河村市長が名古屋城の木造再建築を公約の一つにして本年4月の市長選で当選したところです。
戦災消失した名古屋城は昭和34年に鉄筋コンクリートで再建されましたが、耐震問題などで
今秋には立ち入りできなくなるとのニュースが流れました。
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は慶長14年(1609)に大阪豊臣方への備えとして名古屋城の
築城と、清州から新城下へ街丸ごとの引っ越しを決定しました。
慶長15年、名古屋城築城に当たって、加藤清正、福島正則ら西国大名20家に普請を命じました。
慶長17年(1612)ほぼ完成し、以後徳川御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
私が小学生の昭和30年代、家族で訪れましたが、再建されたばかりでピカピカ、エレベータに
乗って登り、子供心に「これはビルディングで、城ではない」と興味半減した強烈な印象が残って
いてその後一度も訪れたことがありませんでした。
もうすぐ天守立ち入禁止になるとあって、また、篠島へ訪れた際、名古屋城の石垣の石がここから
運び出されたと聞いたこともありまして、今回が最後と、訪れてみました。
北側、お堀の外から見た名古屋城天守。
半世紀を経て落ち着いて威風堂々とした天守閣です。
北西隅櫓、清須櫓とも呼ばれ、信長が築いた清須城を移築したと伝わります。
5月にはお堀で肉食の外来魚・アリゲーターガーが捕獲されたとのニュースがあったばかりです。

天守西の空堀

内堀には鹿が放たれていました。

名高い金の鯱

再建中の本丸御殿。平成30年に完成をみます。

一部公開中の本丸御殿内




こちら南側の雌ですが、双方高さおよそ2,7m、重量は1,2t ほど。

天守最上階、7階から北方、天気が良ければ金華山、岐阜城も望めるようです。

西方、名古屋駅ビル群。

南は栄町、名古屋テレビ塔。

東方、天気が良ければ御嶽山等望めるようです。

戦災前の名古屋城写真(昭和6年) : 城内に掲げられたパネル写真



清正石
名古屋城最大の石垣石材、ここ本丸搦め手、枡形の石垣は黒田長政の担当であったが
巨石のため普請の名手、加藤清正が組み上げたと伝わる。

5月に訪れた名古屋城の石垣の石を切り出した篠島
http://ameblo.jp/ksuigyok/entry-12272289050.html
熊本城、大阪城と並んで石組みの美しさで知られ、清正三名城と呼ばれます。
熊本城 http://ameblo.jp/ksuigyok/entry-11920624259.html

名古屋城、木造で再建されてもやはり50年、100年経たないと風格は出ないのしょう。

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