西九州新幹線が開業しました令和4年9月からさかのぼった令和4年5月に、諫早市の玄関口であります諫早駅の所(諫早駅東口公共交通広場)に、新たなバスターミナルが設けられておりました。
このバスターミナルは、上の画像1にあります諫早駅の駅ビルであります「イーサ」の1階に設けられておりまして、画像2のように待合室や乗車券などの発券カウンター・LCDの時刻案内まで備えましたバスターミナルとなっております。
このバスターミナルのつくりは、駅前のロータリーに沿った形で設けられているのが特徴でもありまして、1~4番ホームが西側、5~7番ホームが東側にあたっておりまして、1番ホームが基本的に島原鉄道(島鉄バス)の路線が発着する以外は、各ホームからは長崎県営バスの主に以下の路線が発着するようになっております。
(西側、手前が1番ホーム、以降奥まで4番ホーム)
(東側、手前が5番ホーム、奥が7番ホーム)
(4番ホーム降車場)
1番ホーム 福岡「島原号」・島原・雲仙・小浜方面
2番ホーム 長崎(主に長崎バイパス経由「高速シャトルバス」)方面
3番ホーム 大村・長崎空港・長崎(ニュータウン経由)・多良見方面
4番ホーム 降車場
5番ホーム 湯江・小長井方面
6番ホーム 有喜・唐比車庫方面
7番ホーム 諫早市役所・早見・夫婦木方面
このように、新たなバスターミナルが新設された一方、残念ながら諫早駅向かいにありました長崎県営バスの諫早バスターミナル(「諫早ターミナル」とも言いますが、今回はこう述べさせていただきます)は閉鎖となりまして、現在は旧ターミナルは解体が完了しておりまして、訪問時には更地となりました姿を収める事ができておりました。
また、諫早駅と諫早バスターミナルを結んでおりました歩道橋も、こちらに関しましても閉鎖となりまして、訪問時には解体工事が行われておりました。今後解体工事も5月までの予定で工事が行われておりますが、この頃には歩道橋もなくなりましてすっきりとした姿が諫早駅前で見られる事にはなりそうであります。
こちらの画像は、歩道橋から収めておりました駅ビル「イーサ」でありますが、高い所から収めていた分、画像のように全体の姿も撮れてもいた訳ですが、歩道橋が閉鎖となりましてからは残念ながらこのような姿を収める事ができなくなっております。
さて、今回ご紹介しますのは、令和4年5月15日最終日の諫早バスターミナルの姿、そして閉鎖前のバス発着シーン、そしてこれまで私が訪問した際に収めておりました過去のバス発着シーンも併せて皆様にご紹介してまいります。
この諫早バスターミナルは、長崎県が昭和44年に設けましたバスターミナルでありまして、長崎県営バスが運営の形で、鉄筋2階建て、1階にバスターミナル、2階にテナントを設けまして営業しておりました。
ここからは、バスターミナル最終日撮影画像・過去の撮影画像を使いまして、諫早バスターミナルの姿をご紹介してまいります。諫早駅からこのバスターミナルへは、駅前の駐車場の所にあります階段から歩道橋を通りましてバスターミナルへと入って行くのが特に行きやすかったようであります。しかもこの歩道橋も、バスターミナルに隣接しますビルの所や、平成17年までは島鉄バスのバスターミナルも設けられておりました隣の諫早ターミナルホテルの所まで続いておりますので、駅からそこまで行く時には信号にもかからなくていい分好都合ではなかったかとも思います。
(平成30年撮影)
諫早バスターミナルへは、そんな歩道橋の突き当たりから入るようになります。テナントがあった頃は、以下画像のように看板も見られておりましたが、その下の画像のようにテナント閉店後は看板もすべて撤去されておりました。
(平成30年撮影)~まだテナントがあった頃です
(最終日時)
階段を下りますと、踊り場の所には2階のテナントの看板が残されておりました。画像は2階のテナントへ向かう階段の所から収めていたものですが、看板自体も味があるような姿が見られていることがお分かりいただけます。
こちらは、平成30年当時のテナント案内です。実際に画像のように見られていた事がお分かりいただけるのではないかと思います。中でもこれらテナントの中心でありますショッピングセンターサンコーの存在は大きかったようですし、100円ショップは特に学生さんや主婦層が利用されていたようであったようです。
最終日の1階のターミナル内の画像です。この撮影日は日曜日でもありましたので、バスターミナル内もそう多くはありませんでしたが、中には私のようにこの記憶を収めておきたいと思う方々の姿もありまして、カメラを持ちまして歩いている方々の姿もちらほら見られておりました。
画像は、バスターミナル内から2階のショッピングセンターサンコーまでのエスカレーターです。ただ、この撮影時は2階テナントは閉鎖されていた事もありまして、このエスカレーターは稼働する事はありませんでしたが、このようなエスカレーターも味があるような印象でもありましたでしょうか。
一方、こちらはバス乗降場所でもあります1階のテナントでありますが、こちらでもも閉店する姿が見られておりました。画像は売店であった所でしたが、その下の画像からもわかりますように、「閉店しました」と書かれている姿が見ていて残念な印象を感じさせておりました。
また、こちらは喫茶店であった所でありまして、バスターミナル東側に設けられておりました。こちらも、既に閉店されておりまして、その貼り紙も見られている事がお分かりいただけます。
そして、こちらは乗車券カウンターであります。このカウンターは最終日前日5月14日の時点で終了しておりまして、カウンター自体も閉鎖しておりました・・・。尚、隣の自動券売機に関しましては通常通り稼働が行われておりまして、最終日の夜まで稼働する姿が見られておりました。
(全体)
そんなこのカウンターからは、予約制高速バスの乗車券も販売されておりまして、この諫早バスターミナルを発着します「島原号」や、諫早インターを発着します高速路線バス(九州急行バス「九州号」も含みます)の乗車券の発売も行われておりました。画像は、長崎県営バスがかかわります高速バスの時刻表でありますが、平成20年撮影当時は画像中央に「レインボー壱岐号」がありましたし、夜行バスであります大阪線「ロマン長崎号」の時刻も見られておりました。
そして、掲示されております時刻表です。諫早バスターミナルでは、画像のように時刻表示が行われておりましたが、この姿からも時代を感じさせられる姿ではなかったかと思います。しかも、多くの本数が見られている事がわかりますが、それほど利用者の足が確保されている事が伺わせる姿でもあります。
(長崎方面(ニュータウン経由))
(破篭井・夫婦木方面)
画像は、最終日に撮影しておりました長崎県営バス・島鉄バスの路線バス車両です。諫早地区の路線バスは、そのほとんどが中型バスを使用しておりますが、長崎方面へも普通系統で、「高速シャトルバス」の間合いで高速・リムジン用の車両が使用される場合も見られておりまして、こういった車にあたりますと「乗り得」にもなるのではないかとも思います。
【長崎県営バス】
(F356・三菱TKG-MK27FH)~回送
(0M51・日産デPDG-RM820GAN)~津水行き
(T453・いすゞSDG-LR290J3)~県界行き
(6A58・日野KL-RU4FSEA)~長崎より(ニュータウン経由)
【島鉄バス】
(1763・いすゞSKG-LR290J3)~口之津・大屋行き
こちらは、過去に撮影しました、現在は廃車となりました長崎県営バスの路線車であります。この諫早バスターミナルでは、過去には画像の車の姿が見られておりまして、中には丸目1灯の日野レインボーや、全廃になりました三菱エアロスタートップドア車の姿も見られておりまして、様々な姿をこれまで私はこの諫早バスターミナルで収めておりました。
(2883・三菱P-MP218K)~平成20年撮影
(2B14・日野P-RR172CA)~平成20年撮影
(3111・日野P-RR172BA)~平成21年撮影
(1E16・三菱P-MP618MT)~平成20年撮影
(5E14・三菱U-MP618MT)~平成25年撮影
こちらは、過去に諫早ターミナルで撮影していた島鉄バス画像です。島鉄バスも、現在は長崎バスグループとなりまして、長崎自動車(長崎バス)・さいかい交通と共通した社番も見られておりますが、当時はそういった姿も見られなかった事もわかりますし、車両も高床車なども活躍していた事も画像からお分かりいただけるのではないかと思います。
(長崎22か26-85、日野U-HU3KMAA)~長崎バスGP社番2685、平成25年撮影
(長崎22か27-01、日野U-RR3HJAA)~長崎バスGP社番3431、平成25年撮影
(長崎200か・560、日野PKG-KV234N2)~長崎バスGP社番4911、平成20年撮影
こちらは、正面に見られておりました全日空(ANA)の旧ロゴマークであります。ここにはかつて旅行センターも設けられておりましたので、その名残が見られておりました。それにしても、錆だらけ(?)の印象が捨てがたい部分ではありますが、こういった所もかつての名残が見られる部分であると言えましょうか。
今回は、残念ながら解体されました長崎県営バスの旧諫早バスターミナルの姿を、令和4年の最終日訪問時・過去撮影時の画像からご紹介しましたが、私自身10年以上に渡り通っておりましたこのバスターミナルが閉鎖となってしまった事は残念でならない所ではありましたでしょうか。しかも、施設の老朽化や移転となってしまった事を思いますと仕方がない所ではありましたが、掲載画像からもわかりますように様々な車が発着していた事も伺えるのではなかったでしょうか。現在は冒頭述べましたように解体されましてバスターミナルの跡形もありませんが、ご覧の皆様もこれで懐かしがっていただければ幸いであります。