台風9号後 温帯性低気圧に変わった 伊良湖岬 令和3年8月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

台風9号と10号がダブルで日本を襲い多々の被害をもたらし、その後は梅雨の時期のような
気圧配置、線状降水帯の出現で中国地方では豪雨による被害が出ております。

8月9日は東海地方では温帯低気圧に変わり、台風一過ほどではないまでも青空ものぞき、
このところ山の景色を楽しんできましたので海を見たくなり、いつものように伊良湖岬を訪れ
ました。

渥美半島国道42号、遠州灘へ向かいましたが、海は荒れ、潮風が吹き付けてまっすぐ立つのに
苦労するほど。





いつもはサーファーが多く見られるロングビーチ。この日海が荒れ狂っていました。

毎年数多くのサーフィンの大会が開かれ、若者達で賑わいます。




菜の花で有名な公園はヒマワリ畑に変わっていました。







国道沿いの防風林にはノアサガオやユリの群生が続いていました。






片浜十三里。

断崖絶壁が続く海岸線で、太平洋の怒涛が打ち寄せる。 日出の石門から浜名湖方面まで十三里
(約52km)続く雄大な砂浜。 





片浜十三里を望む地に「椰子の実」の詩碑が建てられています。

「椰子の実」(やしのみ)は、島崎藤村が明治時代に執筆した詩。昭和に入って曲が付けられた。
(明治34年)刊行された詩集「落梅集」に収録されているこの詩は、(明治31年)の夏、
1ヶ月半ほど伊良湖岬に滞在した柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語り、
その話を元に創作したものである。



太平洋の怒涛にけずられて中央部が空洞になったもの。沖の石門、岸の石門の二つがある。

日出の石門(ひいのせきもん)、沖の石門。



日出の石門、岸の石門。



石門からも荒れ狂う海。









 恋路ヶ浜(こいじがはま)は、渥美半島の先端、伊良湖岬から付近にある日出の石門までの、
 約1kmの砂浜。

 その名の歴史は古く江戸時代の1808年(文化5年)には和歌に『春さめにぬれてひろはん
 いらご崎 恋路ヶ浦の恋わすれ貝』などと歌われており、伝説では、その昔、高貴な身分の
 男女が許されぬ恋がゆえに都を追放されこの地に暮らした事にちなむという。
 
 



名古屋港へ通じる伊良湖水道。荒れ狂う海の中、大きな貨物船が進んでいました。
右の島は神島。



渥美半島の先端で、もと陸軍の大砲試射場。航海の難所として有名だが磯釣りの名所でもある。
伊良湖岬灯台があり、「潮騒」の舞台神島が眼前に。
伊良湖のシンボル。昭和4年に建てられ、当初は光源にアセチレンガスを使ってたが、昭和35年に電化。
太平洋から伊勢湾・三河湾までを一望し、平成10年に「日本の灯台50選」に選ばれた。






灯台から戻る海岸沿い、砂地に一番多く見られる「ハマゴウ」。





セイヨウトゲアザミ。 葉の厚さ、棘の鋭さ、触った時の痛さは別物です。




サボンソウ(シャボン)。
 ヨーロッパ原産。古くから薬用植物として知られ,根はサポニン類を含むため,セッケン代りに
 使われた。






恋路が浜。山の上は伊良湖ビューホテル。大昔一度だけ家族で泊まりましたが、その後は伊良湖港側、
海岸沿いに大きなホテルが作られそちらへ幾度も訪れました。

浜辺へ降りると(他に人は無し)強風に舞い、体に当たる砂が痛いのを初めて体験しました。
前向いては進めません。半袖の腕にあたる砂の痛さ、帽子を被っていなかったら大変なことに。
砂嵐とはこの様なことかと思われたことです。




恋路が浜海岸沿いには多くの食堂があり、名物の大ハマグリ、サザエを頂くのも楽しみの一つ。
車なのでお酒が飲めないのが残念至極。





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