「チャイルド・オブ・ゴッド」コーマック・マッカーシー
人を殺すことに良心の呵責を感じることなく、
自己の欲望の赴くまま、あるいは日常生活の流れの中で
人を殺し続けた連続殺人犯の話。
時は1960年代のアメリカ南部、場所はテネシー州東部のアパラチア山脈の
ふもとに広がる山村地帯。
父は自殺し、母は自分を捨てて家を出て行った所謂プーアホワイト
階級に属する天涯孤独のレスター・バラード。
税金滞納で家と土地を競売に掛けられたバラードは、
廃屋へ移り、そして自ら火をつけた廃屋から山肌の洞窟へと終われ、
生きるためのたった一つの原動力である
原初的欲求の性的快楽を追い続ける。
自らを“はみ出し者”と称するコーマック・マッカーシーが描く
レスター・バラードは、孤独を友として生き、
見取るものもなく自らの人生に幕を引く。
聖書ではイエス・キリストを意味するチャイルド・オブ・ゴッド
レスター・バラードはイエス・キリストの対極に位置する人間であり、
地球に生きる人間そのものである。
「地獄でなぜ悪い」
サルバドール・ダリしかりデヴィッド・リンチしかり、
天才と表現すべき芸術家が、市井の人の想像力の枠を越えて
自己表現を試みた作品群は心に強い印象を与えるが、
園子温監督の作品にもこの種の独創性を感じる。
同じように強烈な暴力性を持ちながらもメッセージ性の強い
クエンティン・タランティーノの作品に通じる血塗られた残虐なシーンが
満載されているにも係らず、何故かコミカルな印象が全編を貫いている
「地獄でなぜ悪い」
首が飛び、血が噴出す本作の品位を保っているのは
暴力団の娘ミツコ役を演じた二階堂ふみの感性と
國村隼が演じる父親の組長そして敵方の組長でありミツコの少女
時代からのフアンである堤真一のコミカルな演技。
映画馬鹿とも言え、観るものに園子温監督の分身のように描かれて
いる自主映画監督の平田は生真面目であり、映像以外に関心はない。
それに対比させて描かれる星野源演じる青年はまともで正統な一般人。
金子光晴、寺山修司、ジャン・ジュネ、パゾリーニ等、
園子温の思想形成に何らかの影響を与えたとされる巨人群の思想を
映像という武器で世に問う園子温の世界は
残虐の衣を纏って人間の存在自体を問う。




