RIVERのブログ -25ページ目

「ジャッキー・コーガン」 (Killing Them Softly)

ニュージーランドで生まれオーストラリアで育ったアンドリュー・ドミニク監督が

ブラッド・ピットと組んで制作した、ワイルドでシニカルな社会批判精神に

満ち溢れたギャング映画。


話は単純である。

刑務所を出所して間もないチンピラと、犬泥棒で小銭を稼いでいるジャンキーが

このチンピラが刑務所で知り合った中年男の誘いでマフィアが胴元である

素人客の賭場あらしを働く。


これに怒ったマフィア組織に雇われた凄腕の殺し屋ジャッキー・コーガン

(ブラッド・ピット)は、麻薬の不法所持で警察に捕まったジャンキー以外のチンピラ

そして中年男さらには失態の見せしめとして賭場の雇われ支配人を無用な苦しみを

与えることなく問答無用に射殺する。


実に猥雑なせりふに満ち溢れた作品である。

そして、シーン、シーンで映し出されるテレビの画面からは2008年の大統領選での

オバマと対立候補の演説、そしてブッシュ現大統領の演説が流され続ける。


組織に損害を与えたものは容赦なく抹殺する。

更に殺しを請け負った殺し屋は、罪を憎んで人を憎まずか、

瞬時の痛みだけで殺人を実行することを身上としている。


クエンティン・タランチーノの作風を思わせる本作と

クエンティン・タランチーンの作品の違いは

政治的メッセージの取り扱いであり、

時にはふざけた娯楽性を前面に出し、政治色はその背景として暗示

させることがクエンティン・タランチーノの作品に対し、アンドリュー・ドミニクは

ギャング映画の仮面に隠された、その強い政治的メッセージであろう。


プロの俳優としてのブラッド・ピットの力量が映像からにじみ出ている。



ジャッキー・コーガンは言う

「アメリカで生きるには、頼りは自分だけ、アメリカは国家ではない、

ビジネスだ」







『コンプライアンス服従の心理』(Compliance)


Compliance=服従


311日の今日、太古の昔からの地球の営みに対する人類の抗議は

困難であるが、人間が自ら創り出したものへの疑義は表明できるし、

信念に基づいて自らの考えを行動に移す事は可能である。



過去の事件に触発されてクレイグ・ゾルベ監督が制作したとされる本作は、

“権力”からの指示・命令に対し、おかしいことは「おかしい」、

間違っていることは「間違っている」と自らの意思表示をすることなしに、

権威に盲従する人間の愚かさ、

そして権威を悪用する人間の卑劣さを描いた

心理劇である。


舞台は郊外のショッピングモールによくあるごく普通の庶民的な

ファーストフード店。


当日の朝、従業員のミスで冷凍庫に保存されていた食品材料が

すべて解凍されてしまい、パニック状態に陥っていた

開店前のファーストフード店女性マネージャー。


このマネージャーのもとに地元“警察”から突然かかってきた電話は、

今カウンターに立っている女性従業員が客の金を盗んだ疑いがあるので

警察が現場に到着するまで、本人を直接調べていてほしいとの

依頼であった。


精神的余裕のなさもあって、店長は疑うことも、反論することもなく、

電話から聞こえてくる警察官の指示通りに、

容疑者とされる女性従業員の人権を無視して、

“盗品”捜査に協力する。


心の健全さはとは何か、その人の人間性が問われる状況で、

人はどのように行動するのか。


マネージャーの居室という密室で、権威に盲従し、深く考えることなく、

弱者への非人間的な仕打ちを正当化しようとする、おぞましい出来事は、

過去の歴史的悲劇を彷彿させ、誰もが直面する可能性のある出来事に

どのように対処すべきかを考えるヒントとなる。








蕗のつぼみ

日あたりの良い土手の斜面で蕗の花茎がのび、

天ぷらに好適な状態より蕾が生長した

蕗の薹が早春の午後の陽射しをあびていた。






キク科のフキ、生長した茎も美味しいが、

蕾の状態のほろ苦い味は、この時期ならでは。