マジョリカハウス
マジョリカハウスは1889年に郵便貯金局と同じく、設計はオットー・ワーグナーによるものである。
マジョリカハウスとはリンケ・ヴィ-ンツァイレ40番地の集合住宅の通称である。
平面構成は伝統的なものだが、ファサードで新しさと相互の差異を生み出している。
マジョリカ焼の陶板を貼り詰めてファサード全体に大胆な構図で赤いバラの花模様を描き出すことで、華やいだ雰囲気を創出している。
四角い窓を整然と並べ、建物全体を厳格な矩形でまとめ、建築上あるいは彫刻的な装飾を排除していることが特徴である。
ウィーン郵便貯金局から、場所的に結構な距離があるがウィーンの街並を楽しみながら歩くとアドルフ・ロースのカフェ・ムゼウムやオルブリッヒのウィーン分離派館などを見学し、辿り着いた。
集合住宅に面してアジア系のマーケットが雑然と蔓延り、今まで歩いて来た美しいウィーンとは異なる空気が流れている。
そんな周辺環境であるが、他の建築と比べると全く質の異なる輝きを放っている。
まるで建築と絵画が一体化したような不思議な魅力を秘めたファサードであった。
マジョリカハウスとはリンケ・ヴィ-ンツァイレ40番地の集合住宅の通称である。
平面構成は伝統的なものだが、ファサードで新しさと相互の差異を生み出している。
マジョリカ焼の陶板を貼り詰めてファサード全体に大胆な構図で赤いバラの花模様を描き出すことで、華やいだ雰囲気を創出している。
四角い窓を整然と並べ、建物全体を厳格な矩形でまとめ、建築上あるいは彫刻的な装飾を排除していることが特徴である。
ウィーン郵便貯金局から、場所的に結構な距離があるがウィーンの街並を楽しみながら歩くとアドルフ・ロースのカフェ・ムゼウムやオルブリッヒのウィーン分離派館などを見学し、辿り着いた。
集合住宅に面してアジア系のマーケットが雑然と蔓延り、今まで歩いて来た美しいウィーンとは異なる空気が流れている。
そんな周辺環境であるが、他の建築と比べると全く質の異なる輝きを放っている。
まるで建築と絵画が一体化したような不思議な魅力を秘めたファサードであった。
ウィーン郵便貯金局2
内部空間はガラス天井により、予想以上に明るくて驚いた。学生時代は光に関する卒業論文に取り組んだので、この光の名建築はじっくり時間をかけて体験したかった。
光は時間の変化や天候により刻々と変化する。
建築は自然を切り取るものだと考えるならば、光は自然の中でもっとも空間内に直接影響を与える要素だと思う。ウィーン郵便貯金局でも天候による空間内の変化を肌で感じることが出来て幸せだった。
天井からの光以外にもこの建築の見所は数多く、床のガラスブロックや、照明、家具など全ての建築的要素が美しい。夢中でスケッチやスケールで実測をしていたら急に照明が落ちたようにスーッと暗くなった…
何事かと思うと、太陽に雲が重なり、自然光が届かなくなったことに気づく…
まさに外の天候によって空間が変化したのである。
30分ほどするとまた、朝日が射し込むようにスーッと明るくなった
光の射し込む角度も微妙に異なりまた違う表情を見せてくれた。
1日中いても飽きない空間だと思いながら、何カ所もスケッチや実測をし、3時間ほどこの建築内に浸ることが出来た。
日本の郵便局の受付ホールで3時間も外国人が写真やスケッチをしていたらつまみ出されるであろうが、この郵便局は建築を勉強するものを煙たがらず好きに見学をさせてくれた。このあたりの感覚はヨーロッパ人と日本人の一般的な建築に関する意識の違いだろう。
さすがに有名建築だけあって、世界中から見学者が来ていた。3時間いる間に3組の建築学生(ブラジル、カナダ、スペイン人)に出会った。世界各国、建築を勉強するものはどこでもスケッチをするということが分かった。
ヨーロッパでの最初の建築体験がウィーン郵便貯金局で幸先良いスタートをきることができた。
ウィーン郵便貯金局1
ウィーンで一番楽しみにしていた建築はオットー・ワーグナー設計のウィーン郵便貯金局オットー・ワーグナー(1841~1918)は1894年からアカデミーの教授をつとめ、その就任の講演において過去の様式からの離脱、合理的な材料の使用や構造形態を主張する。翌年出版された「近代建築」では建築の基本原理、「必要様式」を提示し、機能主義理論の先駆者として近代建築の父とよばれるようになった。
そんな彼の代表作としてウィーン郵便貯金局は有名な作品である
特徴として外観は古典的な要素を残してはいるが、ホールの構成が見事である。装飾を捨て去り、細い鉄骨の支柱によって支えられたガラス張りのヴォ-ルト天井、下階の採光のための床にはめ込まれたガラスブロック、明快に分節された白い壁面は、近代主義への移行を端的に示す。
ここではホールのガラス屋根を介して降り注ぐ光を実際に体験したかった。
ウィーンで一番始めに内部空間を体験する建築はここだと決めていたので、ガイドブックの地図をたよりに慣れない道を迷いながら歩き続けると、写真で見たことのある外観が目に飛び込んで来た。
写真などから知る自分のイメージとはかけ離れたスケールに驚いた。
一部外壁の補修工事で足場に囲まれていたが、正面エントランス部分はしっかり見ることができた。
かなり重厚な雰囲気の扉を開けると、ホールに行く為の階段ホールが出迎えてくれる。
階段ホールは警備員が構えているのを横目にゆっくり階段を踏み締めながら登り、扉を開けると写真では何度も見たことのある内部空間に包まれた…
キムチハウス
ウィーン西駅に到着後、バスを降り最初の試練が…
日本を発つ時から不安であったが、旅での宿探しは大丈夫だろうかと気にかけていた。
ある程度、旅の行程は計画しているが、基本的にゆっくり街や建築を見たいという思いから宿の予約は一切せずに着いてからなんとかなるだろうと思って出発した。
限られた予算でより長く旅を続けるには出来るだけ節約しないといけない。
1日の予算は移動の交通費や宿代、食費、美術館や博物館などの入館料などを含めて5000円以内でまわろうと決めていた。
不安な宿探しだが、幸いウィーンは知り合いの先輩から韓国人宿を教えてもらい地図も書いてもらっていたのでまだ気持ちの余裕があったが、やはり見つかるまでは不安だった…
ウィーン西駅の構内に入り、雑然とした人ゴミに緊張しながら、教えて貰っていた目印のコインロッカーのある入り口から街に出た。
そこは表通りではなく少し裏道のような雰囲気であり最初の交差点を渡り人通りの少ない路地に入る。1ブロック目の一番奥の建物だと教えて貰っていたが看板も何もない。
通り過ぎたのかと思ったが、キョロキョロと眺めてみると韓国の国旗のシールが窓に貼り付いていた。ここに違いないが、どうみてもここが宿なのかと疑わざるをえない佇まい。
路上で立ち往生していても仕方が無いので意を決してドアを開ける。
誰もいなかったが、奥から主人らしき女性が現れ泊めてほしいと頼むと、座って待てと言われた。座っているとバックパックを担いだ韓国人の二人組が入って来て韓国語で主人と話し奥の方に消えていった…。
言葉が分からないからほっとかれているのかと不安になったが、先の二人がいる部屋に案内されて2段ベッドの下を指定された。はっきり意味も分からずとりあえず寝床が確保できたことに安堵し、重い荷物を肩からおろせて、出発してから着替えていない服を着替えて荷物の整理をした。
この記念すべき最初の宿の名前は「キムチハウス」泊まった部屋は6人の相部屋(ドミトリー)で、自分以外は韓国人の旅人が3人同室だった。2段ベッドが2つあるだけの殺風景な部屋。荷物を整理し終えてどうしたらいいのかと思っていたら、隣のベッドで寝ていた韓国人が起きて話しかけてきてくれた。まだ英語に全然慣れていない時期で全然噛み合なかったが、笑顔で打ち解けることができた。
彼にテーブルのある部屋に連れて行かれると、他の部屋に泊まってる人が朝食の用意をしていた。10人弱が一つのテーブルを囲み、ウィーンで最初の朝食をとる。
日本人は一人で他は全員韓国人だった。食事のメニューはキムチ、激辛スープ、ご飯だった。さすがに韓国人宿だけあって、スープが異常に辛かった…
熱いご飯と相まってさらに辛さが増長されたが、汗をかきながら食べきった。
ヨーロッパでの最初の食事がご飯にキムチとは変な感じだなぁと思いながら、旅はキムチで始まった…
食事も済むといよいよ、ウィーンの街に出かける…
*写真はウィーン市内でみかけた馬車*
日本を発つ時から不安であったが、旅での宿探しは大丈夫だろうかと気にかけていた。
ある程度、旅の行程は計画しているが、基本的にゆっくり街や建築を見たいという思いから宿の予約は一切せずに着いてからなんとかなるだろうと思って出発した。
限られた予算でより長く旅を続けるには出来るだけ節約しないといけない。
1日の予算は移動の交通費や宿代、食費、美術館や博物館などの入館料などを含めて5000円以内でまわろうと決めていた。
不安な宿探しだが、幸いウィーンは知り合いの先輩から韓国人宿を教えてもらい地図も書いてもらっていたのでまだ気持ちの余裕があったが、やはり見つかるまでは不安だった…
ウィーン西駅の構内に入り、雑然とした人ゴミに緊張しながら、教えて貰っていた目印のコインロッカーのある入り口から街に出た。
そこは表通りではなく少し裏道のような雰囲気であり最初の交差点を渡り人通りの少ない路地に入る。1ブロック目の一番奥の建物だと教えて貰っていたが看板も何もない。
通り過ぎたのかと思ったが、キョロキョロと眺めてみると韓国の国旗のシールが窓に貼り付いていた。ここに違いないが、どうみてもここが宿なのかと疑わざるをえない佇まい。
路上で立ち往生していても仕方が無いので意を決してドアを開ける。
誰もいなかったが、奥から主人らしき女性が現れ泊めてほしいと頼むと、座って待てと言われた。座っているとバックパックを担いだ韓国人の二人組が入って来て韓国語で主人と話し奥の方に消えていった…。
言葉が分からないからほっとかれているのかと不安になったが、先の二人がいる部屋に案内されて2段ベッドの下を指定された。はっきり意味も分からずとりあえず寝床が確保できたことに安堵し、重い荷物を肩からおろせて、出発してから着替えていない服を着替えて荷物の整理をした。
この記念すべき最初の宿の名前は「キムチハウス」泊まった部屋は6人の相部屋(ドミトリー)で、自分以外は韓国人の旅人が3人同室だった。2段ベッドが2つあるだけの殺風景な部屋。荷物を整理し終えてどうしたらいいのかと思っていたら、隣のベッドで寝ていた韓国人が起きて話しかけてきてくれた。まだ英語に全然慣れていない時期で全然噛み合なかったが、笑顔で打ち解けることができた。
彼にテーブルのある部屋に連れて行かれると、他の部屋に泊まってる人が朝食の用意をしていた。10人弱が一つのテーブルを囲み、ウィーンで最初の朝食をとる。
日本人は一人で他は全員韓国人だった。食事のメニューはキムチ、激辛スープ、ご飯だった。さすがに韓国人宿だけあって、スープが異常に辛かった…
熱いご飯と相まってさらに辛さが増長されたが、汗をかきながら食べきった。
ヨーロッパでの最初の食事がご飯にキムチとは変な感じだなぁと思いながら、旅はキムチで始まった…
食事も済むといよいよ、ウィーンの街に出かける…
*写真はウィーン市内でみかけた馬車*
ウィーン
空港のベンチでバスを待ってると、前方から大きなバックパックをかつぎ、前には小さなリュックをかけ(典型的なバックパッカースタイル)て近づいてくる一人の男性・・
「日本の方ですか?」
「この辺で率の良い両替所はありますかね~?」と日本語で聞かれた。(旅で出会った初めての日本人^^)
まだヨーロッパに着いたばかり…両替所によってレートが違うことすら分かってなかった…
「ごめんなさい…まだ着いたばかりで何も分からないんですよ、どちらから来られたのですか?」
「アジアを8ヶ月かけて回って、今ヨーロッパに来たところで今から一気にハンガリーのブダペストに行きたいけどユーロ持ってないから両替えしたくて…」
不安だらけでウィーンの市内にも出ていない僕は、この日本人と話したかったがゆっくり話すこと無く、両替所を探すと行って風のように去っていった…
さすらいの旅人…(この後再会することになるとは思っても無かったが…)
初めての日本人との出会いは一瞬の安堵感と共に去り、一人で不安なバス待ちを過ごす。
AM7:35 電光掲示板で時刻と、乗り場を確認し、やっと市内に向かうバスが運行^^
空港内のベンチからバス停に向かう。バス停は空港の外にあり、初めてヨーロッパの空気を吸う。天気は良いが人は誰もいない… 確認した乗り場でバスを発見し乗車すると乗客は一人もいない。運転手に行き先を確認し、料金を支払う。いくらかかるか分からず、小銭の硬貨はなく紙幣で払うと初めてのユーロ通貨をお釣りとして受け取る^^出発の時間になるが乗客は独りだった…期待と不安を抱きながらバスは動き出す。
空港周辺は郊外であり、まだここがヨーロッパだという自覚が湧かない。郊外の風景はどこでも似てる気がする… 市内に向かう高速道路… 全般的に危険な割り込みだらけで運転マナーが悪く、バスの運転もかなり荒い… 大丈夫かと不安になるが外の風景の変化に目を奪われる☆ 30分ほどバスに揺られると景色が一変し、市内に入った。
写真でしか見たことのなかった石造りの建築群、朝の通勤時間で大勢の人たちが乗ってる満員のトラム、見るもの全てが今まで見たことのないもので心が躍りワクワクしてくる。
市内の渋滞を抜け、目的地のウィーン西駅に到着^^
バックパックを背負い、バスから踏み出す緊張の第一歩…
*写真はバスから見たウィーンの街の風景*
「日本の方ですか?」
「この辺で率の良い両替所はありますかね~?」と日本語で聞かれた。(旅で出会った初めての日本人^^)
まだヨーロッパに着いたばかり…両替所によってレートが違うことすら分かってなかった…
「ごめんなさい…まだ着いたばかりで何も分からないんですよ、どちらから来られたのですか?」
「アジアを8ヶ月かけて回って、今ヨーロッパに来たところで今から一気にハンガリーのブダペストに行きたいけどユーロ持ってないから両替えしたくて…」
不安だらけでウィーンの市内にも出ていない僕は、この日本人と話したかったがゆっくり話すこと無く、両替所を探すと行って風のように去っていった…
さすらいの旅人…(この後再会することになるとは思っても無かったが…)
初めての日本人との出会いは一瞬の安堵感と共に去り、一人で不安なバス待ちを過ごす。
AM7:35 電光掲示板で時刻と、乗り場を確認し、やっと市内に向かうバスが運行^^
空港内のベンチからバス停に向かう。バス停は空港の外にあり、初めてヨーロッパの空気を吸う。天気は良いが人は誰もいない… 確認した乗り場でバスを発見し乗車すると乗客は一人もいない。運転手に行き先を確認し、料金を支払う。いくらかかるか分からず、小銭の硬貨はなく紙幣で払うと初めてのユーロ通貨をお釣りとして受け取る^^出発の時間になるが乗客は独りだった…期待と不安を抱きながらバスは動き出す。
空港周辺は郊外であり、まだここがヨーロッパだという自覚が湧かない。郊外の風景はどこでも似てる気がする… 市内に向かう高速道路… 全般的に危険な割り込みだらけで運転マナーが悪く、バスの運転もかなり荒い… 大丈夫かと不安になるが外の風景の変化に目を奪われる☆ 30分ほどバスに揺られると景色が一変し、市内に入った。
写真でしか見たことのなかった石造りの建築群、朝の通勤時間で大勢の人たちが乗ってる満員のトラム、見るもの全てが今まで見たことのないもので心が躍りワクワクしてくる。
市内の渋滞を抜け、目的地のウィーン西駅に到着^^
バックパックを背負い、バスから踏み出す緊張の第一歩…
*写真はバスから見たウィーンの街の風景*