産業建設委員会の視察から広報委員会の視察へと、2週連続で行ってきました。

 

産業建設委員会は神戸を中心に獣害対策について学んできました。

獣害対策、どこも大変、ご苦労をされていることが分かってきました。

 

次の週、議会広報誌や市の広報誌、そして街づくりなども学ぶという事で、広報委員会で寄らせてもらった伊予西条市。

 

 

木造づくりの内装が印象的で、誰もがちょっと一息できるスペースがあるのは、なかなか心休まるなぁ~と感じます。

 

 

さて、会議室での説明を受けたわけですが…キョロキョロ

 

とにかく若い職員さんの熱気あるプレゼンに元気をもらいました。

 

 

とにかく、伊予西条市への愛が強い…広報誌のつくり方がどうのこうのというテクニック以前に重要な要素であろうかと強く感じました。

 

話は少しそれますが…ニヤリ

 

私が一番、感動したのはお茶を運ばれた職員さんの姿でした

 

なんやそれ!って言わないで下さいよガーン

 

実は若い女性職員もいらっしゃったのですが、若い男性職員が汗をかきながらお茶を運んでくれていたのです。

 

当たり前の事と言えばそれまでですが、ジェンダー問題を軽く越え、ごくごく普通に行われている姿が印象的でした。

 

 

職員を大切にされている伊予西条市の姿を垣間見ることができました。

 

何となくうれしくて、その事を感想として、少し大げさでしたが感動したことを述べさせていただきましたチョキ

 

会社役員 森本茂樹 71歳

 父の兄は被爆が原因で、17歳で亡くなった。

 8月下旬に94歳になる父が、兄の悲惨な体験を語り継ぎたいと考え、私に話をしてくれた。

 

 兄は召集令状を受け取り、1945年8月6日に広島に集合するよう命じられた。広島県安登村(現呉市)からは始発でも間に合わないので、5日行った。そして6日、爆風で飛ばされ、熱くてたまらず川でじっと身を潜めていたそうだ。

 

 

 何日かして、自宅まで足を引きずりながら帰ってきた。服はぼろぼろに焼け、ひどくやけどを負っていた。近くに病院があったので入院することができた。

 

 かなり苦しかったのだろう。2階の窓から飛び降りて死ぬと、何度も言って家族を困らせた。そして黒っぽい血を吐いて亡くなったそうだ。入隊の日が1日遅ければ助かったのにと、家族は嘆き悲しんだ。

 

 

 戦争憎し、原爆憎し。なぜ人間は戦争をするのだろうか。肉親のこの悲惨な話を、子どもや孫たちに語り継ぎたいと思っている。(呉市)

 

<中国新聞 8月6日 広場から抜粋。ご本人に承諾を得て掲載させていただいています>

20年以上、障害のある人たちと活動してきた私ですが…

 

久しぶりに障害のある仲間との時間は、私にはこの現場が性に合っていると再確認するものでした。

 

 

日鉄跡地問題について話を…という事で、じゃあ、平和についてみんなで考えていきましょう!という形式で学習会を計画しました。

 

県内のきょうされん広島県支部に所属する事業所12カ所の障害のある仲間と職員の皆さんと一緒に、今、呉で起こっている事(日鉄跡地問題)を中心に、いろいろと意見や感想を出しながらの1時間程の学習会でした。

 

 

戦争につながる装備品の話をしたり、景気が良くなるからという理由で戦争につながる基地を呉で作っても良いのかという点もしっかりと考える事ができました。

 

 

最後は核廃絶の問題や抑止力の問題も出てきました。

 

世界情勢の中で抑止力の問題をみんなで考えないといけないわけですが、仲間の皆さんの中で発言が胸を打ちました。

 

私は作業所の友達と仲良くしていきたいです。戦争になるのは嫌です!

 

 

誰もが思う気持ちを素直に話してくれました。

 

身近にいる人を傷つけたくないし、ましてや失いたくない…その気持ちをいつも大切にしていきたいですよね。

 

力対力の発想では力の強い人だけが幸せになるわけで、そんな世の中を誰も求めていないわけです。

 

武器対武器では平和は生まれません。

 

時間はかかっても対話による重なる意見を丁寧にまとめていく地道な努力が必要ではないかという事でしょう。

 

だからこそ戦争の反省として日本は、戦争をしないと誓った憲法9条を作ったわけです。

 

憲法9条をしっかりと守る事って大切だという事、参加したみんなで確認できたことがとても嬉しく思いました。

 

参加してくれた皆さん、ありがとうございました!

 

また、一緒に学習していきましょうねチョキ