ヨーロッパ建築巡礼記 改 デザインで豊かな生活を -280ページ目

フンンデルトワッサーハウス2

フンデルトワッサーハウスの設計はもちろん名前にもなってるとおり、フンデルトワッサーである。

1986年竣工、友人ウィーン市長へルムート・ツィルクがフンデルトワッサーの理想をそのまま実現させた市営住宅である。

フンデルトワッサー(1928~2000)はウィーンで生まれ、オーストリアを代表する芸術家である。国立美術アカデミーに学び、アンフォルメル芸術の影響を受ける。1953年頃から渦巻きや曲線と激しい色彩を特徴とする幻想的な絵画を制作。現代文明を批判するとともに自然との共生の必要を訴え、70年代以降は建築と環境問題にも実践的に取り組んだ。

フンデルトワッサーは本来画家であるが、幼い頃より家を描き、ずっと建築を変えたいと思っていたという。25歳のときの作品に渦巻の形が登場し、以降直線に対する攻撃が始まる、自然は全て曲線であり、直線には神は宿らないと建築物や絵画に直線を否定した。「直線の格子体系は、私たちの社会の自己破壊の象徴であり、その兆候である。それぞれの水滴に無限の生命がある。どこに雨が降るかは人が予知できない神秘である。雨の滴のそれぞれが天からの口づけである。」

このフンデルトワッサーハウスは集合住宅として実際に生活されている住居(全50戸)であるのに、多くの観光客が訪れ、観光地として賑わっていた。
正面にはフンデルトワッサーのグッズが売られているショップまである。普通なら異様な光景に思えるがここでは不思議と違和感なかった。

なにもかもを食べてしまうような力強さを持ち、周囲との自然な一体感をも持ち合わせる有機的な建築だと感じた。

フンデルトワッサーハウス1

まずは、地下鉄に乗ることにした。
といっても、どうやって切符を買えばいいのか分からなかった。うろうろしていたら自動券売機らしきものを発見し、いろいろ値段ごとにボタンがあるが、今日の予定として歩いては厳しそうな場所が目的なので、とりあえず1日フリー券を購入した。

まずは最初の目的であるフンデルトワッサーの建築を見るため、ウィーン西駅からウィーンミッテ駅まで地下鉄に乗る。初体験の地下鉄は日本と同じ感覚で迷わず乗ることができた。ただ、着いてから自分の目指す場所に近い出口がどこか…出口が分かっても自分がどこにいるのかが分からず、いきなり迷ってしまった。

どうしようもなく、駅のインフォメーションに駆け込んだ。
宿でもらった地図を見せて、行きたい場所を指さして聞くと、駅から出る出口だけは分かった。その出口から右か左か分からなかったが、こんな時のためにとキーホルダー式のコンパスを持っていたので確認してなんとなくこっちだろうと思う方に歩き出した。

地図の縮尺からおそらく1キロくらいの距離のはずだが、30分歩いても全然それらしいものが見つからなかった。ちょっと路地に入ると人気がなく恐い雰囲気がするので大通りと行ったり来たりして完全に迷子状態。やばいな~と焦りを落ち着かせるために公園のベンチに腰掛けた。

昼食の休憩で公園にランチをしにきてる人が増えて来た。ちょっと休憩をしてあと30分頑張って探すぞ!と誓って歩き出す。

開き直って、完全に勘で歩き出し、路地をどんどん進むと前方の遠くで、建物が木に覆われていてそこだけモコモコしてるおかしなスカイラインを発見する。
その建物の近くには人がたくさんいる。

もしかしてと思い、近づいて見ると探していた目的地のフンデルトワッサーハウスだ!やっと見つかったと安心すると同時に、なんだこの建築は…と初めてのフンデルトワッサー建築に驚愕。

ウィーン2日目

2004年6月15日(火)

始めての夜はぐっすり眠れた☆
もちろん相部屋に慣れていなかったが、体が睡眠を必要とするならどんな環境でも大丈夫なようだ。

日本ではかなり不規則な生活をしていたので、朝起きれるのかな~と心配していたが、一度も起きることなく窓から射し込む朝日で自然に起床できた。

朝の光による起床ほど気持ちのよい目覚めはないなぁ~と改めて実感した。

気持ちよく起きることはできたが、気がかりなことがあった…

今日の朝食は…また同じじゃないよね…と、思いながらいつものように準備をする。

あぁ~  悪い予感はまたまた的中

やっぱり昨日食べた朝食、夕食と全く同じでした…3食続けて同じメニューです…
ある程度予想していたこととはいえ、朝からすっかりテンションが下がってしまいました。もう希望は持たず、ここでの食事はあきらめようと誓います。

朝食を済ませて部屋に戻って今日の出発の準備をしていると、昨日最初に話しかけてきてくれた韓国人がチェックアウトの身支度をしていた…拙い英語でなんとか話していたら僕の次の目的地と同じブダペストに行くことが分かった。
また会えるかもしれないな~と笑顔と握手で送り出した。

AM10:00 今日のルートをある程度決めて、2日目のウィーンの街に出発した。

*写真はアドルフ・ロース設計(1909)のロースハウス*

キムチハウス(夕食)

朝の10時から街に出て一通り中心部を歩き、まだまだ日が明るい夜の7時に宿に帰ってきた。朝出るときに、夕食が7時からだと言われたため、その時間に間に合うように戻ってきた。

まだ着いたばかりでどういう所で食材を買ったらいいかも分からず…夕食が出るならそれまで我慢したらいいやと思って、何も食べなかった。さすがに歩き通しなので喉は渇くから水だけは途中で購入した。水なんて日本では普段買うもんじゃないという感覚だったのに…

夕食は他の宿泊者も帰ってきた頃から朝食と同じように、準備をした。ご飯を自分でよそって、スープをもらい、席に着く。

何かおかしいぞ…
驚いたことに辛さに苦戦した朝食のメニューと全く同じだった。
これはさすがに応えた…

明日は違うメニューでお願いします… 食べながらずっと思っていた…
やはり、朝と同じくスープが激辛で、隣の韓国人から白ワインを勧められた。
予想通りキムチと全く合わなかった…

散々な夕食も終わり、日本を飛んでから乗り換えなどでかれこれ40時間はたっていたこともありやっとシャワーが浴びれるぞ!っと期待して、着替えを持ってシャワー室へ。

シャワーは10人くらいの宿泊客で1つだけなので手早く済ませないと迷惑になるな~と思いながら、浴び始めるといつまで経ってもしか出ない…

えっ…

噂には聞いていたが、まさかヨーロッパ最初の宿から水シャワーとは…安宿巡りだからある程度覚悟していたが一気に落ち込んでしまった…少しでいいから…お湯出て欲しかったな…

これから先どうなることやらと不安になったが、時差もあり疲れていたためすぐに就寝☆

*写真の左側のベッドの下がmy space*

シュテファン大聖堂

ウィーンの中心地に位置する象徴というべきシュテファン大聖堂

13世紀建立の後期ロマネスク様式の教会を、14世紀以降ゴシック様式によって大規模に増改築したもの。訪れた際も塔の補修工事が行われていた。

平面は3廊のホール形式、南の尖塔は高さ136.7メートルで寺院の塔としては世界3位の高さである。
シュテファン大聖堂前の広場から国立オペラ座を結ぶケルントナー通りはウィーンのメインストリートで歩行者天国である。そこは大道芸、ショッピングを楽しむ人だかりで賑わう華やかな通りだった。

また、ケルントナー通りと直交するグラーベンの通りアドルフ・ロースハンス・ホラインの建築が立ち並ぶ建築ギャラリーのようである。

写真の左隅に光輝くミラーガラスの現代建築はハースハウス
1985~90年ハンス・ホラインによって設計された。