そして私の大阪暮らしは

2年目に突入することになる。

 

 

 

1月,2月はバイトもせず勉強した甲斐もあり、無事進級できた私。

 

 

2回生になった私は、ある決断をする。

それは何かというと。。。

 

 

 

1)大阪弁を覚える

2)大阪府民の友達を作る

 

大阪にもっと近づこう!

 

それをテーマにした。

 

 

 

最初の1年は非常に辛く、いい思い出がなかった。

ココには書いてないが、失恋も2回していた(爆)

 

その失恋も地元の女性(高校の同級生)だったから、「大阪に近づく」という行動?ではなかった。

 

 

 

進級が決まった私が最初にすることは、定番のバイト探しだ。笑い泣き

 

 

 

1989年3月~1990年3月までの1年間

 

私はこの店にお世話になることになる。

 

 

 

チャールストン・カフェ

知ってる人いますか?(笑)

 

 

 

昨年末。

 

私は会社の引っ越しをしたんですが

 

偶然? 運命的?

 

この店のマッチが出てきたびっくりびっくり

 

30年前のマッチがたった1個だけびっくり

 

 

 

大阪在住の人はご存知なのだが

当時この界隈は「南区」だった。

※現在は中央区

 

 

なつかすぃ~笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

昔の大阪市の住所は

難波周辺は南区・梅田周辺は北区だったので

大阪は「ミナミ」「キタ」と分けられた。

 

 

 

 

 

場所はココ

※現在の地図上に場所を表示してます。

 

 

※現在のストリートView上に場所を表示してます。

 

 

 

近鉄難波駅の地上入り口を、

南に向かって、スグ右の地下にありました。

(現在はありません)

 

 

Googleで見ると

まだパチンコ四海樓はあるんだね~笑い泣き

 

今はタリーズになってますが、

15年ぐらい前?はSUBWAYだったような・・・

 

30年前、そこはパン屋さんでした。(笑)

 

 

 

 

 

 

最近、昔話を書いてて思うのだが

 

地方の人間が

30年前の大阪ミナミを熱く語る

 

ってのは、いかがなもんなのかと?(笑)

 

 

タイ好きが「タイを熱く語る」のと同じように

大阪好きが「昔の大阪を熱く語る」と見てください

滝汗笑い泣き

 

 

 

 

 

このチャールストンカフェ(以下チャールストン)は、席数が60席ほどの喫茶店だった。

※喫茶店と純喫茶の違いは、

第二の故郷 大阪 10(心斎橋編)ご参照ください。

 

 

チャールストンには、ご飯メニューがあったため、昼飯付きだったのは嬉しかった。爆  笑

 

 

 

 

 

なんと、この店には

レーザージュークボックス

が置いてあった。

 

 

画像で説明したいと思って探したんですが・・・

古すぎてないんですよね滝汗滝汗滝汗

 

 

簡単にいうと、ジュークボックスの音楽がPV(プロモーションビデオ)って構造のもの。

 

1曲100円。

 

曲は洋楽が中心で、一部邦楽(数曲)も。

 

 

 

心斎橋の「ホテルカリフォルニア」では、オールディーズから最新の洋楽のプロモーションビデオを流していたが、ここでは「聞きたい音楽があれば100円で店で流すことができ、PVを見ることができる(客全員が)」という店だった。

 

当時の私は洋楽ばかり聴いていたんで、(日本はディスコ全盛期だったため、世間は洋楽だった)この店でも、好きな音楽の中で働けると思うと、非常に満足だった。

 

 

Debbie Gibson

We Could Be Together

 

当時の私は、Debbie Gibsonが大好きでラブ

このPVは超大好きだったラブ

 

ノリも良く、元気になれる曲だったね!

※歌詞を忘れて誤魔化すシーンはカワイスギラブ

 

 

 

 

 

そして、今までの店との大きな違いは

 

 

バイトは同世代だったのだ!笑い泣き

 

 

 

2年目にして....

ようやく「大学生」っぽい生活に。笑い泣き笑い泣き

 

 

 

 

 

1989年

まだバブル中だった。

 

 

この店も「心斎橋コーヒー院」同様に、ミナミのオフィス街だったため、客層はバリバリのサラリーマンとOLで溢れかえっていた。

 

 

時にはこんな会話が。。。。

 

昨日アルマーニでスーツ買ってん
エンポリオですか?
ジョルジオな

 

こんな会話が普通に飛び交う...

そんな時代だった。滝汗

 

※当時、ジョルジオアルマーニのスーツは

1着30万円以上した。

 

 

ほとんどのお客さんは、モーニング・ランチタイムの1日2回店に来た。

コーヒー1杯が¥300の時代だった。

 

 

 

60席は毎朝満席になり、さすが大阪だったのは

 

満席で席を探すお客さんがいると、ほぼ100%

 

 

ここ空けんで

(※この席を空けるよ! という意味)

 

と言う客がいて、席の譲り合いがあった。

 

 

当時のミナミでは 当たり前 の光景だった。

 

 

だから、バブル期の喫茶店ということもあって、この店で客が並ぶということは一度も無かった。

 

 

 

アレから30年の時が過ぎ。

 

家族で食事に行ったときに満席で待つ人が出てくると、全て食べ終わっていた場合は、長居しないでとっとと帰るようにしており、子供にこのことを教えている。

 

 

パパが大学生の時に

大阪で教わったんだよ。

 

 

 

 

この店で働いたことが、後に飲食業に興味を持つきっかけにもなり、12年後のダイニングバーの経営へとつながっていくことになる。

 

 

つづく....

 

 

是非!

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