菅沼合掌造り集落は、現在、険しい山間に流れる庄川の川岸のわずかな丘陵に
9戸の合掌造り家屋が残っています。
このあたりは日本有数の豪雪地帯、厳しい自然に耐え、頑強な構造の
住宅として、合掌造りが生まれました。
幕府の目が届かない秘境で、300年以上つづいた加賀藩の鉄砲の火薬原料、塩硝作りと
養蚕で生計が立てられていました。
田んぼの稲苗の若緑が目に浸みる美しさ。
すっかり観光地化した白川村と異なるこの静けさがたまりません。
冬の五箇山
http://ameblo.jp/ksuigyok/entry-11464498437.html
菅沼から相倉へ向かう途中、五箇山観光案内所近くの流刑小屋。
美濃側からも加賀からも秘境の五箇山は加賀藩の流刑地になっていました。
五箇山に罪人が送られてきたのは寛文7年(1667)から明治維新まで
200年で150人ほど。
流刑地は庄川の右岸に限られ、逃亡を避けるために橋を架けず、篭の渡しを
使わせた。
間口2,77m、奥行3,63mの流刑小屋。
食事は牢番が柱に開けられた穴から差し入れるだけであったと伝わる。
相倉(あいのくら)合掌集落には23棟の合掌造りが残っています。
現在も60人ほどが生活をしておられ、100年~200年の家が多く
最古で400年と言われます。
そば畑
相念寺
土産物屋さんのささら。
TVでよく紹介されるが、「こきりこ節」を歌って踊る際に用いる民俗楽器。
108枚の木片と両端のグリップを、ひもで結びつけた形をしている。
屋根の葺き替えは15年から20年ごと、今では森林組合が中心になって行って
いるそうです。
幾たび訪れても心落ち着く五箇山の合掌造り集落です。
秋篠宮殿下ご夫妻も民宿で泊まられたそうですが、世界で好きな三カ所の
うちのひとつと言われたそうです。
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