不労所得を掠め取ろうとする連中 | 気力・体力・原子力 そして 政治経済

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原子力と経済についてはうるさいですよ!
 (旧有閑爺いのブログ)

 今回は、前回に引き続いて「日本版貨幣論の基礎」をアップする予定でしたが、図らずも三橋ブログのエントリー【日本国を財政破綻論の呪縛から解き放つために】に投じた私のコメントへの反響が多くあり、急遽そのことをテーマにまとめたものです。
 コメントのやり取りは紹介したエントリーをご覧いただければと思います。
 
 私の投じたコメントは例によって、「MMTの主張は成り立たない」という観点からのもので、ブログ主が発した『銀行預金は「書くこと」で発行する』という文言に対するものでした。内容は『「銀行員が、預金通帳に預かったと記載する場合には現金の所在を確認するはず」、それをやっていないなら不正経理ではないでしょうか』というものです。
 
 ブログの読者の反応は、「確認している」というものでも「確認していない」というものでもなく、肝心のことは「だんまり」でした。
 もちろん現実の銀行員は確認しているのですが、そう認めると「銀行の貸出しは又貸し」ということを認めることになるので「確認している」とはMMT論者あるいは信者は答えられないのです。一方、「確認していない」と言えば不正経理そのものなのでこれも言えません。ですので選択肢は「だんまり」しかないわけで、この時点で失語症発病です。しかしそのことは予想通りではありました。
 ですので、『MMTという「屁の付く理屈」は失語症の病人が語る、いわば妄想です。』と揶揄しておきました。
 
 しかし、よそ事については山ほどあり、それに答えられるものは全て答えましたが、まあ例によって、それは教科書に書いてあることでしょう的なものばかりで、新味のあるものはありませんでした。
 ですが、「悪人正機さん」から頂いたコメントで『預金と現金の差』を深堀しておかないといけないように感じたのです。
 もちろん「悪人正機さん」はMMT論者でもMMT信者でもないと私は思っています。だからと言って反MMTでもない、中立的なお考えをお持ちだろうと推察しているのです。
 そして、現金と預金については、両者同じように使えるので、その差について目くじらを立てることもないでしょう、といったお考えだと推察しました。普通の方の普通のお考えであり、そうした考えで生活に支障があるわけではありませんし、なんの問題もないと思います。
 
 とは言うものの、「金融論」つまり金の貸借にまつわる議論の中では、現金と預金の差を明確に認識しておく必要があると私は思っており、そのことが金融論のベースになるし、しなければならないと思っているのです。
 つまり、預金は利子利息を生むが、現金はそこにあるだけでは何も生まないという決定的な差があるのです。そのことに目を向けない限り、まっとうな「金融論」にはならないと私は確信しているのです。
 
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 預金の利子利息とは何かですが、端的に言えば「不労所得」です。下世話な言葉で言うと、「他人の稼ぎの上前を撥ねること」です。
 預金とは金融機関に金を貸すことですので、金銭貸借そのものです。そのことによって他人の稼ぎの上前を撥ねることが出来るのです。
 そして金銭貸借に関する学問は「金融論」です。なので「金融論」の目的は、効率よく他人の稼ぎの上前を撥ねる方法を編み出すことだ、と言えるのです。一方的な言い方になりますが収奪の方法を研究する学問なわけです。
 
 そう言ってしまうと身も蓋もないので、「金融論」を語る連中は「他人の稼ぎの上前を撥ねるようなことはしていません」と思わせるための様々なカモフラージュを用います。
 特に昨今駆け出しの金融論であるMMTは「預金通貨」という成り立ちもしない「虚構」を持ち出して、数々のカモフラージュを行います。政治の領域にある「財政政策」にまで口を突っ込み、MMTこそ救国の経済理論とまでほざくようになっています。
 
 しかし、皆さん騙されてはいけません。MMTに限りませんが「金融論」の目的は「皆さんの稼ぎの上前をどうすればうまく撥ねることが出来るかを研究すること」です。
 そのことだけは忘れないようにしましょう。
 
 現金をそのままの形で置いておいても、利を生むことはありませんので、金融を業とする人は現金を貸出債権の形に変えて保持します。とにもかくにも貸出債権は利を生みますから。
 因みに預金だって、預金者から見れば貸出債権です。
 
 現金を貸出債権の形に変える方法が、現在は多様化していますので、カモフラージュをやり易い状態になっています。知らず知らずのうちに騙されることはあり得ますので、十分な注意が必要です。
 
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 以上のことをまとめると、「金融論」こそ現在の日本で大事な学問だ、と信じ、そう主張する人たちは「不労所得を掠め取ろうとする連中」に他なりません。
 「金融論」をいかに極めようとも、現金をどうすれば有利な形で貸出債権に変えることが出来るかということにしか役立ちません。
 そして、金融論の目論見通りになれば、不労所得が極大化するだけであり、富の偏在を拡大させ、格差を拡大させ、貧富の差を広げるだけです。
 そんなことの片棒を担ぐことだけは、止めた方がよいと思います。