Chajinの 徒然フォトブログ -21ページ目

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

少し以前の10月初旬、まだ暑さが残る日でしたが若狭から鯖街道を通り
熊川宿を訪れました。

若狭湾




若狭に大陸の文化が上陸して大和の都へ運ばれる最も近道であり、若狭は韓国語の
ワカソ(行き来)から、奈良、ナラも(みやこ)から当て字されたとも伝わります。

古代若狭は朝廷に食物を献上する御食国(みけつくに)の一つ、日本海で獲れた
魚介類がはるばる京都へ運ばれ、「京は遠ても十八里」と言われました。
十八世紀後半からはたくさんの鯖が若狭の海で陸揚げされるようになり、「鯖街道」
と呼ばれるようになりました。

秀吉に重用され、若狭の領主となった浅野長政は天正17年(1589)に熊川が
交通と軍事において重要な場所であることから、諸役免除して宿場町とし、40戸ほどの
寒村が200戸を超える町になったものです。





街道沿いの家々は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。












街を流れる用水路「前川」。








街の南端は若狭と近江(福井と滋賀)の境界で番所がありました。








街道のすぐ西には標高185mの稜線上に山城、熊川城址があります。

宿場館へパンフを頂きにお邪魔しますと、すぐ裏が城址ですから是非登って下さいと
言われ、全く知識が無かったのですが、明智光秀ののぼりなども多数立っており、
訪ねない訳にはいかなくなりました。  


 




熊川城主の光兼の子女、麝香(じゃこう・マリア)が細川藤孝(幽斎)に嫁いでおり
その子息の忠興に光秀の子女、玉(ガラシャ)が嫁いでいます。

光秀、忠興にとって唯一の妻であったと伝わる。
                                   











中段郭からの展望。 下の広場は陣屋跡。




主郭跡。




展望デッキが設けられていますが望むのは山々のみ。









 

下って中腹の城郭の跡に造られた白石神社(熊川の氏神)。






小浜からこちらの国境まで四里(16km)、京都上京区の出町まで14里(56km)で
一泊二日のコースです。

滋賀、保坂から道が分かれ琵琶湖岸の今津は近く、鯖街道は大原を通って京へ。
その昔も今津へ出て大津まで船で、大津から京へ歩くコースが楽であった。


街道を先に進むと滋賀県内、車のナビで調べてもすぐ琵琶湖岸で今回は京へ向かわないで
今津から湖北へ巡って帰宅しました。












にほんブログ村 写真ブログ 中部風景写真へ


にほんブログ村 花・園芸ブログ 季節の花へ


私の店

お茶、茶道具、健康茶、抹茶アイス・グリーンソフト
  httpS://www.suigyoku.co.jp/      
 ヤフー店
    httpS://store.shopping.yahoo.co.jp/suigyoku/

   

  アマゾン店


伊吹山頂には日本武尊像が鎮座しており、登山者の記念撮影場所であるほか、
像の西下方は琵琶湖などを一望できる広い休憩地になっています。





日本武尊は東征から戻り、伊吹の山の神を討ちに出かけられました。
戦いは3合目で行われたのではと言われています。(下の頂上からの写真の南端の
平らな部分が三合目、かっては下からリフトがあったり、駅にはレストハウス、
スキー場などもありました)



古事記では神が化けた白い大猪、日本書紀には大蛇と書かれていますが、戦いの結果の
記載はなく、荒神が降らせた大氷雨の毒気に当たり高熱を発して山を下りました。
尾張の妃の美夜受比売(みやずひめ)のところに手放さなかった草薙剣(くさなぎのつるぎ)
置いて伊吹の戦いに向かったため、本来の力を出せなかったなど諸説あり。

山を下りて玉蔵部(たまくらべ)の清水に着いて休まれ、徐々に意識が回復されました。
故にその清泉が居醒(いさめ)の清水と名付けられました。
場所の記載がなく、三か所が古くから名乗りを上げています。

伊吹山南山麓、関ヶ原町玉の「玉蔵部の清水」。
     西山麓 米原市大清水、「泉神社の神水」。
少し離れていますが 中山道醒ヶ井宿の「居醒の清水」。
 



まず初めて訪れた関ヶ原町玉の玉蔵部の清水。

関が原鍾乳洞入り口の近くに密かにあります。








 










伊吹山西山麓、米原町大清水の泉神社の神水。









石碑は滋賀県知事 武村正義 謹書。




下方の神水拝受所にはポリタンクや2リットルペットボトルを多数持参した方々で
賑わっていました。
ペットボトルに汲んで頂いてみましたが、かすかな甘みさえ感じるおいしい水でした。







中山道醒ヶ井宿。
中山道沿い清水の流れる小川に咲く梅花藻が有名で度々訪れていました。
 居醒の清水から醒ヶ井の地名が付けられたと言われています。












加茂神社の下からこんこんと清水が湧き出しています。




少し時期が遅い梅花藻。




日本武尊は居醒泉で気が付かれて京へ東征の報告に向かおうとされますが、
四日市、鈴鹿あたりで倒れ、亡くなられたとされます。
草薙剣は神話の時代から現在にいたるまで、時代の流れとともに様々な運命を
乗り越え、神剣、神聖であるがゆえに、天皇や熱田神宮の宮司でさえも、
実物を見ることはないと伝わります。


以前に古事記の訳本は読んだことがありますが、神々や歴代天皇の名前が次々に
記されて読むのに精一杯、理解できる所までは至りませんでした。



にほんブログ村 写真ブログ 中部風景写真へ


にほんブログ村 花・園芸ブログ 季節の花へ


私の店

お茶、茶道具、健康茶、抹茶アイス・グリーンソフト
  httpS://www.suigyoku.co.jp/      
 ヤフー店
    httpS://store.shopping.yahoo.co.jp/suigyoku/

   

  アマゾン店

7月に夏の花を楽しんだばかりですがこの時期にはあまり訪れたことがなく
どんな花に出会えるのでしょう。

7月の伊吹山  伊吹山の花々

真下は米原町、琵琶湖。 中央右が竹生島、左は長浜市街地。




アキノキリンソウ。今回はこの花が一番多く見れました。

どうしてこの花がキリン(麒麟)なのかしら、と言われる方もありましたが、
黄輪草とも書かれます。乗鞍などでもたくさん見かけますがもう少し背が高い。

 




シロヨメナ(白嫁菜)



シオガマギク





マムシグサの実



                   7月に多く見たマムシグサ。



ウラゲノギク





ジンジソウ(人字草)、下に垂れた長い花弁が人の字に似ていることから名づけられた。




イブキトラノオ。



サラシナショウマ






伊吹山頂上。

今年7月の大雨で登山道が大規模崩落し、米原側山麓からの登山道は
通行禁止になっています。






アゲハ。 成虫の寿命は2,3週間とのことですが毎回頂上で出会います。




サクライウズ(イブキトリカブト)。







伊吹山へは40年ほど前から訪れています。20年ほど前にはドライブウェイの駐車場
売店で私共の抹茶ソフト・グリーンソフトをソフトサーバーを設置して販売していて、
オープン前、閉鎖後には必ず、シーズン中も時折訪れたものです。(ドライブウエイの
経営社が変わって引き上げました)

その頃には頂上、伊吹山のお花畑の高山植物の豊富さは日本中で知られるほど
でしたが、その後イノシシに堀り尽くされ、鹿に食べ尽くされ、柵に囲まれた場所のみ
という寂しい状況になりました。

この日も頂上部を囲う柵の修理、新設などを大勢で行われておりました。



にほんブログ村 写真ブログ 中部風景写真へ


にほんブログ村 花・園芸ブログ 季節の花へ


私の店

お茶、茶道具、健康茶、抹茶アイス・グリーンソフト
  httpS://www.suigyoku.co.jp/      
 ヤフー店
    httpS://store.shopping.yahoo.co.jp/suigyoku/

   

  アマゾン店








濃尾平野の西北端、国内有数の化石の採取地としても名高い金生山(217m、
正式名称、かなぶやま 通称 きんしょうざん)の頂上の金生山明星輪寺。

持統天皇の勅令により686年に創建され、その後恒武天皇の時代に空海(弘法大師)
により再建されたという由緒ある真言宗の寺院。正面の本堂の本尊は岩に彫られた
虚空蔵さん。西美濃地方では赤坂の「こくぞうさん」と親しまれています。

彼岸花が満開と聞き訪れました。










本堂




境内は石灰石のカルデラの岩巣公園としても名高い。









観音像



虎像




古代には伊勢湾の最北端、木曾三川の扇状地、濃尾平野になりましたが、石灰岩の
隆起山、小規模ではありますがカルデラを実感できます。





くぐり岩。




屏風岩。



岩間にヒガンバナ。




クロアゲハ。




岩間に芙蓉も咲き誇っていました。




金生山は四季の花々でも知られるほか、6,7月のヒメボタルでも名高いところです。
ヒメボタルは深夜0時から2時の発生と言われ、お邪魔できずにいます。





山の上から見える「岐阜のピラミッド」とも呼ばれる石灰岩の山。




半世紀近く前から緑に包まれたこの地を周りの道路から見てきましたが、石灰岩が
掘られこのような姿になっています。日本有数のセメント生産地です。

日本のインフラを支えてきた地ですので何とも言い難いところです。

今では山が少し残された明星輪寺と大垣市化石館、金生山神社などがある狭い地
のみ残されています。

近くでは伊吹山の西側が姿が変わるほど掘り尽くされるなど、各地でこのような姿を
見ますが、沖縄を訪れ、車で美ら海水族館を訪れた際、少し手前に同じような
光景を見て、ここでもかと驚いた次第でした。

セメント工場群、後方は大垣市西部から垂井町。
山の反対側東側にもセメント工場が林立しています。







にほんブログ村 写真ブログ 中部風景写真へ


にほんブログ村 花・園芸ブログ 季節の花へ


私の店

お茶、茶道具、健康茶、抹茶アイス・グリーンソフト
  httpS://www.suigyoku.co.jp/      
 ヤフー店
    httpS://store.shopping.yahoo.co.jp/suigyoku/

   

  アマゾン店
椛(はな)の湖に隣接する、坂下営林署が所有していた標高560m、苗圃15ヘクタールを
平成8年に旧坂下町が購入し、「椛の湖自然公園」を整備しました。

平成9年から広大な耕地の6.5ヘクタール、岐阜県で最大級の面積を誇るそば畑を作り、
「椛の湖高原そば」と命名、道の駅・きりら坂下にて自家製粉し良質、新鮮なそば粉から
打ち上げたそばを販売しています。

そばの花は満開を迎え、4年ぶりにそば祭りが盛大に開催されました。









見渡す限りのそば畑。



















そばの実が見える苗もあり。








珍しいきれいな蝶。 知識が乏しく?。




そばの純白をバックに彼岸花。








灌漑用の人造湖のこの地で日本初の野外フェスティバルが開かれたのがこの場所です。
有名なアメリカのウッドストックフェスティバルより1週間早く、世界初の野外フェスティバル
でもありました。
1969年8月から3年間開催されましたが、最初の年の観客は2~3000人、2年目は8000人弱、
3年目は20000~25000にもなり、この狭い土地では収拾がつかなくなったことが続けられ
なかった一因です。

初回には五つの赤い風船、高田渡、高石ともや、岡林信康、上條恒彦、中川五郎達、後には
吉田拓郎、五輪真弓、ガロなど今でも有名なフォークシンガーがほとんど参加しました。

残念ながら地元の放送局に入社したのはその後でしたが、先輩達からそのスケールの
大きさはよく聞かされたものでした。主催者の笠木透氏(故人)にはお会いしたことも
ありますし、ワイド番組のゲストとして訪れてくれたシンガーもありました。

同僚とこの地を訪れたこともありました。

私など年配者には今話題のジャニーズのメンバーなどほとんど分からないように、
若い方々にはフォークシンガー??と思います。




椛の湖は熱夏と少雨で今年は貯水量が少ない。正面がフェスティバルの会場です。




フェスティバルが行われた場所。









そばの純白の花を楽しむと、やはりその地の本格的なそばの味を楽しみたいもの。
坂下道の駅に椛の湖のそばを扱う食堂はありますが、本格的なそば専門店はなく、
中津川と言えばこの季節には「栗きんとん」。お土産に買い求めて帰りました。


にほんブログ村 写真ブログ 中部風景写真へ


にほんブログ村 花・園芸ブログ 季節の花へ


私の店

お茶、茶道具、健康茶、抹茶アイス・グリーンソフト
  httpS://www.suigyoku.co.jp/      
 ヤフー店
    httpS://store.shopping.yahoo.co.jp/suigyoku/