こまあんにゃ ネガ・ネガ 生死確認

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昨夜、夢を見ました。


私は今、自営業ですが、


勤め(アルバイト・飲食店)の面接を受けていました。


圧迫面接でもないのに、


頭の中は真っ白


吐き気等もあり、


面接に耐えられませんでした。


少し時間を置いて、


そこで勤めていましたが、常にパニック状態。


でも、辞めた訳でも辞めさせられた訳でも無いのです。


何か不思議な夢でした。


かつて、コンビニやカラオケ店勤務をしていました。


接客は難しい様なのに、何故接客業のアルバイトやっているのか?


理由は判りませんが、


そんな夢を見てしまって、寝起きは酷い日でした。

 

 一昨日、気の置けない人たち(と、私は思ってます)との

 

 会食会でした。

 

 メニューによっては手が出せない金額のランチメニューもあって、

 

 楽しいひと時でした。

 

 わたしは結構、蕎麦は好きで頼むので

 

 天ざる蕎麦鮨セットランチでした。

 

 ただね、

 

 運動不足でもあって、駐車場は非常階段で昇降したので

 

 上る時は、途中から足が上がらず、苦労しました。

 

 9階建ての立体駐車場の屋上(10階に相当するのかな?)までは、流石にね。

 

 昨日は歯科健診がありました。

 

 齲蝕(虫歯)や歯周病治療が終わってから定期的に健診をしています。

 

 

 齲蝕や歯周病は問題なかったのですが、

 

 歯周ポケット(歯と歯茎の間)が広がったり少し膿んでしまうこともありそうだというので、

 

 歯磨きと歯間ブラシを使うことは重要なのだなと感じます。

 今年に入って、なんとなく


 プレイステーションのゲーム


 ツインビーRPGをプレイしました。 



 ツインビーの住むどんぶり島に危機が迫る。


 主人公は異世界から呼ばれ、どんぶり島へ向かいます。


 ツインビー・ウィンビー・グインビーや


 どんぶり島の人達と協力しながら、迫る危機に立ち向かう


 というRPGです。


 シューティングではない世界観が面白い作品です。


 かつてプレイした頃よりも、かなり楽にプレイ出来た事も


 楽しめた要因かも知れないですね。


 更新しなくなってかなり時間が経ちました。

 元日に地震があって、早ひと月なんですね。

 能登の皆様に心からのお見舞い申し上げます。

 能登ではありませんが、私の住む地域でも、少なからず影響があります。

 いわゆる液状化現象で、道路や家屋の傾いた地区もあります。


 ただ地震以降、少し私自身が揺れたと感じることもあり、

 無意識ですが、かなり敏感にアンテナを張っているのかも知れないですね。

 

HSP(Highly Sensitive Person・感受性の豊かな人)について

 

元AKB48グループのメンバーだった大和田南那さんが、メンバー時代から

HSPの特徴を感じて苦しかった(時期があった)というニュースを目にしました。

 

私も気質としての敏感さを知ったのは5年前でした。

 

その後、昨今の「HSPブーム」と言ってしまいそうなほどの様々な情報。

 

これ自体は社会に認知してもらう重要性から、良いことだと思うのです。

 

ただ、HSS型の方が情報発信することは多いですが、HSS型ではない方も多くいると思います。

 

 

1.これがHSPではない人の言い逃れ「私はHSPです」という口実になってしまうのではないかということ

 

2.HSPの当事者が「言い逃れする人」の様に扱われること

 

3.長所であるはずの感受性の豊かさがマイナスに出てしまい、余計に生きづらく感じる事

 

に、繋がってしまうことを危惧していますし、

 

恐らくだからこそ、HSPという長所を持ちながら、精神疾患発症まで行く人が増えるのではないかな?

 

そう感じています。

 

特に、この日本という国では、人一倍感受性の豊かなHSPという特徴を持つ人には、苦しくなるのではないか

そんな社会だと感じます。

 

最近では、大きな問題でも、どちらの方が重大問題なのかを考えるのではなく、ただ感情的になって

SNSを利用する人が多いように感じます。

 

それも私は、感情支配のみであって、その感受性(≠感情性)を発揮する人は責めの対象になっていないかと思います。

 

私はHSPであることを最近は、他人様には言わない様になりました。

 

仮に言って知ってもらっても、何かしてほしいわけではないのです。

 

ただ、あえて言うなら、その人が発言しなかったり、怯えているように見える人がいたら、

 

何かを感じているのだ(そのことにしっかり考えているのだ)

 

そう思ってほしいだけです。

 

 

久しぶりなので少し時事ネタで

 

ロシアのプーチンがウクライナへの侵攻・侵略を始めて早2か月経ちました。

 

反戦 NoWar の立場です。ウクライナの皆さんと連帯していきたいと思っています。

 

同時に反戦を訴える、世界のロシア人とも連帯していきたいですね。

 

 

 

さて、少し前の私用の会議で伝えたことが・・・解り易い喩だったのだろうか?と思っています。

 

それは、「いじめ」と同じということ。

 

いじめは、0対100 でいじめた側が悪いです。

 

いじめた側の意に添わなかったり、気に入らないことがあったとしても

 

いじめられた側は悪いことはないのです。

 

この侵略で言えば、ウクライナは「0」・ロシアは「100」です。

 

 

 

・・・

 

なんて喩をしたんです。

 

そうすると、会議の参加者は一様に納得してくれました。

 

勿論、私の持論としてなのですが、解り易かったのか?と

 

頭にいくつも 「????」 と浮かびました。

 

とは言えど、理解されにくい私の「事柄の比喩」が 数十年ぶりのヒットした?様です。

 

 

文字や文章にしても 言いたいことが伝わらない

 

言葉にしても 伝わらない

 

あれやこれや

 

”これも入れ込まないと あれも入れないと”

 

”あれは言わなきゃ これも言わなきゃ”

 

そんなことの繰り返しで

 

 

そして伝わらないうちに 伝えることを諦めて

 

相手を怒らせないように 

 

相手の想いのままに

 

そんな気持ちで 動いてしまいます。

 

それは マイナスの経験則となって

 

また顔色を窺ったり

 

自分の想いを封印したり。

 

そんな状態、

 

幼いころから

 

ずっと

 

続いています。

 

 久しぶりのブログです。

 

 

 実は幼いころから 言われていた言葉が 未だに・・・

 

 

 ・・・とは言うけどさ と思っていることです。

 

 「あなたが決めた道でしょ」

 

 この言葉の前には 「でも、」とつけられることが多いです。

 

 実は悩みがあって相談すると大抵言われます。

 

 

 もちろんそうですよね。私の決めた道です。

 

 それでも決断に至るにあたって、決断のその場にあったことを考えると、

 

 「おまえには「この道」しかない」と言われるような雰囲気。

 

 絶対に決まらない、学校時代の「クラス委員長」や「責任者」は、誰しも嫌なものですが、

 

 一度推薦されると、惰性で決められてしまうのです。 「嫌だ!」と言ったところで「多数決」で決まった以上覆せない。

 

 責任者として全うしようとすれば嫌われるし、イベントなどの失敗(体育祭などのクラス競技なども)すれば、

 

 それは責任者に全責任を負わせます。

 

 実際に経験してきたことであるし、その責任の重さに耐えられなくて「相談」した人に

 

 「でも、あなたが決めた道でしょ(決めたことでしょ)。」

 

 そう言われてしまうと・・・

 

 噤んでしまいますし、相談してもどうしようもない人だ と決めつけてしまうのです。

 

 嫌味や悪気がなくそう言っているのは判るのです。

 

 だから・・・余計に 

 

 辛くなるんです。

 

 「そうは言っても その道しか与えなかったじゃないか!!」

 

 そう言いたくもなるよ! 責任転嫁もしたくなるよ!

 

 という話でした。

 

 いつも、

 日に1~2回は

 ”消えたい”という衝動に陥ります。

 もちろん、自死を選ぶなどは恐ろしいので、選ぶことはありませんが。

 

 ここ数ヶ月、電話やらなにやら、仕事の中で様々追われていました。

 

 その中で、

 

 良くない方への心の振り幅が大きすぎて、

 

 電話・対人・対話・視線などが恐ろしくなりました。

 

 もともと敏感な気質でもありますし、対人恐怖もありますし、

 

 経験から電話恐怖(特に通知音かな?)があります。

 

 説明することも苦手で、対話・メール含めて怖さを感じてしまいます。

 

 更に

 

 私のことを見ている訳ではないと解っていますし

 

 私のことを話しているわけではないと解っているのですが、

 

 悪口を言われていたり、監視されている様にも感じてしまうのです。

 

 自意識過剰と言われるのかもしれませんが、そんなつもりはありません。

 

 もっと言うなら、携帯電話の普及によって、よりその気持ちが深くなっているのかもしれません。

 

 

 そしてその気持ちが強く出ると、

 

 消えたくなります。

 

 そんなことに恐れ、様々な要素がありますが、自分自身を嫌いで。

 

 消えたくなると同時に、恐怖心が強くなるあまり、

 

 体が震えてきます。特に手指には強く出ます。

 

 そして

 

 「叱責恐怖」なんてものも私自身にはあるのかもしれない。

 

 今も抱える何とも言えない諸問題があるのですが、

 

 強く言われるのではないか、そう思うと今も震えてしまいます。

 

 

 精神科で確定診断されたわけではありませんが、

 

 「社交不安障害」・「全般性不安障害」

 

 あるかもしれないと思うと、それがまた不安だったり。

 

 勝手に病気と思い込んで、逃げているだけではないかと。