番外 783系電車「ハイパーサルーン」原点の特急でした、2期にわたり運行された「有明」としての姿 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 令和3年3月のダイヤ改正におきまして、大牟田→博多間平日1本のみで運行されておりました特急「有明」が廃止されまして、これによりまして、これによりまして特急列車としては54年の歴史に幕を閉じた事は、今としても記憶に新しい所ではないかと思います。
 
 廃止前には、上の画像の787系電車で運行されておりまして、運行されていた時間帯が通勤時間帯でもありましたので、通勤客の方を中心に列車を利用する方も見られておりましたが、かつては多くの本数が存在しておりましたり、九州新幹線の新八代~鹿児島中央間開業後も小倉駅や豊肥線の水前寺駅・光の森駅・肥後大津駅までも乗り入れておりましたが、平成23年の九州新幹線博多~新八代間開業に伴いまして「有明」の本数が大幅削減しておりまして、さらに平成26年には熊本駅までの運行も終了、そして平成30年3月改正でついに大牟田駅発平日1本に削減されまして運行されておりましたが廃止に至っております。
 
 画像は、令和2年撮影の大牟田駅の時刻でありますが、ここで普通・快速列車の間に「有明」の時刻(6時43分)が見られておりまして、号数表示もない事もありまして、この1本しか運行されていなかった事もお分かりいただけます。それだけ鹿児島線の特急列車も九州新幹線の開通や利用者減によりまして大幅削減している事が伺える所でもあったでしょうか。
 
 (6時43分が「有明」です)
 
 そんな私自身も、かつての鹿児島中央駅の前身であります西鹿児島(現・鹿児島中央)駅時代の「有明」の頃から存じておりましたが、かつては485系電車や783系電車、そして787系電車と車両の変化がありながらも、鹿児島線の中心列車として存在していた事は正直大きいのではないかとも思います。
 
 
 さて、今回ここからご紹介しますのは、残念ながら平成30年3月の改正で783系電車の運行は廃止されておりますが、登場しました昭和63年改正から平成12年まで、そして平成23年の改正から今年3月の改正までの2期の間運行されておりました、783系電車の有明として運行されていた姿に関しまして皆様にご紹介してまいります。
 
 (平成26年撮影)
 
 
 783系電車によります「有明」は、先述のように登場しました昭和63年の改正から平成12年改正までの13年間充当されておりまして、この電車にとりましては最初の投入路線でもありまして、当初は熊本編成向け3両編成・鹿児島方面向け5両編成が存在しておりました。
 
 以下画像は、平成元年の3月改正の時刻でありますが、この時は西鹿児島駅まで「有明」であった訳ですが、その西鹿児島系統も含めまして、当時は17往復で運行されておりましたし、783系電車以外は485系電車でも運行されておりました。

 
 この時刻を見ますと、列車番号が水前寺→熊本間で「M」が表示されていない番号のみの表示ですが、これは豊肥線が電化されておりませんでしたので、DE10形ディーゼル機関車ヨ8000形車掌車(電源車扱い)783系485系各電車の組み合わせで運行されておりました。そのため、水前寺方先頭はDE10形ディーゼル機関車ですが、熊本(博多)方先頭は特急型電車でしたので、水前寺→熊本間は推進運転を行っておりました。
 
 
 さらに、スーパー有明と書いてあるのがわかりますが、これは当時「有明」の速達列車を表していたものでありまして、停車地も博多・鳥栖・久留米・大牟田・熊本・八代・水俣・出水・川内・西鹿児島でありました。また、所要時間も4時間5分となっておりましたので、九州新幹線の速達列車(「みずほ」)が最速1時間16分となっている事を思えば、現在は当時の約3分の1で福岡~鹿児島間は行けるようにもなっている事がわかります。
 
 
 その後、平成元年には熊本編成は4両化、平成6年には5両化にまで至りましたし、西鹿児島編成も多客期には7両編成で運行される事もありましたが、この間平成4年に導入されました787系電車の導入、平成11年の豊肥線の電化、そして翌平成12年には「有明」の787系電車統一もありまして、783系電車は一旦鹿児島線熊本方面への活躍の場を失っておりまして、長崎線・佐世保線・日豊線系統に活躍の場が移されておりました。
 
 (「かもめ(博多~長崎間)」時)~平成22年撮影
 
 
 そして、平成23年に「有明」運用が復活しまして、再び鹿児島線熊本方面へ乗り入れるようになりました。
 
 これは、九州新幹線が全線開通する事で在来線特急の運行を大幅削減する事によりまして、主にその「有明」に使用されておりました787系電車の4両編成が大分車両センターに転属となりまして、「にちりん」・「きりしま」・「ひゅうが」などに運行される事になった事、「みどり」「ハウステンボス」にも連結する事もありました「かもめ」が783系電車の長崎駅までの運行を終了する事で余剰となる事から、5両編成が「にちりん」・「きりしま」・「ひゅうが」に転用、一方、改正前まで「にちりん」系統などで運行されていた車両が4両に減車の上で「有明」・「かいおう」などに転用される事になっていたためでありました。

 この改正で783系電車が「有明」に運行される事になりました列車は、当時運行されておりました上下7本中、4本(2往復)で運行されておりまして、1往復が博多~熊本間(2号・7号)、1往復が博多~長洲間(3号・6号(終点は吉塚駅、博多→吉塚間普通列車))となっておりました。
 
 このうち、博多~熊本間の「有明」に運行されておりました783系電車は、主に以下画像のCM3○編成が主でありました。この編成は、当初は西鹿児島系統の「有明」に使用されまして(以下画像の編成は当初は「かもめ」に使用)、画像の先頭車クロハ782-500番台はかつてクロ782-0番台となっておりました。その後、そのクロハ782-500番台に改番後に「にちりん」・「ソニック」系統に転用の上、一度大分運輸センター(現・大分車両センター)に転属するも1年で南福岡電車区(旧)に再転属していた車両たちでもありました。
 
 (平成23年(改正前)、「にちりん」時撮影)
 
 また、その熊本駅発着の列車は、いずれも「ドリームつばめ」の名残の列車でもありまして、熊本行きは博多駅着最終の新幹線に接続していた事から画像の熊本駅に深夜2時前に到着していた列車でもありましたが、残念ながら平成26年に長洲~熊本間が廃止に至っておりまして、再び熊本地区で783系電車の定期列車の姿は見られなくなってしまいました。
 
 
 そして、平成30年改正にはついに783系電車によります「有明」は再び撤退される事になりますが、改正前の783系電車で運行されておりました「有明」は、長洲行きの3号と、博多・吉塚行き(博多→吉塚間普通列車)の4号の2本のみとなっておりまして、3号に使用されますのは「きらめき」などに使用されます4両編成、あるいは「にちりん」などに使用されます5両編成も運行される事もありました。
 
 (有明3号)~4両編成時
 
 また、4号に関しましては「みどり」編成が使用されておりまして、画像の4両編成での運行となっておりましたが、平成29年改正からは、平日は鳥栖~吉塚間で「ハウステンボス」編成によります、佐賀駅からの「かもめ104号」を併結しまして運行されておりました。この撮影時、「かもめ104号」として使用されます「ハウステンボス」編成は、橙一色に変更されている途中てしたので、より目立った所が見られておりましたが、このような変わった運行姿はわずか1年で姿を消す事になりました。
 
 (「有明 博多・吉塚」行先)
 
 (「ハウステンボス」編成によります「かもめ104号」を併結)
 

 今回は、2期の間運行されておりました、783系電車「有明」に関しましてご紹介しましたが、今となればこの「有明」自体ない訳ですので懐かしい所でもありますが、タイトルや先述のように最初に投入された原点の特急列車でもあります。しかも、末期には783系電車の「有明」の専門編成自体存在しなかった事は、他路線中心で使用されていた事が伺えていたようにも思う所です。現在は、この783系電車自体も姿を消した車両も見られておりますが、そんな中でも以前はリバイバル運行を行った所が記憶に新しい所ですが、今後も引き続きそう言ったリバイバルで鹿児島線を南下する姿を見せていただきたい所でもあります。