金華山 岐阜城 初登山 歴史をたずねて その1 平成24年10月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         


晴天に恵まれ、兼ねてからチャンスを狙っていた金華山、岐阜城への

初登山です。


若い頃から取材の仕事などでロープウェイでは十数度は訪れて

いるものの、徒歩での登山は初体験です。

子供の頃、笹葉と覚えなさいと何度も言われた338メートルの山の

高さは現在では公表329メートルです。


鵜飼いで名高い長良川畔にそびえ立つ急峻な金華山は美濃地方の

どこからも望むことができ、緑に包まれた県民の心のよりどころでもあり、

戦国時代、斎藤道三、織田信長などの歴史を彷彿とさせる地でもあります。


金華山の山名は、ツブラジイの花が咲くと山全体が黄色く見え、金色に輝いて

見えることに由来し、山すその会社に勤めていた私は実に初夏のその美しさ

を実感したものでした。




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山裾の岐阜公園から百数十メートル登った場所に伊奈波神社の旧跡碑があります。


天文8年(1539年)、斉藤道三が稲葉山に稲葉山城を築城するにあたり、現在地に

遷座。



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現在の伊奈波神社は


  http://ameblo.jp/ksuigyok/entry-11132221778.html



金華山北下には御手洗池があり、この伊奈波神社にお参りする際、手を清めた

と言われる。




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関ヶ原合戦の後、城主の織田秀信は西軍の石田三成に味方したため、徳川軍の

福島政則、池田輝政らに攻められて落城。そのおりに多くの奥女中達がこの池で

投身自殺をしたと伝えられています。


学生時代に岐阜公園内の県立図書館へ訪れた後、池の端のベンチで

ゆったり読書をするなどした懐かしい場所です。



この伊奈波神社跡から、急な岩場の坂道が続く1キロほどの「馬の背登山道」と

ゆったりした「めいそうの小径ハイキングコース」に分かれます。




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往きは馬の背登山道にチャレンジしてみました。


岩場登り3,40分で岐阜城へ。道三や信長の現在の岐阜公園にあった

館から最短距離で、この山道を使っていたと思われる。



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岩の上を歩いて登ります。



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平日ですので歩いて登った中高年の男女や幼稚園の子供さんも数十名、

お弁当を食べながらにぎやかな頂上部でした。



山城では水の確保が重要で、岩山のため雨水や、岩からしみ出る水を

貯めた岐阜城の井戸「金銘水」。ほかに三カ所掘られています。



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城のすぐ下には長良川。



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岐阜城からは濃尾平野や伊勢湾まで一望でき、道三や信長がこの景色を眺めながら

国盗りの夢を見た想いにはせらされます。



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弘治二年(1556)、嫡子斉藤義龍と長良川で戦って死した道三は 崇福寺南西に

埋葬されたが度々の長良川氾濫で流され、天保八年(1837)に常在寺の日椿上人

によりこの地に移して碑を建てたものである。



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余談、40年ほど前(1973年)、大河ドラマの国盗り物語が放映された時にこの地に

お住まいの兄の友人、はあまりの大勢の人々が押しかけ、生活もままならずに

他所へ引っ越しされたそうです。



信長の菩提寺、崇福寺、臨済宗妙心寺派の寺院。


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本堂には信長の書状などが陳列されています。古文書の文字は私にはしっかりは

読めませんが、「雪月花」の信長直筆の横物軸がかけられており、今まで見てきた

信長の字とは異なる柔らかい几帳面な字が書かれていました。


信長、信忠の墓と廟所、位牌所が本堂のうらに設置されています。


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かの快川和尚が大桑の南泉寺から崇福寺へ移って住職を務めたことで

知られますが、現住職、増田さんは大桑の南泉寺近くの善性寺で生まれ育った

方であることも何かご縁があるような気がします。



土岐頼芸の大桑城趾も真北に望みます。



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私が育った大桑の集落では400年をすぎても普通に土岐の殿様と崇められて

おり、南泉寺の本堂にいつも掲げられていた鷹の絵のすばらしさは村民誰もが

認めるところでした。反面、道三はあくまで我が殿様を追いやったにっくき人物。

私どもは土岐氏の百姓武士の子孫であろうと推察できます。


以前ブログ上の方にお知らせしたことがありましたが、道三は幾度も大桑城を攻めた

ものの400メートルほどの急峻な山頂に砦がありなかなか落とすことができませんでした。

あるとき山北の青波の老婆が斉藤軍に下から火を放ったら簡単と入れ知恵したため

大桑城は焼失、滅びてしまいました。

400年も経た私が子供の頃でも、大桑と青波は村同士が仲違いしていて

青波の方との婚姻はありえないことでした。怨念の深さを思い知らされた

ことです。

世界中で民族間紛争など何百年経っても繰り返されることはご承知の通りです。


大桑城趾は


  http://ameblo.jp/ksuigyok/entry-11215591925.html





金華山から下りは2キロほどのゆったりしたハイキングコースを1時間かけて

岐阜公園へ。


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岐阜公園上では今なお信長居館の発掘調査が行われており、

公園内の資料館には発掘品が展示、公開されています。



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一昨年の岐阜城


http://ameblo.jp/ksuigyok/entry-10644508167.html




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