JR九州に所有しております415系電車は、北部九州におきまして運行されております車は、大分車両センターに所属しまして、鹿児島線・日豊線・山陽線(門司~下関間)・長崎線(鳥栖~佐賀間)で活躍している姿を見る事ができております。
この415系電車と言いますと、平成28年までは小倉総合車両センター門司港駐在でも415系電車が所属しておりましたが(以下画像3のFo110編成がかつては門司港駐在所属歴あり)、その後鋼製車両は大分車両センターに、ステンレス車両であります1500番台は南福岡車両区・大分車両センターと所属しておりました。
しかし、令和4年9月のダイヤ改正によりまして鋼製車両は全車運用を離脱、ステンレス車両も全車大分車両センターに集中配置となっておりまして、その改正までの運行区間でありました長崎線の肥前浜~長崎間が非電化された事もありまして、定期運用から佐世保線も撤退した事で、主に交直流であります上の画像の「関門間」となった事で運行区間も狭くなっているのが現状ではあります。
そんなそんなこの415系電車は、全車離脱しました鋼製車両を含めまして、現在行先表示機が全車電動式の行先表示機となっているのが特徴でありまして、それは後述の方向幕となりまして現在に至っております。
(左側の錆が気になります)~Fo123編成
(肥前大浦行き)~現在非電化区間となりましたので表示する事はありません
しかし、国鉄時代→JR化後しばらくの頃に見られておりました方向幕は、以下画像のような行先表で構成されておりまして、しかも前面に関しましては行先表示機自体は手動式、加えまして側面に関しましてはサボとなっていたなどの姿が見られておりました。今回は、その行先表に関しまして解説を含めまして皆様にご紹介してまいります。
(原行先表)~Fo106編成で見られていました
では、ここでは画像4の行先の解説を行ってまいりますが、実際に画像をご覧いただければわかるのではないかと思いますが、九州内の鹿児島・日豊・長崎・佐世保各線のほか、現在は乗り入れる事がありません、山陽線の下関駅以東や宇部線の行先も入っておりまして、この415系電車自体の運用範囲も広かった事がお分かりいただけるのではないかと思います。
尚、この行先は平成5年現在でありまして、その証しとしましてハウステンボスの行先(72番)も入っておりますが、この行先は追加装てんしたものでありまして、実際の方向幕作成は415系1500番台電車が登場しました国鉄末期に作成していたものであったようであります。
さて、ご覧いただきますとわかりますが、山陽線の一番遠い所では徳山(7番)や防府(8番)といった行先も入っておりました。実際にこの415系電車が登場しました昭和46年の時点では防府駅まで運行されていたと言う記録がありましたが、国鉄末期の時点で運行しておりましたのは小郡(9番、現・新山口)駅までしか運行されておりませんでした。それでも九州~山陽線~宇部線の直通列車も運行されておりましたので、宇部新川(12番)も入っておりまして、下関駅で運行が分離しております今では考えられない事ではないかとも思います。
これら行先が入っていた車両の特徴は、画像4の車のように、前面行先の駅名の下に小さくアルファベットの駅名が入っておりました。現在はこの方向幕が存在しない上に、文字も画像にもあります現在よりも大きかっただけに、電動化につながってしまった以上、仕方がない事ではないかとと言えましょうか。
現在は、以下のようになっております。先述のように運行自体も下関駅で分離されておりますので、現在は所属しません南福岡、そして大分所属車の場合は下関駅以東の行先は、行先の修正等も行われた事もありまして姿を消しております。
尚、令和4年9月改正まで南福岡所属の車両は、改正に伴い大分車両センターに集中配置されましたが、それに伴いまして換装されたようでありまして(その証として大分の行先が装備されていないため)、「福北ゆたか線」の行先が多い南福岡車両区の行先は見られなくなっているようであります。
また、大分所属車に関しましては、以前は日豊線メインの行先でありましたが、現在は小倉総合車両センター門司港駐在での所属がありませんので、統合されたような行先となっております。ただ、先述の令和4年9月改正前までの南福岡所属車を加えまして、現在は大分地区は小倉・中津~大分間の1運用しかありませんので、大分地区の行先は定期では見られなくなっております。