「真鍮の評決」(THE BRASS VERDICT)
本作の表題「真鍮の評決」の意味をインタビューで問われたマイクル・コナリーは、
敢えて回答を避け、本作を読んでその意味を考えてほしいと答えると同時に
ヒントとして「銃弾を装填する薬莢の殆どは真鍮で出来ている」と述べている
その言葉通り、翻訳された文庫版も終わりに近い最終第6部で
読者は「真鍮の評決」が如何にこの作品の本質を的確に表現しているかを
理解する事となる。
本作の舞台はいつものようにロサンゼルス。
昨年映画化され、日本でも最近公開された映画「リンカーン弁護士」
の原作「リンカーン弁護士」(2005)に単独で初登場した
マイクル(ミッキー)・ハラー刑事弁護士に加えて、本作ではお馴染みの
ハリー・ボッシュ刑事を二人目の主役として登場させている。
自家用車のリンカーンを事務所代わりにしているハラー弁護士は、
友人の弁護士ヴィンセントが何者かに殺害され、
生前の文書でハラーが後継者として指名されていたことから、
約1年ぶりに妻とその愛人の殺人容疑がかけられたハリウッド映画産業の
大物経営者の弁護にあたることになる。
リンカーン弁護士と自称するハラーの信条は被疑者が殺人を犯したか
どうかは問題でなく、法廷に提出された証拠、証言類の僅かな瑕疵を
見逃さず、被告の望む減刑を勝ち取ることで弁護士報酬を稼ぐこと。
数年前に、ハラーに恨みを持つ犯罪者から受けた凶弾の治療中に使用した
鎮痛剤を原因とする薬物中毒とアルコール依存症を原因として妻子と別れ、
約1年間は殆ど仕事が無かったハラーに突然舞い込んだ巨大な儲け話が、
後にハラーの生き方を大きく左右していく。
公正を旨とする陪審員裁判の盲点をつくような、弁護士を主人公にした
ピカレスク(悪漢)小説の体をなす本作であるが、一人娘の小学生ヘイリーに
接する父親としてのハラーの思いを含めてマイクル・コナリーの面目躍如たる
作品に仕上がっている。
ロサンゼルス市街の夜景が見渡せるマルホランド・ドライブに沿った山の
反対側に住むハリー・ボッシュとロサンゼルスの著名な刑事弁護士を
父に持つマイクル(ミッキー)・ハラー。
1993年の「ブラック・アイス」では娼婦の子として生まれ、施設で育ち、
父親の顔を知らないボッシュが、
ベトナム戦争の悲惨な体験から帰還し、
ロサンゼルスに埋葬されている”父“とされる墓を
遠くから見るが、この墓に埋葬されている人物は
ロサンゼルスの著名な刑事弁護士であった。
「ブラック・アイス」から15年、本作で初めてハリー・ボッシュと
マイクル(ミッキー)・ハラーはお互いの存在を知ることとなる。
コムラサキ(小紫)
今週に入り、早朝の多摩川河原を吹き抜ける風が
どことなく爽やかで、おだやかさを取り戻してきた日の光と
あわせて少しずつ秋の気配を感じるようになっている。
先々週末に行われた花火大会の準備で、兵庫島横の緑地公園の
花木はいつものごとく強剪定され、沢山の緑色の実をつけている
コムラサキはこれまでこの剪定からまぬがれていたが、今年は
他の花木と同様に見るも無惨に剪定されてしまった。
秋に紫色に色づく沢山の実を見る楽しみが失われがっかりしていたが、
幸い、根に近い枝に緑色の実が僅かに残され、今朝この実が
日本の伝統色で紅紫(べにむらさき)と表現される赤みの紫色に
色づいていた。
来週は9月、湿度と熱気から解放される日々も間近。
『テトロ 過去を殺した男』(Tetro)
父親との確執を原因としてアメリカで暮らす両親の下から
忽然と行方をくらまし、流浪の末にたどりついたアルゼンチンで
出会った女性とひっそりと生きている“兄”アンジーを慕う
年齢の離れた“弟”ベニーが、十数年の時を経て“兄”の住む
ヴエノスアイレスのアパートを訪ねる場面から始まる本作は、
父親と息子の物語であり、過去のある出来事が原因で
過去を消し去ろうとした男と、自分の出生、そして自分の父親について
なんとか手がかりをつかもうとする青年の話である。
モノクロで展開される現在の映像は美しく、
時折挿入される過去出来事はカラーとしてその実体がより強調される。
作品の後半でモノクロの映像として流されるパタゴニアの氷河は圧倒的であり、
劇中劇としてCGで映像化された渚の舞踏場面のなんと美しいことか。
父親と息子の関係に主眼を置く重いテーマを扱う本作で、
癒しとなっているのが、身も心もボロボロとなってヴエノスアイレスに
たどり着いたアンジーをボランティア活動で救済し、
その後一緒に住んでいるマリベル・ヴェルドゥ演じるミランダであり、
本作に登場するすべての明るく個性的な女性達。
「天国の口、終わりの楽園」で二人の無軌道な青年を癒した
マリベル・ヴェルドゥが本作では違う形でアンジーとベニーを
支えている。
フランシス・フォード・コッポラ
が監督・脚本・製作を務めた2009年の
アメリカン・ゾエトロープ作品であり、
息子として恐らくはだれでも父親に対して抱く気持ちを
テトラが代弁している。



