主に道北の山を中心に登ってます。その理由は情報が極めて少ないからです。 情報過多の現在においても、道北の山はブラックホールのように情報はありません。 だからこそ、この目で確かめてみたいと思って行動しています。ピークを多く踏むよりも、縦走する山行が好きです。
過去の記録を見るには、年度別山行一覧からお宝を発見するのも良いですが、
yahooなどの検索サイトで、道北ヤブ山日記␣○○山(岳、沢)と打ち込んでダイレクトに検索すると早いです。
(␣はスペース)
2011年から2025年までの山行一覧は こちらから
旭山(旭川市)ー2025.5.1
旭山(旭川市)ー2025.5.1 (単独)
朝に病院受診。
肩の炎症が治まらず、2週休んだリハビリは更に2週お休みの指示。
肩を積極的に使わなければ、ウォーキングなどの運動はどんどんしても良いとのこと。
ただし転倒だけは気を付けるように言われる。
確かにそうだ。体は動かした方が良いに決まっている。
病院の帰りに家には戻らず、野外散歩に出かけてみた。
旭山は全国的に動物園が有名だが、麓の旭山公園は桜の名所。
駐車場は満車状態。
暫く待っていると運良く一台空いたので、即駐車する。
時期がまだ早いらしく、咲いている桜は一本も無い。
殆どが蕾であった。
カタクリは見頃。
駐車場から何てことは無い舗装道路を登って行くのだが、辛いのなんの。
1月中旬から運動していないために、恐ろしいほどに筋力が落ちているのだ。
腕も細くなったが、足もヤバい。
中腹の建物には、御高齢の散歩グループが散策中。
自分もほぼ同化しているので、違和感はない。
舗装されたグニャグニャ道を登ると、アンテナ群が現れる。
いつも遠くから眺めることは多いが、実は歩くのは初めてである。
山頂への吊り尾根につけられた立派な道を歩いて樹林地帯を抜ける。
左手には上川盆地の大展望が広がり、低山ながらも山にいる喜びに浸ってしまった。
ここは以前旭山スキー場だった場所で、小学生のスキー遠足で来たことを思い出す。
あの時は魔法瓶が割れて、悲惨だったっけ。
上川盆地の奥には、シラッケ―丸山-三面山-伊阿根山の黒い山並み。
その奥のには三頭山-釜尻山-小平蘂岳の白い山並みだ。
旭山初登頂!!二等三角点は「旭山」。
登山と呼べるほどでもないが、久しぶりに山の空気を吸ってリフレッシュできた。
やっぱり山はイイものだ。
下山すると膝はガクガク、翌日は強い筋肉痛で参りました。
今後は転倒リスクの少ない夏道登山によって、足の筋肉を戻す必要がありそうだ。
右肩腱板断裂ー術後3か月
右肩腱板断裂ー術後3か月
右肩腱板断裂&関節唇剥離の手術をして4月末で3か月。
再断裂の80%は術後3か月以内に起きると言われていたので、常に緊張しながらの生活だった。
仕事の合間に週2回のリハビリを何とかこなし、徐々に可動域が広がってきた。
しかし安心したのも束の間、3か月を目前にして、今までにない強い痛みが出始めたので急遽受診。
前倒しでMRIを撮影したところ、腱板の再断裂はなかったものの、関節周囲に強い炎症が見られていた。
肩関節の安静を優先するために、リハビリはしばらく中止となり、現在約1か月間お休み中。
可動範囲は広がらないが、炎症を抑えるためには焦っても仕方ない。
上腕骨、肩甲骨、棘上筋、上腕二頭筋、肩鎖靭帯など、日々痛む場所が変わって悩まされ、肩関節のケガの大変さを実感する毎日。
リハビリを一生懸命しても、結果が伴う訳ではないのが痛いところだ。
今後は手足を使った登山スタイルに戻ることは容易ではないと、若干諦めつつある今日この頃である。
右肩腱板断裂手術の入院生活
2025/1/18入院初日。
2週間お世話になった部屋。
術後1日目。
肩からはドレーンと神経ブロックの管が入っている。
利き腕の右腕はどデカい装具が装着され、6週間固定される。
リハビリと風呂以外は外すことができない。勿論寝る時も固定。
主治医から説明では、腱板断裂箇所は2か所。
上腕骨の骨頭にアンカー(ネジ)を打ち込み、腱板と縛り付けてある。
アンカーは骨吸収性のものが通常は使われるが、骨が硬いので歯が立たず、4本のうち2本はチタン製を使ったとのこと。骨太は我が家の家系。
また関節唇も剥離していたため、取り除いたとのことで、想定以上に重傷である。
3日目。管が抜けた。
リハビリは術後翌日から始めたが、内容は肘と手の曲げ伸ばし程度。
正確な術式の名称は、鏡視下腱板修復術(ARCR)である。
穴の数は断裂幅や数によって異なるが、自分の場合は6か所と多い。
病棟の窓からは大雪山が良く見える。
あの山に登れる日は来るのだろうかと、毎日思っていた。
夜間痛と言われる腱板断裂特有の痛みに悩まされ、睡眠時間は連日3時間程度だった。
痛み止めもほとんど効かない。
ベットを起こすと痛みは軽減するため、夜間に痛みで目が覚めるとベットを起こし、半座位で寝ることが多くなる。
夜間痛が治まる時期は人それぞれだが、自分は3ヵ月以上に渡って続いた。
転院先の個室。
今の病院はwifiが通じていて便利である。
毎日職場からデータを受け取ってリモートワークしていたので、暇を持て余すことは無かった。
食事は質素すぎ(笑)
売店も無いので食べる楽しみはない。
意地になって病院食以外一切食べない努力をすると、入院中で体重が5㎏減った。
転院した病院は、未だに面会禁止だった。
週一回洗濯物を守衛さんに届けに来る妻を見るのもガラス越し。
貰ったパンフの内容の一部から抜粋。
3か月まで両手で1~2㎏って・・・・(笑)。何が持てるのだろう。
仕事も基本的にはデスクワークしかできない。
大断裂の場合の再断裂率は30%、中断裂では10-15%との医学的データがある。
自分は中断裂2か所なので、常に再断裂の不安が付きまとう。
2025/3/8 トータル38日間の入院生活最後の日。
お世話になったリハビリの先生と。
腱板断裂手術は退院後のリハビリが最重要となる。
肩の可動範囲を広げ、筋肉が落ちて骨皮になった右腕を復活させるには、半年から1年かかると言われている。
自分の場合は重傷なので、より日数がかかるであろうし、剥がれた関節唇を取っているため、完全に元に戻る可能性は低い。
過去の山行記録を分析する
本格的に登山を始めてかれこれ23年。
暇に任せて、2001年から2024年までの山行をExcelに入力し、一覧表を作ってみた。
入力と言っても、年度と年月日、登山エリア、山名、人数の項目だけである。
過去に700山行分程度は入力済で、追加作業は容易いと思っていたが、それは大きな間違い。
慣れない左手一本での作業に難儀し、二日がかりとなってしまった。
あー、左肩凝ったわー。
2024年末現在の山行数は1474となった。
この数字はピークの数ではなく、あくまで山行数。
過去には2泊3日で9山登ったこともあるが、山行数としてはそれでも1山行としてカウント。
エリアを分ける基準は難しい。自分は図に示すラインで区分した8つのエリアと決めた。
で、結果。
年別の山行回数。
2010年から右肩上がりで増えており、一度落ち着くも、2019年から再び増加。
過去同じ山に何度も登ってきたが、2019年から未踏の山に目標を切り替えたことで、低山が増えた影響と思われる。
山行時の人数は3人以下の少数が殆どで、圧倒的に単独行が多い。
気楽だからか、孤独だからか、或いはマニアックな山行に誰も付き合ってくれないからか。
今でこそ情報に溢れているが、23年前からマニアック・オリジナル路線は一貫してきたつもりだ。
エリア別では、予想通りに道北が突出した結果になり、当ブログの冠名は死守(笑)。
地元旭川からアプローチしやすい道北、大雪、増毛、夕張で1000オーバー。
2年前からは当時の拘りを捨て、道央道南にも積極的に足を延ばしている。(その時の記事)
因みに個別では、暑寒別岳が41回で最多登頂、幌加内の三頭山が26回、群別岳の19回へと続く。
年別に山域の内訳を表示してみた。
道北、大雪の回数は年によらず概ねまんべんなく登頂傾向。
2013年からは夕張、2018年からは日高・道東、2023年からは道央・道南へとメインターゲットが推移していた。
元データの数字を読み解いた方が分かりやすい。
目標が決まるとそれに向けて邁進する傾向だ。
積算したGPSログ。
縮尺が小さいと線や点の集まりでしか見えないが、それぞれに時間や距離、標高など詳細な情報を持っている。
自分の足跡の紛れもない証拠であり、貴重な財産である。
今回、怪我で山へ行けない代わりに、Excelに自分の登山記録を作成した。
一つ一つ入力する度に当時の記憶が蘇り、山行を振り返る良い機会となった。
多すぎて入力するだけでも面倒に思えたが、例え表のたった一行でも、そこには命がけの山行があったのだ。
前もって地図でルートを決め、登山当日は準備、移動、紙地図で登山、そして帰宅まで・・・。
それを繰り返し、繰り返し、23年で1474回。
当初はスマホもない時代で、携帯も持っていなかった。現在も当時とほぼ同じアナログチックな登り方をしている。
まあ飽きもせずに、同じスタイルで今まで良くやってきたものだと、我ながら素直に思えている。