには薄紅色の花(総包弁)もあるが、
ヤマボウシのそれは白色のみで、
少し大きめの総包弁は高いところからみるとより一層美しく、
真っ赤で小さめの実が特徴のハナミズキと少し異なり、
やや大きめで粒も大きいヤマボウシの実は甘く食用になるとの事。
台風のような雨が収まってきているが、舗道はヤマボウシの葉で紅色に
染められていることであろう。
Shutter Island (シャッターアイランド)
これは、1954年(昭和29年)という時代を背景に、
多くの島が浮かぶ米国北部のボストン沖に設定された
シャッターアイランと呼ばれる島で起こったと思われる出来事である。
ある捜査を目的にこの島に上陸した警察官テディー・ダニエルズの
内面を過去と現在をフラッシュ・バックさせて映像化した、
戦争で心に傷を受けた男の生き様を、
この時代の“社会的正義”と対比させて描いた作品である。
マーティン・スコセッシ監督とレオナルド・ディカプリオのコンビ4作目に
なるこの作品はなかなか手強い。
レオナルド・ディカプリオは“絶望”を体現する演技で、
監督の思い描く世界を再現させている。
権力は武装組織であり、権力を握った者・組織は敵対すると考える
個人の自由を奪い、抹殺することができる。
時代は、
第二次世界対戦の悪夢がまだ強く世の中に残っている1954年。
設定は強度の精神病患者が送り込まれる絶海の孤島の
精神病院。
欧州戦線で地獄を実感し、復員しても戦争で傷ついた心を
引きずっている刑事の自分自身との戦い。
本作品で象徴的に描かれている歴史的事実をウォルター・モズリイは
1994年の著作「ブラック・ベティ」の中で、私立探偵イージー・
ローリンズの言葉として次のように語っていた。
「そして、第ニ次世界大戦が起こった。――
ヨーロッパでは、殺戮のための巨大工場が建てられた。
ヨーロッパでは、自分の墓穴を掘らされたあと、
後ろから頭に銃弾を撃ちこまれた。―――
ポーランドのある町では、縦、横、深さが六フィートの穴に
出くわした。穴には幼児の死体があふれんばかりに投げ込んであり、
ものがしゃべれるまでに育った子はひとりもいなかった。」
(坂本憲一訳 早川書房)
動のレオナルド・ディカプリオに対して
静のイギリス俳優ベン・キングスレーが物語に落ち着き
を加え、ザ・バンドの伝説的ギタリスト ロビー・ロバートソン
のサウンドトラックそしてマーティン・スコセッシ監督作品
「アビエーター」で「JFK」に続き2度目のアカデミー撮影賞を
受賞しているロバート・リチャードソンが創り出す映像が作品に
観る者を画面に引き込ませる迫力を与えていた。
WINTERKILL(凍れる森)
全ての災いは、無能で無慈悲な森林局役人の職務権限乱用により
引き起こされた。
「人は自分の行動に責任があるということだ。
責任をとらなくてはならない、無思慮な行い、
残虐な行いには、その結果がなくてはならない。」
本作はC.J.BOXの手により、ワイオミング州猟区管理官 ジョー・ピケットを
主人公とする2003年に出版されたシリーズ3作目(邦訳は2作目)。
今回、大自然に生きる人々の前に立ちはだかり、ジョー・ピケットの家族を
脅かすのは森林局の役人であり、FBI特務班主任。
家族との生活を生きることの喜びとし、
妻、子供達を愛するジョー・ピケット。
第一作のOPEN SEASON(沈黙の森)では大切な家族を
自らの手で護る男として、西部劇のヒーローのように描いていたが、、
本作ではジョー・ピケットに、自分が敗残者、だめな父親、
だめな夫ではないかと考させる内省的な面を強調させ、
銃器に頼らないで、圧倒的強権と向き合うとする
より存在感のある現実の人間の姿を描こうとしている。
悩むジョー・ピケットを助けたのは、体制側に組せず、
自らの真義に基づいて行動し、
ジョー・ピケットに恩義を感じ、その人間性を評価する鷹匠。
権力闘争に勝利する事だけを絶対的な価値と思いこみ、
敵対する組織の人間にも家族があり血の通った人間だとしてみなさない、
狂った冷たい幹部の暴挙に対し、
本作での体制内のジョー・ピケットの力は及ばず、
大きな犠牲を払ってしまった。
無力であっても、ジョー・ピケットは不眠・不休で
傷だらけで無様な姿となりながら
猛烈な吹雪が吹きすさぶ嵐のワイオミングの森で
家族の為に戦い続けた。
ジョー・ピケットにもっと強い力を!







