番外 所属先により若干違った部分も見られる、キハ125形0・100番台気動車、唐津・大分行先解説 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 黄色の車両が特徴でありますキハ125形0番台気動車は、現在2~8が唐津車両センターに、1・9・10~25(このうち11・13・14・22が100番台化されまして、それぞれ111・113・114・122)が大分車両センターに所属しておりまして、後述の以下の路線で活躍しております。
 
 このキハ125形0・100番台気動車は、平成5年から平成6年にかけまして新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で25両が製造されております中型軽快気動車でありますが、全車当初トイレなしではあったものの、その後トイレも設置されておりまして、特に久大線で見られるような所要時間が長い路線でも利用しやすくなっておりまして、大変重宝されているようであります。
 
 また、大分車両センター所属車のみに見られます100番台に関しましては車端部の座席を撤去しまして定員を増やしているのが特徴でもありまして、先述の4両におきましてこの改造が行われております。
 
 そう言ったキハ125形0・100番台気動車のこれら車両の運用も、唐津車両センター所属車(画像はキハ125-8)は・・・


 唐津線 西唐津~唐津~多久~久保田~佐賀
 筑肥線 唐津~山本~大川野~伊万里


 一方の大分車両センター所属車(先頭はキハ125-122)に関しましては・・・
 
 久大線 鳥栖~久留米~日田~豊後森~由布院~大分
 豊肥線 熊本~肥後大津~立野~阿蘇~豊後竹田~三重町~大分


の各路線で使用されております。尚、かつては筑豊線(「原田線」)や日田彦山線の運用も存在しておりましたが、筑豊線に関しましては平成16年の改正で(平成11年?~)、日田彦山線に関しましては「平成29年九州北部豪雨」で寸断されましてから運用に入らなくなっております。
 
 
 さて、これらキハ125形気動車の行先表は、唐津・大分所属ほぼ共通の行先となっているのが特徴でありまして、平成5年導入時には互いが共通の行先となとなっておりました。その後、それに加えまして大分所属車では運用拡大に伴いまして、それに合わせました行先を追加・修正されているのも特徴となっております。今回ここからは、唐津車両センター・大分車両センター所属車両の行先解説をご紹介してまいります。
 
 
 では、その行先表をご覧いただきますが、まず以下画像にご紹介しますのが唐津車両センターの行先表であります。
 
 この唐津車両センターの行先表は、平成5年に登場しました時からのオリジナルの行先であります。よく見ましても、大分地区と唐津地区で共通に入っているのが見ていてわかるのではないかと思いますが、現在実際に唐津地区で使用されておりますのが・・・

 27 西唐津
 28 唐津
 29 伊万里
 30 佐賀
 31 多久


の5コマしかありませんので、オリジナルのままでいいのもわからなくはないのではないでしょうか。また、それに加えまして、久保田(32番)」・「山本(33番)」・「快速行先(34~37番)と言った普段使用する事がない行先も入っているのもわかるのではないでしょうか。尚、「快速」行先に関しましては、過去に筑肥線に快速列車が運行されていた関係で、唐津(35番)」・「伊万里(36番)」が使用されていた経歴もあります。
 
 
 次に、以下画像が大分車両センターの行先表であります。
 
 この大分車両センターの行先も、先述のように、当初は画像5の唐津車両センターの行先と同様のオリジナルの行先でした。しかし、運行区間が次第に拡大して行った事もありまして、いくつかの行先の修正や追加を施しまして、現在の姿となっております。この中には、現在は運行されておりません筑豊線(原田線・原田(31番)」~「桂川(32番)」・「飯塚(33番)」)の行先も入っているのもわかりますし、豊肥線の熊本(48番)」の行先も最後に入っている事がわかります。
 
 尚、平成29年より採用された色幕も大分車両センター所属車では見られるようになっておりまして、日田(8番)・由布院(6番)・豊後竹田(16番)・豊後萩(17番)・阿蘇(40番、上の表豊後国分の位置)がその行先となっておりまして、現在は使用されていない「阿蘇」以外は久大線・豊肥線での運行時にはそれら行先の姿が見られる場合もあります。
 
 (8番「日田」)
 
 
 そして、大分車両センターから唐津車両センターに転属しました車両の行先表であります。
 
 この行先は、以下画像の平成18年に転属しました125-7~9の行先に入っている行先でありまして、修正する部分が少なかった事もありまして、ほぼ上の画像の大分車両センターの行先と共通であります。しかし、転属時に31番に入っておりました原田の行先を再修正しまして、この31番には多久の行先が再び戻っております。
 
 実際に、以下画像におきましてキハ125-8の「多久」の行先の姿を掲載しておりますが(平成22年撮影)、普通見ましてもこうして行先が掲出しておりましても、実際はその前は原田の行先が入っていた事が見ていて信じられないほどであります。
 
 
 今回は、キハ125形0番台気動車の行先表の中身としてご紹介しましたが、大分車両センターの車両に関しましても、当初は唐津車両センターと行先が共通であった訳ではありますが、こうして見ましても、使用されていない行先をそのままいつまでも残しておくよりも、必要がないのであれば変更されてしまうのも仕方がないのではないでしょうか。やはり、日田彦山線や「原田線」など運用が拡大されていた事もありますので。ただ、先述のように転属を経験しました車両も存在している訳でもありますので、その際は行先も変更しないといけない訳でもありますから、これに関しましては仕方がないのではないかとも思う所でもあります。