雪に包まれた 岩村城   平成30年2月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         


寒くはありましたが大垣から東濃へ向かいますと恵那は雪に包まれ、
全国一の生産量を誇る糸寒天で名高い山岡も雪に包まれて寒天の日干しに出会うことは
かないませんでした。 
      山岡寒天: https://ameblo.jp/ksuigyok/entry-11164870470.html
  
東濃は恵那、山岡、多治見、土岐、瑞浪など盆地気候で雪は少なく底冷えのする寒い土地と
いわれてます。

山岡から岩村城址へ向かいました。

江戸初期に岩村藩主となった松平家乗は居館を山頂から北の山麓へ移し、

明治に入り火災等で取り壊されました。
居館跡に再建された太鼓楼から岩村城下。







居館跡から30分ほどの道程、海抜717mの天守跡へ向かいます。





木からの落雪、前を進む方はお気の毒。





土岐門





霧ケ井、今もこんこんと水が湧き、岐阜県の名水にも選ばれています。












天守にあった八幡神社は明治に入り山腹へ移されました。






六段壁











天守跡も雪に包まれていました。





岩村遠山氏の当主・遠山景任は信長の叔母に当たる通称・おつやの方を妻にしました。
元亀三年(1572)、
景任が子のないまま病死すると、信長は自分の子・御坊丸を養子
として送り込み、叔母を後見人としました。御坊丸は幼少のため叔母を後見人とし、
おつやの方が城主を務めます。
信玄の武将・秋山虎繁が侵攻すると、おつやの方は岩村城を開城し、
虎繁と結婚、
御坊丸を信州武田側へ人質に差し出します。
天正五年(1575)、信長は岩村城を奪還、
虎繁おつやの方は信長の命により
はりつけ刑にされました。

その後信長配下の河尻秀隆、次いで森蘭丸が城主を務めましたが、天正十年(1582)本能寺の変で
討ち死にすると兄が城主となっています。

岩村町では以前より江戸時代の雰囲気を残す城下町と共に「女城主」の岩村城として
宣伝に努めてきました。
























恵那山や岩村を望む城址からの絶景は雪にさえぎられていました。





私以外にも雪の中、7,8人の登城する方にお会いしました。

大和高取城、備中松山城と共に日本三大山城と謳われるスケールの大きさを楽しませて
頂きました。


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