MOON & SUN カズ -9ページ目

MOON & SUN カズ

リニューアル中〜^^



 

このたび「完全版」が出るとのことで、(旧・新、読み比べるのもいいかもと思い)昔買ったものを読み返してみました。内容、どんなんだったか忘れてましたが、号泣したのは覚えてます。

 

まー以前読んだのもやし、まさか今度は泣かへんやろぉ、とたかをくくって読みましたが、

 

やっぱり号泣(ToT)

 

来春出版される「完全版」(ネットで一部先読みできます)は本文ストーリーはほぼそのままで、「解説」が大きく変わっています。

 

時代を経て、集まった感想を元に再構成されたようです。

 

簡単に読めますので(中身は重い。。)、まだの方はご一読おすすめします。


 



 

よく知っているこの曲にこんなに壮大な背景があったなんて・・

 

作詞のジョン・ニュートンはロンドンの聖書者。キリスト教に身を捧げる前は黒人奴隷貿易船の船員だった。

彼はどのように葛藤し、成長し、「すばらしき恩寵」を書き上げるに至ったか。

 

神渡良平氏の深い洞察と緻密な取材が見事に結実した一冊。

 

ニュートン司祭は臨終の際に「奴隷貿易廃止法案」を可決させる。

それまでの長き苦難。当時のイギリス議会の猛反発『奴隷貿易の上に産業が成り立つ』『奴隷貿易の上に何万人の生計が成り立つ』はそのまま「奴隷貿易」を『原発』に置き換えると現代にオーバーラップする。

 

肝心なのは「人として正しいか」ということにつきる。

 

この書のテーマである「人生に起きる出来事に、意味のないものはない」「誰ひとりとなく、神(大いなる存在)の恩寵を授かっている」は、(本書の最後に書かれてあるが)フランクル『夜と霧』の「それでも私は人生にイエスという」という言葉と通じている、という点が実に興味深い。

 



「くつした」を愛し、その生み出しに命を掛けた経営者(愛媛県周布村ご出身!)の奇天烈人生訓!!

 

(昔キテレツ大百科というのがありましたが、「奇天烈」は、れっきとした日本語で江戸時代からあるんですね)

 

余談はさておき、この書も「オススメしたい一冊」に加わりました。

 

よく逆境を経験したひとは強い、と言われますが、この越智会長(また余談ですがウチの田舎にも「越智さん」が多いです)の逆境度も半端ないですね。11人兄弟の末っ子に生まれ、少年の頃から大阪に丁稚奉公。

 

それこそ逆境に耐えていきますが、中学時代の恩師の言葉を覚えていました。

 

「丁稚に行っても勉強しろ。中国古典を読め。」

 

そこで「中国古典ください」といって古本屋に飛び込む下りが面白いです。

 

でも、そこで出会ったのが『孫子』。

「読書百遍、意自ずから通ず」を忠実に実行します。

 

こだわりも凄いです。世の中の靴下事情を調べるため梅田の百貨店で靴下に頬ずりするのはもちろん、靴下をがしがし噛むのです。
 

『靴下の弾力を確かめるには噛むのが一番なんですわ。いい靴下は噛んだ後に歯型が残らず、自然と原状に戻りますが、品質が落ちる靴下は噛み跡が残ってしまいます』

 

目が点・・・

 

そうして、「靴下屋」「ダン」「タビオ」が成長していきます。

 

そういえば上の商標の靴下専門店をよく見かけてましたが、結びつきました。
 

阪急梅田の紀伊国屋前にある「タビオ」をちょっと覗きましたが、なるほど品質素晴らしそうです!

これからのクリスマス、プレゼントにもいいかも、と見入ってしまいました。



どなたが紹介してくださったかちょっと忘れたが、強烈な題目だったのでいつかは読んでみたいと思っていた。

「ハトはなぜ首を振って歩くのか」って…
そんなことどうでもええやん、気になるけど。

軽いノリのソフトなハウツー本かと思ったら、
ガチの「ハトは」「なぜ」「首を」「振って歩くのか」の検証本でしたね。
ま、岩波科学ライブラリーですから。

はたしてその「理由」がわかったようなわからんような(笑)

あ、ハト歩きのパラパラ漫画とか乗っててユーモアのセンスもあります。
明らかに著者はウケを狙ったところもあります。岩波科学ライブラリーですが。

歩行の仕組みや、骨格や、個体差や、確かに学術的に論拠は大切です。

が、結局やっぱり「どっちでもええのんちゃうん」と思ってしまうのでした。




「インターネットにより全世界の情報が一瞬で手元に。

・・・それがどうした。」

池田晶子氏は「残酷人生論」のなかでこう語る。

「情報によって満たされる世界とは、情報がなければ空疎な世界である。

もとが空疎な生活が、外からの情報で、ほんとに満たされることになるのだろうか。」

「情報によって、知性が活発に、身軽に、柔軟になると。それもとても良いことだ。でもそれはほんとによくなることなのだろうか。情報によって動きだす知性とは、情報によらなければ動き出せない知性である。」

池田晶子さんという人の考え方はとても面白いと思う。
普段当たり前に経験している価値観の「逆」、または違う視点から、刃物を突き立てるように、哲学として突きつける。

「情報は知識ではない。情報にあるのは損得だけだ。損得には損得による優劣はあるが、しかし人生と魂の価値では絶対にない。」

まさに「逆のものさし、哲学版」

思うに、「書を読むこと」も情報の教授であり、そこで留まってはいけない。

「我思う、ゆえに我あり」・・・「人間は考える葦である」・・・

昔の偉大な哲学者の言葉の通り、自分で考えること、それが出発点。





こちらもオススメ。




多くの信頼ある方が絶賛さている中で、
すみません、僕は、読了感の優れない一冊でした。

(記事を書くか非常に悩みましたが、やはり残すことにしました)
(この本を読んで感動された方は、不愉快になりますので、以降読まないほうがいいです)



俄然、面白く読んだ。3分の2まで。
日本の少女と、アウシュビッツの少女の時空を超えたつながりに、
とても感動を持ち、読み進めたが、
次第に妙な にがにがしさ が心に溜まっていった。

この作者は何が伝えたいのだろうか。
音楽の強さか、
アウシュビッツの凄惨さか、

ガス室に送り込む、その狂気、阿鼻叫喚を「かき消す」ために、
音楽が、使われます。囚人演奏者も、生きるために。

たとえこれが史実だとしても、事実だとしても、
なんだか やるせない思いです。

子供にホロコーストの一端を知らせるための、教育書ならありかもしれない。
平和を考えさせる一つのフィクションなら良いのかもしれない。

でも音楽を、そのように(小説を仕立てるために)利用して、良いのか、
という複雑な思いです。
うまく言えなくてすみません。

アウシュヴィッツもその楽団も悲しい史実であり、楽団員は強制労働やガス室送りを免れるが、
それは同胞であるユダヤ人を裏切る事であり、結果的に二重の苦しみを強いられる。

主題はわかるのですが、重いです。僕には。

音楽の持つ力は偉大で、強く、神聖で、美しい。

それが、そのように利用されて、変に感動的に作られて、
面白くないのでしょう。きっと。


僕は、小さいことにこだわるので、登場人物の名前にも違和感を持ちます。
なんで、チェロといえば カザルス やねん
なんで アルル・ビゼー やねん(アルルといえぱビゼーて安直)

そう思って読むと、史実とフィクションとの間に設定の無理矢理さを感じます。

最後は え、これで終わり?? という感想です。

なぜ、「シューベルトのアヴェマリア」にこだわるのかも、疑念です。

ネタ本(『チェロを弾く少女アニタ』)があるようで、まずそちらを読んでみたいと思いました。





われわれ現代日本人の伝統的な社会観や美意識を支えているのは武士道です。そしてその根幹には「陽明学」があります。

僕の中での混沌としたつながり、

儒教?五経?武士道?西郷隆盛?安岡正篤?言志録?論語?朱子学?中江藤樹?大塩平八郎?陽明学?

これらを、ずばばっっと明快につなげてくれたのが本書です。

すなわち
儒教の経典四書五経(大学・中庸・論語・孟子・詩経・書経・礼記・易経・春秋)
孔孟の教え

朱子学(性即理)
↓(↑批判)
陽明学(良知を致す=致良知)
 王陽明• 伝習録

中江藤樹(日本の陽明学の祖)

熊沢蕃山(中江藤樹を継承)

佐藤一斎(言志四録)

大塩平八郎(洗心洞箚記)

西郷隆盛(西郷南洲遺訓:言志四録・洗心洞箚記を愛読)

(以下頭山満、中村天風、安岡正篤・・・と続く)


この本の面白いところは、大塩平八郎が語り手であること、
そして朱子学や頼山陽をコテンパンに喝破していること・・・

頼山陽といえば箕面の滝にも句碑があって、
「江戸時代の漢文の名手」という印象だったのですが・・

いや、何が本当かはわかりませんよ。
でも「モノサシは一つではダメ」ということですね。

最初「悲しみの秘儀」を読んだとき、正直ピンとこなかった。

ところが「生きる哲学」を読んで若松英輔さんという、素晴らしくも稀有な作家に震えた。

なんて緻密な文章、過不足のない、そして満ち足りた文章を書く人だろう。

そう感じ入った後「悲しみの秘儀」を読み返してみると、なるほど、若松英輔さんだ。面白い。

趣が違えば読書はの愉しみは違ってくるのか。

「生きる哲学」は新たな思索を切り拓いた14人の「哲学」を語る。そしてその哲学の背景と思想とを語る。

宮沢賢治、堀辰雄、リルケ、美智子皇后、・・・そして僕にとって衝撃的だった原民喜。

哲学のことはよくわからない僕だが、

 なぜ生きるのか。

 なぜ生きなければならないのか。

いっちょ取り組んでみようか という気になる。

(清水店長の影響があればこその通過点だ)

さて「夏の花」をもう一度読みたくなった。



西郷南洲は「言志四録」を愛誦し、その中から101条を金科玉条として「南洲手抄条項」に纏めた。

遡れば大塩平八郎、中江藤樹、陽明学、四書五経を仰ぎ、
たどれば、山頭満、中村天風、安岡正篤らに行き着く。

「さて、若い者が発奮しないのは意気地の無いこと」「機関とは船を進行さす蒸気機関であり(中略)学問進歩の機関は、石炭でも油でもなく「くやしい」「残念だ」という憤の一字であります」(言志録講話)

さぁ今こそ「西郷ライン」を辿ることで、心に一本の筋道を。





先日届いたみやざき中央新聞の「くるみの談話室」でくるみ社長がおっしゃった。
「みやちゅうは日本になくてはならない新聞になった」と痛感しました。と。

「その通り!」と思わす膝を叩いたのは私だけでしょうか。

万全で臨んだ25周年記念行事。
そこに襲いかかった熊本の震災。

言葉にできない動揺や不安があったでしょう。

それらを乗り越えて多くの「みやちゅうを愛する人」が集まり、
式典は盛会に終わったと聞きました。改めて、おめでとうございます!!

みやちゅうの25周年の蓄積は、
「感謝」と「ありがとう」の蓄積。

すべてに感謝して、苦難を喜んで受け入れる、ということを教えてくれる、
それは苦難ではなくて喜びなんだよ、と気づかせてくれる、

こんな「新聞」がほかにあるでしょうか。
電車で読んでいて涙が溢れる新聞が、・・・。

私は、すなおに、応援したいです。


水谷編集長のひとこともすばらしい。

「地球に住まわせていただき、ありがとうございます」
100万回のありがとうを、この星に。

(みやざき中央新聞2016年4月25日号)