九州は、ご覧の皆様もご存知のように災害が多い所ではありますが、鉄道の災害も各地で見られている事はご存知の方もいらっしゃるのではないかと思います。
これまでも当ブログでもご紹介しましたが、令和2年7月には「熊本豪雨(令和2年7月豪雨)」によりまして肥薩線の吉松~隼人間を除きます全線で不通となっておりまして、これによりまして画像2にもあります肥薩線の列車も現在まで災害以降運休が続いておりまして、橋梁流出などの被害も見られておりました。
一方、こちらも当ブログでご紹介しましたが、平成29年には日田彦山線の添田~夜明間が、同年の「九州北部豪雨」によりまして寸断されまして、復旧への足も考えられておりましたが、鉄道による復旧は断念、その代わり、バス高速輸送システムであります「BRT」化されておりまして、現在その区間では日田彦山線「BRTひこぼしライン」としてバスが通る道路を整備するに至っております。
(宝珠山駅付近)
尚、肥薩線は4月に「川線」の八代~人吉間が鉄道での復旧に関する基本合意書を締結するに至っておりまして、鉄道での復旧が決定しております。ただ、「山線」の人吉~吉松間は現時点決まっておりませんので、今後こちらの方も鉄道線として復旧を願いたい所ではあります。
【いずれも令和3年撮影】
(流出した瀬戸石駅)
(流出した球磨川第一橋梁)
さて、今回皆様にご紹介しますのは、これら大きな被害を受けた路線をも走っておりました「BSデジタル号」と呼ばれる列車が平成22年に運行されておりました。残念ながら、「BSデジタル号」名目の列車を収める事はできておりませんでしたが、その回送に関しましては収めておりまして、珍しい姿が見られておりました。今回は、その回送列車の運行シーンに関しまして、皆様にご紹介してまいります。
この「BSデジタル号」とは、平成22年9月3日から6日にかけての4日間、JR九州熊本車両センター所属の14系客車を使用しまして、NHKとタイアップした形で九州各地へと運行されていたものでありまして、以下の運行区間で運行されておりました。
この4日間の運行行程は(( )は回送)・・・
(平成22年9月3日)門司港→熊本(→熊本操)
(平成22年9月4日)(熊本操→)熊本→人吉→吉松→鹿児島中央→翌日へ
(平成22年9月5日)→大分(平面ホーム)→下郡信→大分(高架ホーム)→由布院→日田→田川後藤寺→門司港
(平成22年9月6日)(門司港→熊本操)
の行程で運行されておりまして、現在は「BRT」化されております日田彦山線や、不通となっております肥薩線も経由しまして運行されておりました。
また、この「BSデジタル号」の編成は、先述のように14系寝台客車の3両で運行されておりまして、これら編成は・・・
(←熊本方) ③スハネフ14 101+②オハネ15 4+①スハネフ14 11
の3両編成で構成されていて、スハネフ14 11の寝台車のうちの一部の寝台上段部が撤去されているなど、まさにスタジオのような印象が見られる車両でありました。
そして、この行程では、熊本→人吉間では画像の今年春に引退しました8620形58654号蒸気機関車に牽引されながら運行されておりました。しかも、この運行ダイヤも、通常の「SL人吉」のダイヤの中で運行されておりましたので、その「SL人吉」を運休させてまででもこうして運行させていた所が、まさにNHKとタイアップして運行されていただけあったようであります。
さて、この時私自身は残念ながら仕事でもあった事もありまして、この運行には立ち会う事ができませんでした(テレビは時々見ていました)。しかし、平成22年9月6日の門司港~熊本操車場間の回送シーンには門司駅にて立ち会う事ができておりました。
(ホームに停車)
以上の画像でもわかりますように、牽引機関車はDE10 1753号機でありましたが、塗装はこの時から採用されました「黒塗装」でもありました。現在は全車「黒塗装」となっておりまして、金ナンバー・金手すり、もしくは黄手すりになっているJR九州のDE10形ディーゼル機関車でありますが、以下画像のこれまでの「朱色」から「黒塗装」に変更されてはいたものの、手すりが赤色であった事がお分かりいただけます。
(現在の1753号機)~金ナンバー・金手すりに変わっております
さて、「黒塗装」となりましたこの車を詳しく見てみますと、先述のように手すりとボンネットステップの部分は赤(朱)色であった事もわかります。まさに赤と黒も意外にあっているのもわかるのではないでしょうか。ちなみに、現在は上の画像のように金ナンバー・金手すりとなっておりますし、この車の製造年は昭和52年製造である事もわかります。
(銘板)~昭和52年製、ちなみに新製配置は旧盛岡機関区です
また、この機関車の後部には、テレビカメラが残されておりまして、そのカメラで前面からの映像を流していたようであります。やはり前面展望は迫力があるのがいいのではないかとも思いますので。
(カメラ部分アップ)
一方14系客車にも、この「BSデジタル号」を運行するために特別な仕様に施されておりましたのでご紹介してまいります。
(スハネフ14 101)
(オハネ15 4)
(スハネフ14 11)
これら車の車内には、先述のように、1号車のスハネフ14 11の一部の寝台の上段部分が撤去されておりましたし、以下画像のようにNHKの中継機器も多く積み込まれておりました。
さらに、同じくスハネフ14 11の後部にはアンテナが設置されておりまして、こちらも移動中継するために必要なものが搭載されていた事がわかります。
そして、「BSデジタル号」の回送は、熊本車両センターへと回送して行きました。それにしても、NHKの中継機器も運行が終わっておりました門司港駅で撤去するのか?と思っておりましたが、熊本車両センターまで戻りまして撤去されていたとの事でありますので、これに関しましては正直予想外ではなかったかなと思ってなりませんでした・・・。
今回は、平成22年に運行されておりました「BSデジタル号」の回送シーンに関しましてご紹介しましたが、当時私もこの放送を拝見してもいただけに、珍しい姿を見る事ができたと思っております。それにしても、これら中継機器類を見ますと、NHKの中継に対する努力もわかる所でもあります。確かに、画像が乱れるシーンもあまりありませんでしたし、時間に関しましてもほぼ定時で運行されていましたのでわからなくはなかったでしょうか。残念ながら、JR九州には寝台客車もいなくなった今ですし、今となれば珍しい編成・運行区間でしたが、過去にはそう言った運行があった事を存じていただければと思います。