kpoint_newsのブログ -67ページ目

暇つぶし

a3229c92.jpg 週刊誌やスポーツ紙の下世話な記事が好きである。
 公共交通機関を使って移動する場合はつい購入してしまうが、基本的には本屋で立ち読みするのがここ数年のスタイルである。理由は察していただきたい。
 
 そんな下世話な週刊誌でもためになるコラムが連載されていて、こればっかりはじっくり読みたい号もあるので喫茶店や図書館あるいは購入して読むことになる。
 
近所の喫茶店。
 スポーツ新聞二紙、雑誌三~四誌を抱えながら読むとはなく親父同士でわめいている野郎がいるが、夜なべで新鮮なニュースを届けようと頑張っている多くの新聞事業従事者は、ただ徒に朝の時間をのほほんとやり過ごす君らの膝の上に乗せるために働いているのではない。
 しんすけがどうだのぺがどうしただという、生きていく上において不必要な記事を日々待ち望んでいる者どもにいち早く読んで戴くために努力しておるのだ。
 
 近所の図書館。
 だから最新刊を何冊も腰の脇に積んでおくじゃない。ここではリーマン風の親父が横暴の限りを尽くしている。最新の情報なんて仕入れても理解できんのだからバックナンバーを閲覧しろ。ぺらぺら頁を繰ったところで頭には入らんぞ。
 
 皆で共有するものに可能な限り自分のつばをつけておきたい。斯様な人々の考えがある限り日本経済は安泰だが、他国にあらぬ干渉をされたりもする。

 どうぞここは一つ、後から訪れた人もおこぼれをいただける環境を作ってはもらえないだろうか。
 「それ、空いてますか」と言えない臆病な人のために、精々2冊を限度にして膝に乗せるようお願いできませんでしょうか。
 
 加藤芳郎が「テレフォン人生相談」で昭和三十年前後生まれの奴は教育がなっていないとお嘆きだったが、その通りだ。ただ、そいつらを教育したのは加藤先生の世代なのだが。

注射

 老若男女問わず注射を打たれるのは嫌だと思うのだが、世の中には「好きだよ」とおっしゃる方もいる。繁華街で洋風酒場を経営している某さんは、定期的に献血所を訪れてその甘美な時を過ごすのが好きだというのだ。血を抜かれた後のけだるい脱力感と、抜かれた分新しい血を作り出そうとする活力が四肢に五臓六腑にみなぎるのが快感だという。
 献血する行為は尊いと思うが、長時間にわたり針が血管に刺さり続けるのを、想像しただけでも目眩がする。

 お恥ずかしい話だが小学生の頃のことだ。日本脳炎の予防接種が学校で行われたのだが、列の途中で逐電した覚えがある。以来、注射に関してはそのことごとくを拒否する姿勢で臨むことになる。
 
 昨日のことだ。持病の治療薬をもらいに医院に行ったら血液検査のための採血をされてしまった。突然の暴挙に逃げ道はなく断腸の思いで応じるも、カートリッジを並べられ「今日は三本採ります」と言われた瞬間、呼吸が乱れ胸が高鳴るのを覚えた。さらに「痛いですよ。我慢してくださいね」の物言いで緊張はピークに達しようとした。余分なことを言うじゃない。痛いとわかっていることに、追い打ちをかけてどうするつもりだ。このような言動こそがドクターハラスメントではないのか。

 這々の体で帰宅し一夜明け注射跡に貼られた絆創膏をはがしてみた。本来傷口に合わせてガーゼ部分をあてがうのが正しい処置の仕方だ思うのだが、針穴から大きく的をはずれ接着面の中程までずれている。これでは世紀の発明であるバンドエイドを採用した意味がない。FFの車の後輪にタイヤチェーンを巻いているようなものだ。
 
 今回の事態の責任は、注射における一連の行為に目をそらし、最後の詰めを見過ごした自分にある。いままで恐怖のあまり針先が自分の体に刺さるのを、見ようともしなかったことを大いに反省し、今後は医療事故を未然に防ぐ意味でも、その目で確認できることは極力しようと決意する。
 
 尿酸値が下がっているといいのですが。

三色カラー

822f4935.gif 写真等を印刷で表すためには墨版というのは欠かせない。詳しいことは省くが、イエロー、マゼンタ(赤)、シアン(青)、墨(黒)のCMYK4色でフルカラー印刷ができる。
 中学の美術で教わったとおり、色の三原色(減色混合)を全て混ぜれば黒になる。しかし印刷の場合は絵の具を混ぜるわけではなく、透明インクを順番に重ねて刷るために、黒くはなるが絵の具やインクの黒にはならない。そのために墨版を追加してより再現性を高めているのだ。
 
 この夏すぎから近所の荒物屋二軒が、この三色カラーでもってチラシを折り込んでくる。

 朝からすっきりした気分になれないと思ったら、これらのチラシを見たことによる急性色覚均衡症候群が原因のようだ。
 
 四色カラーチラシであれば本来は墨で表現されるべき文字が、黒になりきれなかった出来損ないのこげ茶で印刷されている。しかも三色重ねて刷ってあるから、版ずれが生じて誠にもって読みづらい。当然のように写真は気味が悪いほどに眠たく、本来の写真の色とはかけ離れたものになっている。
 
 一色で刷られたチラシがある。刷られている商品が何色かは気になるが、宣伝広告としての機能は足りているし、効果もあるだろう。加えて二色にした場合は、訴求ポイントを明確に出来、より効果的であり、消費者寄りの企業努力も感じられる。三色で表現したものはなおさらだ。
 
 しかしここで言う三色カラーとは、本来あるべきものから一つを除き、疑似カラーをつくり、あたかもこの世に存在するかの如く表現しようとするまやかしの印刷方法のことである。これはフルカラーの中で生活している我々への挑戦でもある。マイナスのイメージしか伝わらない。
 
 経費節減を考える時、必要な物から何かをマイナスするという発想は一考してもらいたい。適切なサイズや枚数、絞り込んだ配布エリアなど他に無駄を省く術はある。一色削ることにより経費が抑えられたとしても、販売促進の尖兵となる折り込みチラシの印象を悪くしてはどうしようもないだろう。
 
 なにより貧乏くさい。

久方ぶりに業界関係者の著書を読んだ。

3576bf47.jpg【僕らはクライアントからよくひとつの仕事にデザイン案を三案出すようにいわれるのです。これをデザインの松竹梅といいますが、最適解は文字通りひとつです。これを探すのがデザイナーの仕事なら、三案作るというのは時間とエネルギーと資源と費用の無駄です。決めるためには複数案が比較のために必要だといいますが、比較の作業も本来デザイナーの仕事のうちです。クライアントはお金を払ってベストのデザインだけを受け取る。クライアントは、信頼できるベストのデザイナーを見つける手間を惜しまないこと。本当にふさわしいデザイナーを選択することで、結果が保証される筈。後はデザインの完成を楽しんでください。デザインはひとつだよ。】
「デザインすること、考えること」 五十嵐威暢著 朝日出版社より一部引用

 尤もな意見であります。
 
 七社競合各社三案提出というコンペ。二十一もの案を、お客様はどのように選ぶのだろうかということを、常々疑問に感じておりました。或る会社は投票で決めるとおっしゃる。一方会議で話し合って決めるというところもある。「モデルの顔が俺好みじゃない」などと個人的な意見によって没になった案もあったが、まさか上長の「女性の造作に関する考察」などで、大事な告知活動の表現が決まることはないと信じたい。
 選考するという行為は、容易いようでとても難しい。そのような難儀なことを専門家に任せずに、か糅てて加えてより多くの案を要求せしめることには憤懣やる方がない。
 
 などということは、決して考えてはいない。 と思う。
 
 できあがったデザインは我が子のように可愛い。その中からひとつだけ言われても、選別できるものではありません。どうぞ其方様で煮るなり焼くなりしてください。お手間をおかけいたします。 と思う。

全国高校デザイン選手権

 我が母校の生徒チームが優勝したようだ。おめでとうございます。
 思えば平成二年十二月三十一日、同級生が「NHK紅白歌合戦 紅組」に出場した時以来の全国規模の快挙である。

 グーグルで調べたらここここだけしか報道していなかったが、地元の新聞(後援)のここには優勝校についての記載がない。

 かつての「大食い選手権」のように、世間の注目を集めることのできるChampionshipになって戴きたいと希望するばかりである。

巨大荒物屋

3f23ac50.jpg かねてより噂の巨大荒物屋で買い物をしてきた。オープンは九月だったのだが、それはそれは大層な繁盛だったらしく、駐車場に入るまでに相当待たされる等の情報を得たこともあり、今日まで行くのを控えていた。
 昨年できたD2という荒物屋もでかいなと思ったけれど、そこのゆうに二倍はある。端から端までの距離は、私ならドライバでも届かないくらいの距離だ。それどころじゃないかもしれぬ、二打目に九番でやっと届こうかという程の敷地建物だ。(実測してないのでアバウト)
 入店して呆然とした。本日の目的は、壁の隙間を埋めるためのシリコンシーリング剤を買うことだが、その売り場らしき看板が遙か彼方にかすんで見える。
 
 二十数年前、第一回ジャパンカップを見学するため、初めて府中の東京競馬場に行った際、向こう正面を走る馬が目視できず、その大きさに驚いたのを思い出した。中京競馬場であれば、ぐるりとレースを観戦できるのだが、東京競馬場は広すぎて向こう正面はおろか、第四コーナーから直線の坂上にくるまで馬が確認できないほどだ。
 
 道草をくいながら、目的の品を購入し、店内を一周してみようと歩き出すも、昼の日中に何をブラブラしているのかと、そこはかとない自己嫌悪に陥り、最短距離を選んで駐車場に戻り帰路についた。

出張パソコンサポート & お土産

56ecdc9d.jpg 高校時代の同級生が、パソコンの設定が思うに任せないというので往診してきた。
 OSまわりをこちょこちょ弄っただけだが、一日かかってしまった。やはりパソコンの面倒を診るのは思ったより時間がかかる。自分のパソコンはOSXにしてから不具合も無く順調だったので、久しぶりのインストールや設定作業であった。
 パソコンの各種設定というのは根気かいると改めて思う。できるまでひたすら作業を繰り返し、途中で投げることなく続けることで、前回と違う何かが見つけられることもある。
 だが、そんな徒労もマニュアルを熟読すれば、すぐに解決がつくと思うのだが、親父達はそれをしない。なんでも勘でもって何とかしようとする。手順によってつくられたのもは、手順に従って操作すればよいものをそれをしない自分が嘆かわしい。
 とまれ当初の目的は達成できたので、良しとしたい。
 
 彼の生業である焼物をお土産にいただいた。写真(右)。飾るのではなく使う器だということなので、早速いろいろな料理に使って重宝している。ありがとうございました。
 同級生で陶芸家は二人いるが、写真(左)の茶碗は大学で陶芸を教えている同級生から手に入れた物だ。いままで棚に飾っていたのだが、せっかくなので本日より湯呑み茶碗として使ってみよう。

 あとご飯茶碗をいただけると、すげえリッチな気分でご飯が食べられるので、またサポートにお邪魔いたします。

わかば

fb598ce3.jpg 旧国道添いに建つ我が家の玄関先には、毎朝いろんなゴミがどこからか飛んでくる。
 たばこのポイ捨てや空き缶、近所の田んぼの藁、工事現場のビニールテープなど風に舞ったりするものを中心に吹き寄せられてくる。
 今朝も新聞を取りに行く時に車庫の前でたばこの紙箱を見つけた。一ひねりして潰してあったパッケージのたばこは「わかば」という銘柄であった。
 いまでも売っているのか「わかば」。早速調べてみたところ、エコーやしんせいとともに、旧3級品のたばことして生き残っているようだ。
 
 すでに三十年以上まえから滅多に吸う人などいなかったこのたばこに、二十一世紀の今、お目にかかれるとは思わなかった。一途で嗜好品に拘りをもち、一家言ありと自負し、頑固者で通っている近所の農業に従事する方がお捨てになったのだろうか。邪推だが七十は遙かに超えていると思われる。

 流行廃りにうつつをぬかす今の風潮をあざ笑うかの如く、そのお年まで旧3級品の「わかば」を、健康に留意しつつも頑なに吸い続けている。たばこに対するその堂々たる姿勢は、おもわず頭を垂れずにはいられないほどで、神々しいとさえ感じられるのは私だけなのでしょうか。自販機などには置いていないと思われるとても入手しづらいたばこを、ただ安いだけで吸っているとは決して思いたくはない。
 
 だがこの声がもし届くのであれば、その方に言っておきたいことがある。
 
 「ひとの玄関先に、たばこの箱をすてるじゃない」

A c r o b a t

34c6f585.png 得意先のご厚意でpdfによる校正を始めたが、時間の節約や交通費の倹約にと大いに助かっている。ご迷惑をおかけした得意先には、訂正が素早く確認できる良い方法だということで、これからも続けさせてもらうつもりである。
 しかし、ここで痛感するのはパソコンの性能と、ファイルをアップロードする際に利用した.Macへのアクセスの遅さだ。500MBのファイルを60MBのpdfにする際にDistiller書き出しで7分ほどかかり、メールで送るには容量があるので.Mac(データ置場)にアップロードするのに要する時間は15分ほど。昨年なけなしの金を叩いて買ったG4ですらこの有様である。
 
 世の中の求めるスピードアップに追従したがために我々は苦しむことになった。素早く原稿が送れるようになれば、さらなる過酷な納期を要求されることになるだろう。
 
 カラーカンプをつくるのに、水張りをして水彩絵の具で写真のダミーを描き、ポスターカラーで彩色をしていた頃が懐かしい。ただ納期に追われるのは同じで、深夜労働をしていたのは今と変わらない。

跨道橋の架設工事

b0b1318f.jpg 橋桁と橋桁の間をどのようにして道路を造っていくのか。常々疑問に思っていたことがこの目で確認できるチャンスが訪れようとしていた。
 道路を全面通行止めにして11月26日の深夜からその作業は行われる。その日は朝からめずらしく大忙しのうえ、翌朝の色校正返却に伴うデータ修正作業に備えて早めの就寝となり、すっかり作業見学を忘れてしまった。はたして翌朝、自宅脇を南北に縦断する道路に鉄の渡しはすでに架かっていた。
 三球照代の漫才で「地下鉄の車両はどうやって地下に入れるんでしょうね?」という名セリフがあった。現在の土木建築に対する一般人の持つ素朴な疑問なのだが、それに匹敵するような上記の疑問を解明できる千載一遇のチャンスを逸してしまった。

 写真のように鉄鋼を橋桁の間に架けこれを元に道路を造るらしい。一方の橋桁から鉄鋼をスライドしながら渡していく作業だそうだ。もう二度と見られないかもしれない「世紀の天体ショー・獅子座流星雨」や近所のスーパーで「ゴールドブレンド 100グラム入 400円」を買いそびれたのと同じくらい残念な気持ちだ。