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多摩川河原のススキ

ラテン語で中国の、中国産の意味を持つ

Sinensis=sinense、ギリシア語で茎+花を

意味するMiscanthusを意味する

Miscanthus sinensis」を学名とするススキ。


古くから日本の秋の風物詩であるススキの穂花が

いま多摩川河原で銀白色に輝き、見頃を迎えている。



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夏ごろは繁茂する外来植物セイバンモロコシの影に

隠れていたが、思っていた以上に頑強な地下茎が栄養を蓄え、

セイバンモロコシの勢いが衰えるのを待っていたかのように、

ススキの美しい穂が広い河原の草地を支配するさまは、

その数こそ少なくなったように思うが、

子供のころから見慣れた秋の多摩川の景色。


ススキと共存して鮮やかな黄色い花を咲かせている

セイタカアワダチソウにバッタがとまっていた。




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明日27日は十三夜、先月の十五夜の時は花穂を出した

多摩川河原のススキは少なかったが、今年は昨年より

三週間遅い十三夜で土手の上から月に輝く

ススキの花穂を愛でることができる。



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「フェイシズ」Faces in the Crowd

事故等で側頭葉・後頭葉にダメージを受け、

顔を見てもその表情の識別が出来ず、

誰の顔か解らなくなってしまう相貌失認(そうぼうしつにん)。


本作「フェイシズ」は、ニューヨークで連続的に発生していた

喉裂き殺人時間の現場にたまたま遭遇し、犯人の顔を目撃したことから

犯人に追われ、逃げる途中で誤って橋の欄干に頭部を強打したが

九死に一生を得たヒロインが、この事故が原因の脳障害「相貌失認」と

なり、このヒロインの女性は顔の識別はできないが、顔を目撃された犯人

からの執拗な魔の手に脅かされる日々を描いている。


このヒロインを演じたのが1999年の「ジャンヌ・ダルク」のクールな印象が

記憶に残り、最近は2008年のヴィム・ヴェンダース監督作品

「パレルモ・シューティング」で実生活そのままの妊婦姿を披露していた

ミラ・ジョヴォヴィッチ。


顔の表情からは個人を特定できず、髭やネクタイの柄、

髪の毛の色等で個人を判断し、

髭が剃られたり、髪の毛の色やスタイルが変わると

個人を確認することができなくなる女性の不安な心理を

その目の演技で演じていたミラ・ジョヴォヴィッチ。


ミラ・ジョヴォヴィッチが制作総監督を務めた本作は

詳細な説明を思い切って省いたストーリー展開で、


ヒロインの心理描写を映像としてスクリーンに映し出す、

ミラ・ジョヴォヴィッチのために用意された作品であった。



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ブラッド・ブラザー/ジャック・カーリイ

垣根涼介の最近の著作は、幼少時代の家庭環境、両親との確執が

その人のその後の人生に与える影響を背景に物語を組み立てている

作品が散見されるが、

ジャック・カーリーの小説「ブラッド・ブラザー」も、

少年期に父からいわれのない暴力を振るわれ続け、結果的に

母から守られることのなかった兄と、

幼小期に母親・祖母からの虐待を受けてきた男が

二人で女性を憎悪の対象として大量殺戮を繰り返す事件、

そして成人して警察官となり、兄たちが犯した罪を追求する、

幼少の頃は兄が暴力の防波堤となっていた弟をめぐる物語である。


トマス・ハリスの系列につながり、

サイコロジカル ・スリラーの王道を行く本作。

冒頭から女性の無残な殺人現場の描写が続き、

作品のスタイルは販売部数の多さを一義的に考える

日本のある出版社の作品群を想起させるが、

本作は単に残虐さを追求する作品ではなく、

随所によく練られたヒントが散りばめられた

良質の娯楽作品であり、

過去から現在へと、思いがけない人と人のつながりを

縦糸にした、後味の悪くない、人間ドラマである。


過日紹介したジェフリー・ディーバーの2001年の作品「青い虚空」

The Blue Nowhere)が11年後の日本で誤認逮捕で騒がれている

ネット犯罪そのものを既に小説化しているのと同様、

ジャック・カーリーの作品も、アメリカという国、アメリカの文化を色濃く反映させた、

虚構の世界でありながらあまり日の当たることのないアメリカの今の問題を

代弁する作品となっている。


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