日本版貨幣論の基礎(その1) | 気力・体力・原子力 そして 政治経済

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 (旧有閑爺いのブログ)

 
 私は「貨幣そのもの」を論じることに意義は無いと思っているのですが、通貨はこの世に絶対に必要な道具であるので、「道具の取扱説明書」といった趣旨の論説はあってもよいと思っています。
 従って表題に掲げた「日本版貨幣論」は、あくまでも通貨の使い方あるいは通貨の使われ方を中心に置いたものであるべきと考えます。
 
 今回は、そうした「日本での通貨の使い方使われ方の基礎」とも言うべき事柄を取り上げて解説してみたいと思います。
 実はこうしたテーマを取り上げる気になったのは、「ジータさん」のエントリー【【再確認】IQ130未満のサル相手では、論争は成立しない】にて、「ジータさん」と「悪人正機さん」の間で、「MMTの言う租税貨幣論は酷すぎる」ということから発展して中身の濃いコメントが取り交わされ、それに触発されたからです。
 中でも「悪人正機さん」の指摘、「貨幣の位置付けが文化や時代によって異なるのは当然と考えています故。」が正鵠を得たものであり、日本版貨幣論の基礎となり得る指摘であると考えたからです。
 
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 「貨幣の位置付けが文化や時代によって異なる」ということで、まずは「時代」についてです。
 
 日本で本格的に貨幣(通貨)が使われ始めたのは鎌倉時代とされておりますので、約800年ほど通貨を使っています。
 この約800年のうちの最初の約400年は外国製(正確には中国製)の貨幣(通貨)を使っていました。この外国製の貨幣を使っていた時期の特徴について考えてみます。
 
 外国製の貨幣を使っていたということが示すことは、誰が貨幣を作ったのか、どういう経緯で作られたのか、ということなど問題でなかったということであります。いわば使えるから使ったに過ぎないとわけで、深く考えることなどしなかったと思います。
 きっかけは中国貿易です。当時の日本では砂金や刀剣の産出が盛んで、それらを中国に持ち込み売却代金を銅貨で得たわけです。得た銅貨で絹物や薬あるいは書籍等を買い求め、それらを日本に持ち帰ったわけです。その時に銅貨の利便性を学んだのでしょう、中国産品に加え大量の銅貨を持ち帰り、使い方を広めたものと思われます。
 ただ、中国人は現実主義者なので「通貨の学術的意義」などは中国から伝わった形跡はありません。そして日本人も同じように通貨の根源を考えることなど無く、ただただ使い続けたのです。
 
 この時代の貨幣に関する「文化」的な側面ですが、大きくは3点が挙げられると思います。

 一つ目は為替という手段で送金が行われたのです。つまり書面が貨幣の代わりになることを、貨幣を使い始めた初期のころから理解されていたのです。
 二つ目は貸借です。貨幣が使われ始めた初期のころから、貨幣の貸借が行われて、それも大規模な金融業が営まれ武家への貸付も盛んに行われたようです。
 銅貨の貸借は、例えば田畑の貸借や農機具の貸借と異なり、借りたものが使用により無くなってしまうため、担保が必要で物品がそれに充てられました。その担保の物品を保管する倉庫(土倉)が金融業者(金貸し)の呼称(このころ土倉と呼ばれた)になったほどです。
 三つ目は徳政令です。武家の窮乏に対してこれを救済する名目で、土倉に対して政治権力を以て債権放棄を命じるもので、度々実施されたようです。
 これにより当該の土倉の金融資産は喪失するのですが、通貨は存在する限りにおいてストックですので、誰か別の人物のストック(資産)になっているだけで、社会全体としてみれば失われたものは無いわけです。ですので経済に大きな影響はなかったし、逆に債務返済という経済縮小要因がなくなったわけですので、プラスの効果のほうが大きかったと推測されます。
 
 以上、述べたように貨幣を「使うこと」においては、誰がどのように作ったかなどは関係なく、皆が貨幣に対する認識を同じくするなら、支障なく使えることが早くから分かっていたと言えると思います。
 また、「為替」「担保」「債権放棄」は今も通貨とは切っても切れない関係を持つもので、貨幣を使い始めたときに、日本では時を置かずにそれらが機能したのです。
 
 特に、注目すべきは「債権放棄」であります。これは現在も頻繁に起きていることですが、その経済に対する影響はあまり論じられていません。
 「現代経済学」は「金融資産を需要に変えることができると、その逆の所得を金融資産に変えることが出来る」ということを認めていませんので、債権放棄(債務不履行)のプラス面を理解できないと思います。
 つまり債務不履行は所得を金融資産に変える行為を阻害するものですので、必然的に経済縮小に歯止めがかかるのです。そのことを学理的に追及すべきなのですが、「現代経済学」はそのことを行っていません。
 もはや、怠慢を通り越して無能と言えるものです。
 
 以上、外国製の貨幣を使用していた時代を終わり、次回は日本で貨幣を作り、それを使い始めた江戸時代の有様について解説したいと思います。