<北方に進出したウクライナ軍はセイム川で大量のロシア兵を包囲。
川にかかる・・・全ての橋を攻撃し、ロシア軍が架けた仮設橋も攻撃し、
完全包囲を図っている。近いうちに、大量の投降者を確保することになる>
アメリカが禁じていた越境攻撃にウクライナが踏み切ったのは、
ロシア軍を包囲してできるだけたくさん投降させて、
ウクライナ人捕虜や連れ去られた民間人をできるだけ多く交換したいから。
かつては同じソビエト連邦の国民だったロシア人とウクライナ人は、
国民に苦しい生活を強いる独裁者スターリンが大嫌いで、
第二次大戦でドイツに攻め込まれて「大祖国戦争」と鼓舞されても、
その士気は低く、すぐに投降してしまうヘタレ軍隊でした。
ところが劣等民族の殲滅を戦争の目的としていたドイツ軍は、
ジュネーブ条約にお構いなくソ連軍捕虜を殺害してしまいます。
どうせ捕虜になっても殺されることを悟ったソ連軍は、
生まれ変わったように必死になってドイツ軍に抵抗、
ヒトラーは殲滅作戦の撤回を余儀なくされのちにベルリンは陥落しました。
ナチスによって虐待・虐殺されたロシア人とウクライナ人。
捕虜の死亡率が5割を超えるほどのすさまじさです。
ユダヤ人が多数殺害された収容所のガス室で、
最初に殺されたのはソ連軍の捕虜たちでした。
そんな経験がウクライナの人の心に何かを残したのでしょうか?
2年前のロシアとウクライナ紛争開始当時にはこんなこともありました。
去勢されてロシアに戻った兵士のことをプーチン大統領が、
「ナチスだってここまではしなかった」と演説していたのが印象的です。
この医師はロシア人捕虜の去勢は民族浄化のために正しいと信じています。
バレたくなければ殺してしまうはずですから(批判を受けて発言を撤回)
ノモンハン事件当時のソ連軍捕虜と日本の衛生兵
捕虜の扱いが最悪だ、と言われて裁かれた旧日本軍ですが、
他国の、捕虜に対する残虐さもかなりのものです。
かつて大日本帝国軍が「捕虜になるより自殺しろ」と教えたのは、
日清戦争における中国軍の捕虜に対する残虐行為がきっかけでした。
<フランスのフィガロ紙記者カレスコーは
「大日本帝国軍隊が世界に対して、誇りに 足る名誉を有する」とし絶賛、
・・・中国軍については「ひるがえって清国軍を見よ。
日本軍の一度彼らの手に落つるや、あらゆる残虐の刑罰を以て、
これを苦しむるにあらずや。或は手足を断ち、或は首を切り、睾丸を抜く。
その無情、実に野蛮人にあらざればよくすべきの業にあらず・・・」>
山形有朋の像
<明治27年9月、京城に入った第1軍司令官山県有朋は、部下将兵に対し、
捕虜になることを禁じた次のような訓令をだしております>
<誤って生け捕りに遇わば、 必ず酷虐にして死にまさる苦痛を受け、
遂には野蛮惨毒の所為を以て身命を殺害せらるるは必然なり。
故に決して敵の生け捕りする所となるべからず。むしろ潔く一死を遂げ、・・・
これが、捕虜になることを禁じた我国最初の訓令であります>
(column-11.pdf (goyuren.jp)より)
捕虜になるとあまりにもひどい目に遭うので、
戦地において敵に捕まったら自殺することを勧めたのが、
いつからか「生きて虜囚の辱めを受けず」という教えに変わり、
捕虜は保護し、保護されるもの、という国際ルールの教育を怠った結果、
捕虜の扱いが乱暴な日本軍は「野蛮人」のレッテルを貼られました。
「日本だけが悪いんじゃないんですね!」という教え子の声を思い出します。