番外 現在は解体されています、キハ66・67系、白・橙の12番ユニット「ハウステンボスライナー」 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 長崎地区(長崎線・佐世保線・大村線)を走っておりました、佐世保車両センターに所属しておりましたキハ66・67系気動車全編成が運用を離脱しまして間もなく3年になろうとしております。

 

 このキハ66・67系気動車は、昭和50年に全15編成30両誕生しておりまして、新潟鐵工所(現・新潟トランシス)・富士重工業(現・SUBARU)で製造されましたが、当初は筑豊線・篠栗線などの筑豊地区で運行されておりましたが、その筑豊線・篠栗線が称します「福北ゆたか線」の電化に伴いまして全車長崎車両センターに転属しておりまして(その後閉所に伴い佐世保車両センターに転属)、以来令和3年まで長崎地区の3路線であります長崎線・佐世保線・大村線で活躍を続けておりました。

 

 しかし、この気動車も経年を迎えた事から、その先陣を切りまして平成27年に4番ユニットが廃車となっておりまして、その後令和2年から運行を開始しましたYC1系気動車の相次ぐ導入によりまして徐々に両数を減らして行きまして、残念ながら最後に残りました8ユニットも令和3年6月末をもちまして全車引退となっております。

 

 引退後は、熊本市の川尻信号場や、八代駅構内へ移動しまして疎開留置が行われておりましたが、その後小倉総合車両センターで解体されましたし、川尻信号場に留置されておりました車も全車小倉総合車両センターへ移動しておりまして、順次解体が行われております。

 

 

 そして、残念ながら解体されましたユニットの中には、画像の「ハウステンボス」のカラーを施しました12番ユニットも含まれておりました。今回は、その12番ユニットの「ハウステンボス」のカラーを施しました車両に関しまして、平成22年当初の姿を含めまして皆様にご紹介してまいります。

 

 

 この12番ユニットは、富士重工で製造されましたユニットでありまして、先述のように他のユニットと同様直方車両センターに新製配置されまして、当初は筑豊線・日田彦山線・篠栗線を中心に筑豊地区を中心に長らく運行されておりました。

 

 

 平成13年、「福北ゆたか線」電化に伴いまして、直方気動車区(現・直方車両センター)から長崎運転所(当時)に他のユニットと同時に転属しまして、以来長崎地区におきまして活躍する姿が見られておりまして、この間には白地に青ラインの「九州近郊色」→青地の「SSL塗装」に塗り替えられまして運行されておりました。

 

 

 そして、平成22年にハウステンボスがHISの支援で運営されるようになりましたが、それに伴いましてJR九州もキハ66・67系気動車、キハ200系気動車、後には783系電車でもでハウステンボスのカラーとなります橙が入りましたカラーに塗り替えられるようになりまして、その先陣としましてキハ66・67系気動車は12番ユニットが、キハ200系気動車は14番ユニットでこのカラーに塗り替えられまして、「ハウステンボスライナー」と称されておりました。

 

 (側面)

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 画像が、当時撮影しました12番ユニットでありますが、塗装は白に橙のツートンカラーになっている事もありまして、従来の青色の「SSL色」の車両と比べてみても、一際目立っているのもわかります。
 

 また、スカートも黒一色に変更されておりました。これまでは青色でしたから、これが黒色というのは上の画像からは見た目からスカートが外されたかのような感じにも見えたりもしますが、近づいてみますと黒一色に塗り変わってますので、車体が下の部分が橙色の分、余計目立ってるのではないでしょうか。
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 車内は、従来の車内とはほとんど変わりませんが、当初はよく見ますと橙色のシートカバーがかけられておりまして、まさに1ランク上がったような印象でもありますし、かつ車内からもハウステンボス仕様に変更されたような印象を得ておりました。
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 また、当時の車内広告も、ハウステンボスの広告が全て入っておりました。こちらも橙色の広告であるため、上の画像と比べても、マッチしていた事がお分かりいただけます。それにしても、「YoKoSo!」と言うロゴをみましても、当時行われておりました「ビジットジャパンキャンペーン」でのロゴにも少々似てるようにも感じさせられておりました。

 

 (吊り広告)
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 (後部側広告)
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 こちらの画像は前ドアから乗務員室方向に収めておりました画像でありますが、よく見ますと「ルートマップ」が見られております。これは、運行区間であります、長崎・佐世保・大村線の駅をアルファベットで記載されておりまして、こういった所もまさに外国人観光客にとっても優しい案内である事もわかるのではないかと思います。

 

 (アップ)

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 また、ドアにはハウステンボスのロゴであります、王冠と2頭のライオンが描かれておりました。これまでも、専用車両の485系・783系各電車にもこのロゴが見られております(した)が、この12番ユニットにも見られておりました。尚、以前は「SSL」のロゴが描かれておりました。
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 以来、他のユニットとともに共通で運行されておりまして、従来のキハ66・67系気動車の中では比較的目立つ存在として約10年にわたって運行されてきました。この間には、小倉総合車両センターに検査入場する時期もありましたが、それでもこの塗装は維持されておりました。尚、当時見られておりましたシートカバーは後に姿を消しておりまして、従来と同じ姿に変わっておりました。

 

 (令和2年長崎駅高架化前撮影)~旧幸町踏切にて

 

 

 こちらの画像は、令和2年8月撮影の12番ユニットであります。この時は後方に「国鉄急行色」1番ユニットを連結しておりまして、普段見る塗装の編成ではありませんでした。尚、この撮影は5番・11番ユニットのラストラン時に収めたものでありましたが、徐々に僚車も減って行くのも残念ではなかったでしょうか。

 

 

 そして、令和2年12月にYC1系気動車の導入に伴いまして、12番ユニットは7番ユニットとともに一度定期運用を離脱、それに伴いまして直方車両センター構内に疎開留置されていた姿であります。私自身、このまま廃車かなと思っておりましたが、目立つ存在でありましてもそうなってしまう事を伺わせる姿ではないかとも思うほどでもありました。

 

 

 しかし、令和3年3月改正でキハ200系気動車が全車転属となった事に伴いまして、直方駅に留置しておりました2ユニットは運用に復帰します。やはりキハ200系気動車全車が転属となってしまった事で車両不足にまでなるほどでしたので、正直運用復帰に至った姿は、ホッとしたと言える所ではなかったかとも思います。

 

 

 けれども、この復帰期間はわずか3ヶ月間でありまして、6月末には再び定期運用を離脱、先述のように熊本市の川尻信号場に疎開留置されましたが、今年に入りまして小倉総合車両センターへ廃車回送、そして解体へと至っておりまして、もう橙色のキハ66・67系気動車12番ユニットの姿は伺う事ができなくなっております。

 

 

 今回は、キハ66・67系気動車12番ユニットの「ハウステンボスライナー」の誕生時、そしてその後解体までの姿をご紹介しましたが、本当に目立つ存在でもあった分この存在は大きかったのかなと思う所でもあります。しかも、一度離脱しまして復帰する事もできていた訳でもありましたので、様々な理由はあれども正直良かったのかなとは思う所ではありましたでしょうか。しかし、最後は他のユニットとともに引退、そして解体へと至ってしまっておりますが、ハウステンボスも宣伝できたユニットでもありましたので、このユニットの存在は大きかったのかなと思ってならない所ではありましょうか。

 

 (注)上の画像は平成22年ハウステンボス駅で撮影したものであります。現在はホームでの撮影が禁止されておりますのでご注意いただきたいと思います。