番外 現在は存在しない路線です、名鉄側は5度運行会社が変更、熊本~名古屋線「不知火号」ヒストリー | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 かつて、熊本から名古屋を結びます夜行高速路線バスとして、「不知火号」が存在しておりまして、令和元年9月末まで存在しておりました。

 

 この「不知火号」の運行開始から廃止までの流れに関しましてはこの後ご紹介しますが、末期の運行会社に関しましては上の画像にもありますように名鉄バス(画像1、3513・三菱QTG-MS96VP)・九州産交バス(画像2、熊本200か・417、日野KL-RU1FSEA)・の2社が運行されておりまして、名鉄バスに関しましては末期の使用車両に関しましては座席の幅を広くしました「プレミアムワイド」車両であったのが特徴でもありました。

 

 しかし、こう言ったてこ入れ策も報いらぬまま、「不知火号」は令和元年9月末で廃止となりまして、これによりまして熊本と名古屋を結ぶ老舗路線は姿を消しております。私自身も、上の画像2及び後述画像からもわかりますように名鉄バスセンターまでも出向いていたほどでしたが、そう言った姿も過去の姿となったのは正直残念かなとも思う所でもあります・・・。

 

 

 さて、今回ご紹介しますのは、その「不知火号」に関しまして、これまで上の画像とともに熊本・名古屋で収めておりました画像をもとに皆様にご紹介してまいりますが、名鉄側では途中運行会社が5度も変わった事さえもありましたので、その件に関しましても併せてご紹介してまいります。

 

 

 この「不知火号」は、平成2年に名鉄バスの前身であります名古屋鉄道の路線として運行を開始しまして、熊本側の共同運行会社としまして九州産交バスの前身であります九州産業交通によります共同運行で運行されておりました。

 

 

 平成11年、現在はこちらも廃止されております長崎線「グラバー号」とともに、同じく名鉄グループであります「名神ハイウェイバス」の中心事業者でありました日本急行バスに平成11年に移管されまして、さらに平成14年には名古屋観光自動車が日本急行バスと吸収合併した事から、「名古屋観光日急」に名称変更される事となりました。
 
 
 かつての名古屋観光日急としての姿が画像の姿(平成19年撮影)です。この撮影時(以下も同様)の行先は、熊本線「不知火号」の姿でありまして、かつては今(以下画像~)のように「不知火号 ○○」とは表示されておらず、そのまま行先だけが表示されておりました。
 
 
 その後、平成20年7月より名称が他の名鉄グループ観光バス事業者2社とともに合併しまして、現在も名鉄の観光バス部門の名称であります名鉄観光バスに変更されました。そのため、車両も名古屋観光日急の塗装のままで「名鉄観光バス」とステッカーを貼りまして、変更されておりました。
 
 (名鉄観光バス時代、NX-37・三菱PJ-MS86JP)~上の画像の名古屋観光日急時代も
 
 (名鉄観光バスに変わった事を表すステッカー)
 
 
 それとともに、先述のように行先の表示も変更されておりました。実際にこれまでの行先のみの表示から、「不知火号 ○○」と表示されていた事もわかるのではないでしょうか。ちなみに、長崎線「グラバー号」も同様のパターンでありました。
 
 (熊本行き)
 
 (名古屋行き)
 
 
 この名古屋観光日急から名鉄観光バスに変わった事に関しましては、名鉄観光バスに変わりましても名古屋観光日急時代の塗装、アルファベット表示のままでありましたので、当時そんなに違和感はありませんでした。しかし、結局はその翌年名鉄バスに移管される事になりますので、名鉄観光バスとしては1年足らずしか続かなかった訳でもありましたので、なかなか理解できなかった部分ではなかったでしょうか。
 
 ちなみに、当時「名鉄バス」のホームページでは、「不知火号」・「グラバー号」及び、名神路線の案内はしておらず、「名鉄観光バス」のホームページを開く事になっていたのも、まさに運行事業者が違うためではなかったのかなと言う印象でもありました。
 
 
 そして、平成21年に名鉄バス運行と変わりまして廃止まで至っておりました。その結果・・・
 
 名古屋鉄道→日本急行バス→名古屋観光日急→名鉄観光バス→名鉄バス
 
と5回も運行会社を「グラバー号」とともに変更しておりまして、同じグループ内でもここまで変更に至っていた訳でもありますから、正直動きが激しかったのでは・・・とも思う所ではなかったかと思います。
 
 
 一方、九州産業交通も、平成18年に「九州産交バス」による運行に変わっておりまして、その結果、両社とも運行当初の運行事業者から変わっていた事がお分かりいただけるのではないかと思います。
 
 
 ここからは、私が収めました、「不知火号」の姿であります。まずご紹介しますのは、キャラクター「清正くん」に関しましたラッピングからご紹介してまいります。
 
 この「清正くん」ラッピングは、平成25年頃からしばらくの間見られていたものでありまして、熊本・名古屋とが加藤清正の生誕の地である事や、所縁の地と言うつながりである事からのラッピングとなっておりまして、こういったつながりから両事業者においてラッピングが施されておりました。実際に、画像の名鉄バスの専用車(2802・三菱BKG-MS96JP)を見ましても、「清正くん」に関しましたラッピングが貼りつけられていた事もわかります。尚、この車は現在は福島交通に移籍しておりまして(郡山210い70-81)、こちらでもラッピングの姿を見せておりますし、名古屋へ足を運ぶ場合もあります。
 
 (提供画像より)
 
 
 一方、こちらは九州産交バスの場合(熊本200か・703、日野PKG-RU1ESAA)でありますが、こちらは側面に表示は出してあるものの、名鉄バスみたいな表示ではありません。それでも、「清正くん」がこちらにも表示されておりまして、そう言ったつながりが両事業者で見る事ができておりました。尚、現在は夜行の任は解かれておりますが、現在も福岡~宮崎線「フェニックス号」や熊本~宮崎線「なんぷう号」で活躍する姿が見られております。
 
 (ラッピングアップ)
 
 
 今回は、かつて数回の事業者の変化も見られていた事がありました「不知火号」をご紹介しましたが、この利用者もそんなに少なくはなかったそうでしたので、ご覧の皆様の中にも廃止の報を受けた際には驚かれた方もいらっしゃったのではないかと思ってならない所ではあります。そんな私自身も近年は収めるには至っておらず、そんな中での廃止の報でしたので、よく収めておけばよかったなと思う所ではあります。いつの間にか、この「不知火号」の廃止からは間もなく5年になろうとしておりますが、ご覧の皆様もこういった高速路線バスが、そして実際に数度の事業者の変化もあった事も存じていただければと思っております。