「眠れる美女」(Bella addormentata)
尊厳死をテーマに親と子、夫と妻そして男と女の
他者を思いやる心を描いた、イタリア・フランス合作映画「眠れる美女」
外部を認識する脳の機能は失っているが、
進歩した医療機器により生命を維持され、
植物人間として生きている女性達。
この女性達は、21歳のときの事故が原因で、
17年間植物状態が続いているイタリアのエルアーナであり、
この女性の尊厳死をめぐって自らの立ち位置が問われている
政治家の妻であり、
植物状態で生き続けることで優れた映画女優であった母の
人生に大きな影響を与えている美しい娘である。
政治家の妻は、生きていることあまりの苦しさから、
夫に自らの人生を終わらせてくれることを懇願する。
自らの命を絶とうとする薬物中毒に陥り自傷癖のある女性を
じっと介護するこの女性とは無関係の医師。
栄光の過去と決別し植物人間として生きる娘の介護に専念する母
としてのイザベル・ユベールの顔の表情が印象的な、
尊厳死という重いテーマを扱った本作であり、
テーマ通りの心苦しい場面が本作を支配しているが、
ベロッキオ監督はきちんと希望の灯火を
点し続けることは忘れていない。
「もうひとつの世界」
1998年に制作されたイタリア映画「もうひとつの世界」
(FUORI DAL MONDO)
イタリア語の原題が示す通り、
邦題の“もうひとつの世界”が示す世界とは、
自らの意志だけでは変革できない、
手の届かない世界の意であろう。
まもなく「終生誓願」をして死ぬまで神と共に歩む人生を
選択する決断に迫られる修道女カテリーナ。
母親からは女性としてごく普通の幸せをつかむ生き方を
しつこく迫られるがその信念を変えることのないカテリーナであったが、
たまたま歩いていた公園で、
生まれたばかりでセーターに包まれて捨てられていた赤ちゃんを
見ず知らずの不審者から託された日から
徐々に内なる母性本能に目覚めていく。
赤ちゃんが包まれていたセーターについていた
クリーニング店のタグから“父親”そして母親を
探しだすカテリーナ。
ジュゼッペ・ピッチョーニ監督の次の言葉に
本作が集約されている。
『「ここでは人々が隠し持つ“孤独”について描いています。
全く別の世界に暮らす二人、修道女と人間関係では満たされていない
クリーニング屋が出会い、そこから新しい旅が始まるわけです。
二人が人間的な感情を取り戻す瞬間、違う自分になれる瞬間があり、
「もしかしたら、新たな人生を持てるかもしれない」という
チャンスが訪れるわけです。』
神に仕える修道女にも人生もあり、感情もある。
卓越した感性で人生の機微を描くイタリア映画の伝統を
感じさせる秀作。
「スノーマン」ジョー・ネスボ
スカンディナヴィア出身の作家の手による
ミステリーが面白い。
何らかの原因、多くが人格を形成する幼少時に体験した、
悲惨な出来事から、心に闇を持つ人物が一般社会に紛れ込みながら、
残虐で計算されつくした殺人事件を繰り返す。
解決困難な連続殺人鬼を追う一匹狼であり、組織から煙たがられている
刑事の手で、犯罪者の心理が深く掘りさげられ、仮面がはがされて行く。
本作やユッシ・エーズラ・オールスンの「特捜部Q」シリーズで題材とされる、
人間の深層心理と社会構造・社会問題から、
1年の多くの時期を長く暗い夜で過ごすスカンディナヴィア地方独特の
風土を感じる。
オスロ警察警部のハリー・ホーレを主人公とする「スノーマン」は
犯行現場に必ず雪だるまが置かれている連続殺人犯追跡の物語。
かつてアルコール中毒に苦しんだハリー・ホーレが新しく部下として配属された
カトリーネ・ブラットとペアで取り組んだ女性失踪事件は、ある目的で
女性を惨殺する連続殺人事件。
ジョー・ネスボは書く
「年をとるにつれて、精神を病んでいるかどうかは
悪を裁く上で関係ないという考え方が私のなかで
強くなってきているんだ。
われわれは多かれ少なかれ、悪行に気を惹かれる傾向がある。
だからといって悪行を為していいということにはならないが。
われわれは一人残らず、自分の上に人格上の問題を
抱えていることも確かだ。そして、
われわれがどういう振る舞いをするかによって
その問題の程度が規定されるんだ。
人は法の下では平等であることになっているが
だれも平等でないなら、それは意味をなさない。
正義というのは、哲学としても、裁きとしても
どちらもなまくらなナイフなんだ」
スノーマンとはいったい誰なのか。
何故スノーマンは特定の女性を殺害するのか。
マイクル・コナリーの成熟さとは別の
荒々しさをジョー・ネスボに感じる。


