番外 「有明」など九州内特急短編成化の立役者でもありました、485系電車クモハ485形0番台紹介 | コウさんのコウ通大百科 PART3

コウさんのコウ通大百科 PART3

鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しています。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)
令和6年10月記事より更新は夜間から朝に変更しています。

 

 ご覧の皆様もご存知のように、鹿児島線の代表的な特急列車でありました特急「有明」は、令和3年3月の改正を持ちまして廃止となっておりまして、これによりまして久留米~熊本間には定期の特急列車(週1日のみ運行の「36ぷらす3」を除きます)は走らなくなっております。

 

 「有明」は、昭和26年に準急列車として愛称が誕生しておりまして、特急列車としては55年前の昭和42年に誕生しておりまして、門司港~博多~熊本~西鹿児島(現・鹿児島中央)1往復でキハ80系気動車によりまして運行されておりました。

 

 その後、昭和45年には寝台特急と兼用で583系電車が、昭和50年には485系電車も運行されておりましたし、JR化後の昭和63年には783系電車が、平成11年には4両化に伴いまして誕生しました787系電車の増備車によりまして運行されておりまして、車両の変化も見られておりました。

 

 (787系電車4両車)~その下の画像は(4×2)8両編成時の5号車での画像、現在は日豊線系統で運行中

イメージ 4イメージ 9

 

 そして、平成23年の九州新幹線全線開業には最高32往復までありました本数も下り4本・上り3本に減便されておりましたが、その後熊本駅発着が廃止された事などで減便が相次ぎまして、最終的には787系電車7両編成によりまして平日大牟田駅発1本が運行されるに至っておりましたが、先述のように令和3年3月改正で廃止されまして、54年間の特急列車運行に終止符を打っております。

 

 改めまして、本当に廃止は残念ではあります。やはり、鹿児島線を代表する特急列車でもありましたので、その伝統ある姿が消してしまった訳でもありますので。

 

 

 さて、今回ご紹介しますのは、この「有明」の5両化に伴いまして誕生しました485系電車の形式でありますクモハ485形0番台に関しまして皆様にご紹介してまいります。

 

 (クモハ485-1(旧鹿児島総合車両所Dk14編成))

イメージ 1

 

 

 国鉄末期、485系特急電車は、元々の7両編成以上の長大編成から、路線の増発を行う観点などから、3~5両の短編成化を行う事となりました。


 現在のJRで考えるならば、それに合った車両の新製を行う場合が多いのですが、当時の国鉄は、やはり財政難や民営化を控えていた事もありまして、従来の車両の改造でまかなう事となりました。そんな中でここ九州におきましては、3種類の先頭車化改造を施す事となりまして、次の3形式が新たに誕生しておりました。

 

 クロ480(サロ481の改造)

 

 (クロハ480-51(前車番・クロ480-11))

イメージ 7

 

 クモハ485(0番台、モハ485の改造) 

 クモハ485(100番台、モハ485の改造)

 

 これらは、全て「有明」の増発用として登場しておりまして、これらの改造が5両以下の短編成(事実上は5両と3両のみ~登場時の編成)に大きな貢献を与える事となりました。

 

 

 ここからはクモハ485形0番台に関しましてご紹介してまいりますが、このクモハ485形0番台は昭和59・60年に改造されておりまして、15両が小倉工場(現・小倉総合車両センター)・鹿児島車両管理所(現・鹿児島車両センター)、そして幡生工場(現・下関総合車両所)の3か所で改造されておりまして、特に旧幡生工場に関しましては旧小倉工場があります福岡県北九州市の隣町であります山口県下関市にあるとは言えども今となれば別の同士になりますので、国鉄時代ならではな所が見られていたようにも思う所でもあります。

 

 

 このクモハ485形0番台の特徴は、乗降扉が通常は後位に付いているのですが、この車両は前位に付いているのが特徴でありまして、乗降扉と運転室との間にはMGと呼ばれる電動発電機と、CPと呼ばれます空気圧縮機が付いている、いわゆる機器室があるのが特徴でもありました。これは、5両編成化によるものと、増結に対応した電源確保によるもので、そのために定員も56名と少ないのも特徴でもありまして、まるで首長(くびなが)のような姿が見られておりました。

 

 (旧鹿児島総合車両所Dk16編成、クモハ485-8)
イメージ 2

 

 (運転室後方が「機器室」)

イメージ 3

 

 この改造の特徴は、先述のようにドアが前位に付いているのが特徴でありましたが、この改造は、向きを変えた上で前後部の一部をカットした上で、新たに運転室や機器室の構体を取り付けた形であったようであります。そのため、以下画像を見ていただくとわかりますが、アップした画像からは、一見中間車みたいな感じにも見えるのがお分かりいただけます。
イメージ 4

 

 

 このクモハ485形0番台は、昭和62年に全15両がJR九州に移管しまして、「有明」を中心に運行されておりましたが、平成3年からは「RED EXPRESS」化、その後は「かもめ」・「にちりん」に使用されておりまして、「かもめ」時には他の「みどり」・「ハウステンボス」との3階建てとして使用されていた事もあったほどでありました。

 

 (「3階建て」時の「かもめ」)

 

 (「にちりん」、旧鹿児島総合車両所Dk15編成)

 

 

 また、南九州では「きりしま」として3両編成となりました車も見られておりまして、画像の旧鹿児島総合車両所Dk10編成や、そして後述の編成に変わる事になりますDk9編成が誕生しておりまして、100番台で見られておりましたクモハ485形の3両編成にも、0番台におきましても3両編成が見られるに至っておりました。

 

 

 けれども、2000年代から廃車が見られるようになりまして、特に平成23年の九州新幹線全線開通時には485系電車は全列車が定期運用を離脱した事で多くが廃車となりまして、画像のように他の車両とともに解体待ちをする姿が見られておりました。

 

 (旧鹿児島総合車両所Dk11編成&Dk13編成)

イメージ 1

 

 

 また、こちらが旧鹿児島総合車両所Dk13編成でまりましたクモハ485-9の解体前の姿を以前小倉工場祭りに収めたものでありましたが、窓やドアなどもなく、何とも寂しい姿であった事がわかります。この姿からも、まさにクモハ485形をはじめ485系電車の終焉を迎えていた印象さえも感じていた事を覚えております。
イメージ 7

 

 

 一方、九州の485系電車で最後まで残されておりましたのが、画像の大分車両センターに所属しておりましたDo32編成でありましたが、この編成はその前は旧鹿児島総合車両所Dk9編成であった車でもありまして、旧Dk9編成は緑の「きりしま」塗装から画像の国鉄色に塗り替えられまして、大分転属時にモハユニットを連結しましてこの編成を形成しておりまして、グリーン車なしではありましたが、かつての5両編成時代の姿を彷彿としていたのが良かったのではないかと思います。もちろん、この編成にもクモハ485-5が連結しておりましたが、他の車とともに平成27年に引退、翌平成28年に廃車登録されております。

イメージ 1イメージ 4

 

 

 今回は「有明」の運行にも貢献しておりましたクモハ485形0番台に関しましてご紹介しましたが、この編成も3両編成までの短編成にも対応していた訳でもありましたので、この形式の貢献度も大きかったのではないかと思っております。やはり、JR九州となりましてかつ最後まで見られていた「にちりん」など日豊線系統では必ずクモハ485形の姿が見られていた訳でもありましたので、なおさらではなかったのではないかと思っております。残念ながら、この形式に関しましては実在しない事から画像でしか見る事ができませんが、かつて存在していた事を存じていただければと思っております。
イメージ 5イメージ 6