公美子の音楽紀行 -7ページ目

公美子の音楽紀行

コンサート活動の様子や、日常をポツポツと。


10日間の札幌滞在を終え、まだまだ蒸し暑い東京に戻ってきました。


今回の札幌では、札幌交響楽団にて客演させて頂き、恩師の今井信子先生の音楽を全身で浴びる幸せを噛み締めておりました。

オーケストラ内で今井信子先生の演奏中、エルガーの3楽章と4楽章の終わりで涙ぐみ、アンコールで涙腺崩壊していたのは、私です。


深く、哀しく、そしてどこまでも美しい音楽に魂が震えました。



音楽家としては勿論、女性として、私の憧れであり、夢でもある今井信子先生。


ヨーロッパの先生宅に居候させて頂いていた時期や共演させて頂いた、あの時の時間は私の人生の宝物の様な時間です。




札幌での仕事が想像以上にハードだったので、あまり札幌での涼しさは楽しめなかったのですが、恩師の演奏を間近で聞けた事、両親の笑顔、そして子育て中の旧友達にたくさん会えて話せたのは、とっても嬉しい事でした。


30台も半ばになり時々、自分の進むべき道が分からなくなり、途方にくれる時があります。


ここ最近、同世代の友人達と話し、みんな様々な状況でも、同じ様に毎日、迷い悩みながら、頑張っているんだなと思うと、不思議と心強い気持ちになりました。


家庭の有無や、子供の有無、海外日本問わず、みーーーんな頑張っているし、悩んだ先に必ず道が開けると信じて、又頑張ろうと思います。





子供の頃から、好きな作家の本は全て読まなくては気が済まず。

✴︎中学時代〜遠藤周作

✴︎高校時代〜三浦綾子

✴︎大学時代〜光野桃、乃南アサ

✴︎留学時代〜米原万里 、吉本ばなな


その時に夢中になった本は、今の私の核となっていますし、きっとこれからも私の道標になると思っています。


そんな私が今、睡眠時間を削りながら、夢中になる作家は、原田マハさん。


心の中がざわつく様な、そして物語の中にいる様な感覚になるだなんて久しぶり。



「本日はお日柄もよく」を号泣しながら読んだ日から、原田マハさんに夢中です。


ここ数ヶ月で「印象派」と呼ばれる、画家をテーマにした著書も一気に読破。



何故に、アート、そしてキュレーターの存在に造詣が深いのだろうと思ったら、原田さん自身がキュレーターとしてご活躍されているのですね。


ここまで情景を浮き上がらせる文章を書く、原田マハさんはやっぱり凄い!!




30代になるまで、今より絵画への興味が希薄だったのですが、ヨーロッパに住んでいた時にもっと美術館に行けば良かったと、今になり残念に思います。



これらの本を通して共通して感じたのは、偉大な芸術家は、自分達の芸術の道を極める為に、文字通り、命懸けて己と向き合い、血を吐くような努力をして、自分を信じて独自のスタイルを確立したという事。



そして、偉大な芸術家のそばにはいつも献身的に支えた理解者がいた事。

そして、彼等も芸術家と同じ様に苦悩しながら、いつも自分が信じた芸術家が世に認められると信じ続けた姿に、胸がいっぱいに。




どちらの立場からも「自分を信じる」事の辛さや脆さを感じながらも、結局自分自身を信じる事が出来なければ何もなし得ないのだな、と改めて思いました。



そして、果たして自分はどれだけ真剣に音楽と向き合っているのか、と自問する毎日です。


あぁ、早く美術館に行きたい、ヨーロッパに行きたい。

文書を書くのは、(字が下手なのに)手書きが好きで、そうでなければパソコンで。
スマートフォンで長い文章を書くのは、未だに得意ではありません。



子供が産まれてからはなかなか、パソコンを開く時間もなく、コンサートのお知らせや、御礼を中心に書いている事が多い、当ブログ。

先日、留学時代の友人達が集まる機会があり、留学中の思い出話をしながら、ブワッとあの日々の想いが込み上げて、留学中に書いた文章を読み直す時間が増えています。

留学中、練習⇄お料理⇄夜な夜な語る、ばかりの日々でしたが、それがいかに、贅沢で幸せな事だったのか。


留学した当初はネット環境も決して良くなかったので、日本から持ってきた本を何度も読み、自分の想いを文章にする、そんな作業があの頃の自分を支えていた様に思います。


今、春からの怒涛の日々が少しひと段落して、これから先の音楽人生をどう進んでいきたいか考える、つかの間の充電期間中。



書く事で、気持ちと頭を整理していた頃の事を思い出して、ポツポツと書いていきたいと思っていますし、(勝手なお願いですが)私の脳内整理に皆様にもお付き合い頂けたら嬉しいです。


留学中の仲間達。

留学中に書いたブログです。