法案もしくは法律に関する報道について
2008年度第二次補正予算案と関連法案が衆議院で可決され、
参議院へ送付された。
一応は衆議院を通過した法案についての新聞、テレビの報道を
見ると、その議決の過程についての報道ばかりで、法案の中身
に関する報道が、ほとんどない。
法案が取り沙汰された当初には、報道されたのかも知れないが
修正等がなされる事もあり、衆議院の通過を受けて、法案の内容
についても報道すべきではないのかと考える。
各新聞は記事、社説で法案の早期成立などを論ずるが、法案の
中身は詳しく解説されていない。
六法全書なみの詳しい条文は不要であろうが、国民生活にどのような
影響があるのか、判りやすい解説があってしかるべきだと思う。
政府広報等で告知されるとしても、新聞の折込では、広告と一緒に
捨てられてしまうことが考えられる。
新聞社の使命としてきちんとした報道、解説を期待する。
もっとも、今回の第二次補正予算は、定額給付金が目玉とされて
いて、中身がないのかもしれないが。
政治家の顔
どういうわけか日本の場合、総理大臣になると顔つきが下品となるような
気がする。
特に目下の麻生太郎総理大臣の顔が、就任前との比較で、人相が変わった
としか言えない。
お気楽なボンボンぶりに変化がないにも拘わらず、良く言えば激務のため、
悪く言えば自己の正当化、権力の座維持のため、日夜悶々としているため
であろうか。
もっとも政治家は、総理以外でも大臣などの地位につくために猟官運動を
すると途端に貧相な顔になるようだ。
渡辺喜美衆議院議員が、今日離党したようだか、最近の顔つきは、決意を
した人間らしい顔つきで、実に良い顔をしていたのではないかと思う。
孤立を恐れず、自己の信念に基づいて行動するのは、政治家の本来
果たすべき役割であろうし、選挙に強いからだという批判ほど的はづれなもの
あるまい。
選挙のために自己の信念をひた隠し、ただ議席を墨守するためにのみ、
汲々とするのは、政治家のもちつとも恥ずべき行為だと思うのだが。
衆議院選挙での公認をえさに、所属議員の口を封じるのは、まさにファッショ、
独裁者の行為であろう。
自由にものが言えない社会の恐ろしさを、まだ戦争の悪夢として記憶にとどめて
いる国民が多数存在している。
内心は顔に出る。総理大臣は自らの顔にも責任がある。
衆議院の解散は無い。
麻生総理が10日の内閣記者会のインタビューで、予算案と関連法案が
成立しても、衆議院解散・総選挙に踏み切るかどうかは景気次第との
考えを述べたようである。
第二次補正予算に関する麻生総理の迷走ぶりはすでに周知のとおりであり、
その言葉の変遷は見苦しいものである。
政府は、第二次補正予算、来年度予算によって充分な景気対策を盛り込んだ
としているのではないか。
立法による手立てがすんだあとは、いよいよ麻生総理の指揮する行政府が、
その法律、予算にもとづいて景気対策を実行する段階を迎える筈である。
執行する立場の政府が、現状調査を綿密に行ない、充分に検討を重ねて
打ち出した政策を予算化したものであれば、予算成立後は、粛々と実行に
移す段階であり、立法府たる国会、衆議院を解散することに何ら障害はない
はずである。
言を左右に、ひたすら自民党の党利を守るためには、いま解散すれば、
議席の大幅減少が避けられないという予測にもとづき、ひたすら政権の
延命を目指していることは世間の耳目に明らかである。
このままでは、ずるずると任期満了まで、ひたすら亀が甲羅にこもるが如き
状況が続くであろう。
野党によって、政府の政策に対する対案が提示されるなど、
麻生内閣の鼎の軽重が問われている。自ら毅然と鼎の重さを示すべきときである。
次の金融危機は既に産声をあげている
最近新たに株式投資を始める人が増加している。
確かに株価は近年の水準からは随分と安くなっており、銀行等の預金
利率が低いままであれば、資金の運用先としての魅力が株式にある
ことは否めない。
余剰資金を中期、長期に渡って運用するのであれば、いずれ景気が
好転して株価が上昇するであろうと予測することは、それほど困難では
無い。
そして短期の運用においても、小額の資金で市場に参加できるのは、
今後何度もその機会が訪れることは無いと考えても不思議ではない。
だが、一度はじめてしまったことは、ずるずると続けてしまうことも、
充分考慮しておく必要がある。
利益がでる事の魅力を味わった後では、止め時を見極めることが
出来無くなるおそれがある。
はじめは処女のごとく、そして脱兎のごとく、なりふり構わぬ段階へと
いたれば、引き返す事は非常な勇気を必要とする。
当初の計画と異なり、事態が予期せぬ方向に動いた時、どうするのか
出来ればあらかじめ決定しておくべきであろう。
債権市場の混乱による不況に懲りて、株式へ向かう資金の増加が、
FXや商品取引にも分散され、いずれ性懲りも無く、ハイリスクハイリターン
の金融商品が考案され、いかにも合理的であるような、金融工学なる言葉
で説明される事態が容易に想像される。
金融は基本的には自己責任で、対象の安全性、有利性は投資家本人が
判断するものである。
一定の景気回復がなされれば、喉元すぎて熱さをわすれる事態となる。
投資という名のもとでの投機、ギャンブルが日常的に行なわれているのが
株式市場であることを夢々わすれてはならない。
殺人罪にたいする公訴時効の撤廃は是か非か。ふたたび論ずる。
殺人罪の公訴時効の撤廃を求める団体が、被害者の遺族達によって設立
されたそうである。
そこで再び公訴時効について述べる事とした。
殺人事件は平成元年以降、年間1,200件~1,300件発生している。
公訴時効が成立したのは、
2003年 48件
2004年 37件
2005年 44件
2006年 54件
である。
年間発生数を1,200件とすると3.1~4.5%の事件が時効を迎える
ことと成っている。
公訴時効成立後に容疑者が判明したものは
2003年1月時効成立 北九州小倉北区タクシー会社強盗殺人
2003年11月時効成立 昭島市主婦殺害
の2件があるのみで2004年~6年に時効成立したものは無い。
実に時効成立183件中の2件、1.1%にすぎない。
殺人事件の発生件数との比較では0.04%が時効後の容疑者判明である。
殺人事件の公訴時効の撤廃を主張する意見は、DNA鑑定の技術の進展
等の科学捜査の発達をその論拠とするものが多い。
しかしながら、容疑者がふたたび何らかの犯罪を犯さない限り、容疑者の
DNAを入手し、照合することができないなど、科学捜査にも限界がある。
もちろん、全国民にDNA検査を義務付けるのであれば話しは違うが、それは
別途人権問題を生ぜしめる事となろう。
公訴時効が設けられている理由として、証拠物の散逸、被害感情がうすれる
こと、証人の記憶がうすれることなどが挙げられている。
今回の団体の設立などにより、被害感情は一向に消滅しないことは明らかでは
あるが、だとしても公訴時効を無くすべきという議論は早計にすぎよう。
刑事裁判においては、疑わしきは被告人の利益にという大原則が厳然と
存在する。
百人の有罪犯を見逃す事があってもひとりの冤罪を見逃すわけには行かない
のである。
裁判は科学的な証拠のみによって立証されるものでは無い。
DNA鑑定の対象となった検体はいつどこで、だれによって、どのような状況で
発見されたのか。被害者、容疑者以外のDNAは一切無かったのか。
検討されなければならない項目は多い。
われわれは、今日、食品偽装、遺跡の捏造等といった事例を日常的に経験
してきている。証拠のみが偽装、捏造されたものでないと単純に信じ込むわけ
にはいくまい。
捜査状況を証言できる警察関係者、鑑定担当者等の証人による証言が必要
とされるケースが存在する。
また、容疑者がアリバイを申し立てても、その証人が生存していないことも
考えておく必要がある。
科学捜査、DNA鑑定を万能視することは非常に危険なのである。
時効が撤廃されても容疑者が判明する確立が低いことから、捜査関係者の
意欲の維持も困難であり、捜査費用も膨大なものとなる。
犯行時点以降生じた人間関係も一切顧慮する必要がないとは言いきれまい。
残念ながら、犯罪者の家族はみずからが当事者ではないにもかかわらず、
世間から差別され、就職、結婚等でつらい思いをすることがある。
時効制度によって、これらの状況を一定の範囲で緩和している点も見逃す
べきでは無い。
残酷な言い方をすれば、死者が甦る事は無い。恨みを抱き続けることにより
新たに不幸な人間をつくりだすことには、やはり抵抗がある。
2千年以上にわたる中東の状況も、うらみの連鎖から来ており、はてしない
殺戮が続いているのである。
第二次大戦で日本人、日本軍に家族を殺されたアジアの人々が、日本を、
日本人を恨み続けていれば、今日の外交は状況をことにするであろう。
内心は別として、宥恕の態度こそ、将来へ向けての態度であろう。
悲しみの感情を捨てろとは、けっしていえないが、許すべきは許し、
諦めるべきは諦める。それが、未来への一歩ではないか。
ワークシェアリング。
ここに来てワークシェアリングが非正規雇用労働者対策として、
話題となっている。
しかしその議論は百家争鳴の状況にある。
情においては非正規雇用労働者の目下の苦境を救うために
導入を進めるという点では賛成者が多いことは当然でもあろう。
世界の労働者の賃金との比較等の観点から、企業の国際競争力
をそぐおそれなどから、慎重な意見も、もちろんある。
失業者に職をあたえることに異論はないが、その結果として、
非正規雇用労働者の賃金が正規雇用労働者の賃金収入に近づき、
余裕を持って生活できるのか、あるいは正規雇用労働者の賃金が
非正規雇用労働者に近づき、双方とも生活に困窮するのか。
後者であれば何ら有効性を持つ対策足り得ないことを肝に銘ずる
必要があろう。
言葉のうつくしさに囚われて本質を見失った議論にだけはして欲しく
ないものである。
千里の外に使いして君命を辱めず。
優秀な外交官の条件として夙に有名な表現をタイトルにしてみた。
東シナ海におけるガス田の開発問題で、中国木との協議が行なわれ
ているはずである。この協議でいったいどのような外交成果が得られ
るのであろうか。
近年、首脳外交を除く、外務省の大使、公使等による外交でどのような
成果がもたらされているのか、にわかには浮かんで来ない。
新聞等のマスコミも首脳の外遊以外、外交についての報道にはあまり
熱心であるとは思えない。
経済を中心とするグローバル化の進展のわりには、日本全体が外国
の動向、外交について余りにも無頓着にすぎるのでは無いだろうか。
外国に赴任している大使クラスの人材について、どれほどその氏名、経歴
を我々は知っているだろうか。
現役のみならず、過去の外交官について、具体的に名前があげられるひと
はいったいどれほどなのであろうか。
これは、知らないわれわれに欠陥があるのか、それとも知らせようとしない
何らかの深謀遠慮があるのであろうか。
案外、駐中米大使のほうが有名なのでは無いか。
何らの功績を挙げる事も、外国から感謝されることも少ないがゆえでない
ことを祈るばかりである。
千里の外に使いして君命を辱めず。
六カ国協議にのぞむ北朝鮮の外交官を見る限り、北朝鮮には優秀な
外交官がいるものと羨望の気持を抱くのは、われながら残念である。
一将巧なって万骨枯る
日経新聞によると上場3,788社の直近決算期の業績見通しでは
増収増益が 1,102社 (29%)
2桁増収増益が 184社 ( 5%)
だそうである。2桁増の184社が1,102社に含まれるのかどうかは
読み取れなかったが、含まれていても29%という数字は昨年来の
この不況下では優秀な業績であろう。
むろん他の71%が、増収減益なのか、減収増益なのか、あるいは
減収減益なのかは書かれていないため不明である。
しかい全面的な経済危機という印象からすれば、好業績といって
差し支えあるまい。
では、どうしてこんな好業績が得られたのであろうか。
具体的な社名や分野がわからないので、断定することはできないが、
近年の労働賃金の上昇の無さや、下請けの中小、零細企業の破綻を
照らし合わせて見ると、上場企業のみがわが世の春を謳歌している
だけではないのかと思えてくる。
下請け、従業員の犠牲のうえに成り立っているとすれば、実にあやいう
状況といえよう。
下請けに属するひとびと、自社の従業員等も企業の製品、サービスの
エンドユーザーであれば、その購買力が低下すれば、巡り巡って
企業の収益に反映する。
いくさであれば、敵を滅ぼせば、たとえ味方の将兵がどれほど死んでも
将軍の功績たりうるが、商業活動では、どうしても顧客の存在が必要
である。
ひとり勝ちの企業は、いずれ市場からおおきなシッペ返しを受ける恐れが
あることを肝に銘ずべきである。
三度定額給付金について。
通常国会が始まったが、あいかわらず定額給付金に関する迷走が留まる気配
は無い。
本当に二次補正予算の成立を急ぐならば、野党の主張にしたがって、定額給付金
問題を切り離し、有効な対策から即座に実行すべきである。
定額給付金は自民党と連立を組む、公明党の定額減税の要求を受け、自民党が
その代替案として持ち出したものとされている。衆議院の解散、総選挙での協力を
得る必要上、自民党は公明党のいいぶんに従わざるをえないのだとも言われた。
公明党は定額給付金に賛成のようではあるが、自民党の影にかくれて、表舞台に
登場することが、はなはだ少ない。
じっさいに給付金が配賦されれば、自党の功績に、失敗すれば自民党の責任にという
何とも姑息な感じがする。
定額給付金を実行する場合の行政費用、事務費用はいったいどれほどの金額と
なるのであろうか。
2兆円およびそれを配賦する経費の総額を示して欲しいものである。
それによっては、給付金以外の方法との有益性の検討が一層可能となると思うのだが。
いずれにしろ、悪評紛々で、迷走の種を取り除いたほうが、麻生政権にとって有益
であると思う。
高齢者の同一世代間の格差について
年金問題、振り込め詐欺を契機に、果たして高齢者は貧乏なのかを
考えてみた。
振り込め詐欺の被害は高齢者に集中しているが、判断力の衰え等だけが
原因とは思えない。即日まとまったお金を用意できる高齢者が多い事が
狙われる一因では無いだろうか。
もちろん老後の資金として貯えが必要であることは論を待たないが、
はたして現役、子育て世代がそれに匹敵する資産形成が可能かどうか、
はなはだ心もとないと言えよう。
一方で国民年金のみを収入として、最低限の生存を余技なくされている
高齢者も多数存在している。
高齢者間にも、格差が厳然として存在している。
生涯賃金との関係で、少し考えてみた。
独立行政法人労働政策研究・研修機構の「ユースフル労働統計ー労働統計
加工指標集―2008」から引用してみよう。
2005年の生涯賃金
退職金、定年後の収入を含まない場合。男性。
大学・大学院卒 2億7590万円
高専・短大卒 2億2120万円
高卒 2億 580万円
中卒 1億8400万円
企業規模別(従業員数)。男。大卒。退職金含む。
10-99人 2億6600万円
100-999人 3億3660万円
1000人以上 4億 550万円
サラリーマンでも、これだけの収入の格差がある。自営業者の生涯収入
は果たして如何許りであろうか。
サラリーマンと異なり退職金もなく、サラリーマンよりは少ないと想像される。
年金についても、サラリーマンは厚生年金、自営業者は国民年金であり、
受け取れる年金は、国民年金のほうが厚生年金よりはるかに少額であることは
周知の事実である。
現役時代の格差がそのままリタイア後にも続いているのである。
高齢であっても、多額の年金や、アパート経営による不動産所得によって裕福
な生活を送るひとびとが存在している。
年金は高齢者の生活を確実に保証するよう制度変更が必要な段階に達して
いるのでは無いだろうか。