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山下晴代の「そして現代思想」

映画、本、世界の話題から、ヤマシタがチョイスして、現代思想的に考えてみます。
そしてときどき、詩を書きます(笑)。

「フレンチコネクション2」

 

あほくさ。

「張込み」と書いただけで、なんで松本清張なんだ。

逃亡者が昔の女に会いに行く。

その女はダンナから一日百円だかの生活費をもらって

「つつましく」暮らしていた

ってか。

ちがう!

全然ちがう!

ジーン・ハックマンは

荒くれ刑事なんだ。

一度食いついたらダニみたいに放さない。

「フレンチコネクション」は、NYに来た麻薬王をしつこく追うハナシ。ウィリアム・フリードキン監督。悪くないが、ホラーの線の細さが覗く。ハードボイルドではない。

「フレンチコネクション2」は、

ジョン・フランケンハイマー監督。

ハックマンは、麻薬王を追って

フランスは、マルセイユに渡る。

トルコからブツがくる。

やがて

そのブツにハマっちまう。

ハメられちまう。

ヤクザに捕まりヘロインを射たれる。

ヤクザまがいの強面刑事が

へろへろのよれよれになる

そういうハナシだ。

女は出てこない。

恋は出てこない。

フランケンハイマーはそういうやつだ。

ズレまくりなんだよ、ジジイ。

第一詩の題名は、「張込み」じゃない。

「雨」だ。

一瞬の情熱を閉じ込めたような

雨粒について書きたかったんだ。

悔しかったら、

NYで、ポリ公の写真でも撮ってみな。

 

 

 

「雨」

突然の雨に出会うたび思い出すのは
張込みしているジーン・ハックマン
紙コップのコーヒー片手にピザを食ってた
っけ。
同僚が撃たれて死にさえしなかったら、
フランスに渡ることはなかった。フランスに
わたって、ギャングに捕まり、
ヤク中にされることは
通り雨に遭うような
もの
消えろ消えろ瞬時の恋心
こころ
あの日
主人の
浅野内匠頭長矩が
吉良上野介義央を殺人未遂しなかったら
凡庸な家老として
一生を終えたものを

大石良雄のこころは
雨に混じった。
突然の情熱

雨粒
時間
こころ

 

 

 

 

【越路吹雪】

早稲田演劇博物館前にて。印象に残っているのは、人型に着せられ展示されていた、コーちゃん(越路吹雪)のステージ衣装。まー、ちーさい、ちーさい、小学生用かと思った(笑)。当時はばかにしていたが、iTuneのイアフォンで氏の主だった曲を聴いていると、さすががうまい! 原作者アダモにははるかに及ばないけれど、「日本語の」シャンソンとしては「お手本」となる。由紀さおりもうまいけどね。「ブルーライトヨコハマ」は、オリジナル歌手(笑)よりうまい。耳に音源を近づけて聴くと、音程の刻み方など、細かくわかる。

 

 

 

【記憶に残ったフランス語】

Le blanc ne te vas pas bien.

藤原淳著『パリジェンヌはすっぴんがお好き』(2024年5月、ダイヤモンド社刊)を開いてすぐに、「『似合わないわよ』と面と向かって言われたのはありがたいこと」という項目が目に入った。そして、上のフランス語がすぐに浮かんだ。何十年も前、南仏の友人の家に滞在した時のこと。屋外のテーブルで休んでいると、友人のお母さんが、新調したばかりと見受けられる白い上着を着て現れた。どう? てなもんである。いっしょに座っていた、友人の姉だったかが、すぐに、「ママに白は似合わないわよ」と言った。すると、反対側に座っていた、友人の妹も、「そうよ。ママに白は似合わない」と言った。ママは、「そーお?」てな反応で消えた(笑)。このときは、せっかく買ったのに、それはないだろー?と思ったが、何十年もして、本書をめくり、「そうだったのか〜」と得心した。Chan、chan〜♪
 

「パリにて、風の吹きすさぶ秋の夜」

At Paris, just after dark one gusty evening in the autumn of___
と書くと、あまりに漠然としている。具体的にいえば、
フォブール・サンジェルマン
デュノ通り三十三番地
四階の
おれの、小さな書庫兼書斎で、おれは日本人の女探偵と
コニャックと暗がりという
豪奢を
楽しんでいた。そこへ
突然現れた
若いアメリカ人、若いといったって、まあ、われわれと比べてという意味だが、
女探偵は身動きひとつせず、眼を閉じたままいた。
アメリカンは、勝手に椅子を引き寄せて
われわれのテーブルに着いた。
「事件かね? FBIのおにーさん」と女探偵はそう言ってコニャックを飲み干した。
「まあね。手紙が盗まれた」FBIの若造は言った。
「ラカンか」おれはうんざりとした調子で言って明かりをつけようとした。
女探偵はサッと手をあげて明かりをつけるのを遮った。
「せっかくの暗さを味わおう」
現場は、CIA副長官のデスクの上
なんで今更紙の手紙?
「それは──」
「コピーを残さないため」女探偵が言った。
「その手紙を見つけるのがきみの仕事か」
「ラカンはいかにも日本人好みだな」FBIの若造が言った。
「ニヤけた蝶ネクタイ、しち難しそうな理屈……」おれが言った。
gusty evening
gusty gusty evening
犯人は
わかっていた。

 

 

 

「性」

性というのは、当然生殖のことである。子孫を増やすため、生殖する。
しかし、人間は精神というものを持ってしまった。昆虫のように、深海魚のように、「無私」でできない。
人類最大の不幸。どんな人間にも、ロマン=快感がいる。
その昔、小倉駅前に「おにーさん、500円でどう?」
と声をかけてくる女がいた。誰も避けていた。
しかしあるとき、物好きな男がハナシのタネに応じてみようとした。
後日譚……臭くて臭くて……500円だけ払って逃げ帰った、とか。
まあ、ある程度年を取ると、自然性の観念から離れていく。
それは生物として自然なことである。マスメディアや商業主義のせいで、妄想を抱く年寄りもいるが。
それはともかく、ある種の自称詩人の女性の詩などを目にすると、
いつまで経っても、性の観念から逃れられないヤカラがいる。
彼女らが書く詩のほとんどが、恋愛=性がテーマというか、そういう物語に引きずられている。何を書いても、そこへとつながっていく。
一生、そこから逃れられない。
なんでやろか? と私は考えてみた。
彼女らの自我形成期に、
すでに性の精神のようなものが存在し、
それが世界になってしまった──。
性が形成する妄想は、こんにち、
さまざまな犯罪を生み出している。
文化人類学的、
レヴィ・ストロース的、
オクタビオ・パス的、
二重の炎。

 

 

「父の日」

6月16日は、ユリシーズの日ではなく、父の日だった。どうせ母の日のついでに商業主義が作った記念日だろう。母の日といえば、カーネーションを贈るのが定番となっている。父の日は、食い物だとか、お酒だとか、洋服だとかいろいろ。
母が、「おじいさん(自分のつれあい)の夢を見た。あ、おじいさん死んでたんだ、と思った」と、半分眠りながら言った。
私は、壁に掛けてある父の写真に向かって、
「おじいさん、父に日しなくてごめんね。だってあんたもう死んでるからね」と手を合わせた。父は神道。仏壇にまつられている。
キリスト教の起源はユダヤである。ギリシアは幾何学。ローマは法。
これら三つが、ヨーロッパの精神の基礎を形作った。
危機は第一次大戦の時やってきた。
と、ヴァレリーは書いている。
ヨーロッパを支える三つの精神のなかで、日本人がいちばん弱いのは、
法であると私は思う。
ヨーロッパに父の日はあるのだろうか?
 

 

【poème】

Tra un fiore colto e l'altro donato
I'inesprimibile nulla
(Giuseppe Ungaretti "Eterno")

elle viennent
autres et pareiles
avec chacune c'est autre et c'est pareil
avec chacune l'absence d'amour est autre
avec chacune l'absence d'amour est pareille
(Samuel Beckett )

Between Ungaretti and Beckett God

 

「花論」

花々が咲く
異なっていて同じである
それぞれ 別の花であり同じ花である
それぞれ 匂いは異なっている
それぞれ 匂いは同じだ
ベケットを真似たこの詩に
欠けている言葉を
足して

 

 

Françoise Hardy 死去


"Tirez pas sur l'ambulance !
Je suis déjà à genoux."(「救急車を撃たないで!
 あたしはもう跪いてるんだから」)


……そんな歌詞が口をついて出る。


Prier pour l'âme.
(冥福を祈る)