NO.2960 現在は全廃となっています、国鉄末期に生まれの気動車、JR九州キハ31形気動車紹介 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 かつて九州には、バスに使用されている部品を使用しました気動車であります「レールバス」が昭和時代から存在しておりまして、閑散線区を中心に活躍する姿が見られておりましたが、昭和60年代~平成時代にも同じくバス部品や廃車発生品の部品を使用した気動車が存在しておりました。
 
 それが、キハ31形気動車でありまして、国鉄末期の昭和62年に登場しまして、そしてJR化後の昭和63年まで製造されました気動車でありまして、以来、香椎線・篠栗線・筑豊線・日田彦山線・久大線・日南線などで活躍しておりましたが、残念ながら最後まで運行されておりました三角線におきまして運行されておりました車を最後に全廃となっております。
 
 このキハ31形気動車も、10年近く先輩のキハ40系気動車が多く健在である中で、キハ31形気動車が定期運用を先に全車離脱する事にもなりますので、正直後輩が先輩より先に・・・という印象が強い訳ではありましたが、これからご紹介します要因を考えますとそうなってしまうのも正直おかしくはないのかな・・・という印象が強くなってまいります。
 
 
 さて、今回は、これまで私が収めましたそのキハ31形気動車を掲載しつつ、キハ40系気動車よりも先に全車離脱する要因となりました所も併せまして皆様にご紹介してまいります。
 

 この列車は、国鉄分割民営化の直前である昭和62年に登場しまして、JR化後の昭和63年まで以来23両が製造されておりまして、新製配置は(当時の)熊本運転所・大分運転所・竹下気動車区、そして唐津運転区に新製配置されておりました。しかし、唐津運転区に配置された車両は、その後いずれも竹下気動車区に転属しておりまして、唐津運転区内での活躍はありませんでした。また当初は、熊本運転所が豊肥線・三角線・肥薩線、大分運転所が豊肥線・久大線、竹下気動車区が香椎線・篠栗線が主な運行区間でありました。
 
 
 この列車の特徴は、ご紹介しておりますように、「バス=列車」と言ってもいいかと思います。それは、まず、ドアがバス用の折戸式である事、車内の機器類もバスの部品が使用されている事がわかります。また、一部は廃車発生品を使用しておりまして、新しさの割には古い所も一部は見られておりまして、コストダウンが図られております。特に座席は、0系新幹線電車の廃車発生品も使用しておりまして、シート配列も一部車は3列シートとなっているのが特徴でありました。これは当時の国鉄の財政難も関係している事が伺わせております。
 
 (車内)~オリジナル3列シート車、平成19年撮影
 
 また、車内を見ましても、明らかにワンマン専門車両である事が伺わせております。と言いますのが、運転室は片側に、車掌台は別に設けておりますし、そして整理券発券機や運賃箱設置と言う所がわかる所ではないかと思います。実際に、竹下気動車区に所属しておりました車両を皮切りに、平成5年までに全車ワンマン改造が行われておりまして、現在のキハ125形気動車みたいな印象が出ているのもわかる所ではないかと思います。
 
 (片側運転台)~平成19年撮影
 
 (運転台)~平成20年撮影
 
 (運賃表)~肥薩線運行時、平成19年撮影
 
 (車掌台)~平成19年撮影
 
 また、このキハ31形気動車で使用される事がなかったものがあります。それが画像の半自動ドアスイッチでありますが、このスイッチは新製時より見られておりました。しかし、半自動式のボタンスイッチはまったく使用される事はなく、もしも使用する事ができておりましたら、九州初となりました筑肥線などで活躍します305系電車よりも先に使用する事ができてもいただけに正直無駄なものではなかったかなと思う所でもあります・・・。
 
 (内側)
 
 (外側)
 
 
 このキハ31形気動車は、その後(当時の)長崎運転所や鹿児島運転所(日南運用)に転属しました車両もありました。また、さらには大分運転所(→豊肥久大鉄道事業部)・人吉鉄道事業部に所属していた車両もありまして、長崎運転所は長崎線・佐世保線・大村線(その後全車大分に転属)、人吉鉄道事業部では肥薩線を運行区間に、その後キハ40系気動車で運行されておりました観光列車「いさぶろう」・「しんぺい」として座席に畳を敷いた車両も存在しておりました(畳を敷いた車両は熊本車両センターとなりながらも肥薩線快速「九千坊号」で存在しておりました)。
 
 (日南運用時代、キハ31 22)
 
 (「九千坊号」)
 
 
 そして、平成18年には、大分・鹿児島(日南)・熊本(一部)に所属していた車両が直方運輸センター(→直方車両センター)に転属しまして、筑豊線(「若松線」・「原田線」)や後藤寺線・日田彦山線(田川後藤寺~彦山間)で14両が活躍しておりました。特に「若松線」では画像のようにキハ31形気動車3両と言う形もありましたし、「原田線」や後藤寺線では1両編成としての姿が見られておりましたし、「若松線」・「原田線」では方向幕まで使用されておりました。
 
 (3両編成、若松駅にて)~平成23年撮影
 
 (本城駅にて)~平成29年撮影
 
 (桂川駅にて)~平成22年撮影
 
 (行先)
 
 
 これら直方車両センター(←直方運輸センター)に集められました車両の車内のシート配置は異なっておりまして、基本は以下画像のように3列シート車でありましたが、3列シート車の定員は98名となっておりました。ちなみに、この時は上の画像と違いましてシートモケットが交換されていた事がお分かりいただけます。
 
 (平成20年撮影)

 一方、片側をロングシート化した車も存在しておりました。これらは全て大分に所属していた車でありまして、ラッシュ時にはやはりこちらの方が対応できていたのが良かったのではないかと思います。尚、これらの定員は111名と13名多い定員が確保されておりました。
 
 (平成20年撮影)
 
 (平成29年撮影)~シートモケット交換後
 
 
 尚、後藤寺線・日田彦山線では方向幕は使用されておりませんでした。そのため、画像のようにサボが用意されておりまして、実際にこれら区間では使用されておりました。正直、上の画像にもありますように、「田川後藤寺」幕は用意されていただけに、正直使用しても良かったんじゃないかと思ってならない所でありました。
 

 また、熊本車両センター(←熊本運輸センター)に所属していました車は、三角線・肥薩線(八代~人吉間)で使用されておりました。また、熊本車両センターに所属していました車両の場合にはスカートが装備されておりまして、これはその後直方車両センターに転属していた車両も含まれておりました。
 
 (キハ31 14)~人吉駅にて、平成26年撮影
 
 (キハ31 4)~瀬戸石駅にて、平成25年撮影
 
 (キハ31 14)~三角線運行時、宇土駅にて、平成22年撮影
 
 (サボ)~キハ31-16(ハイフン付き)
 
 
 しかし、キハ31形気動車の一番の難点がトイレが付いていないという所でありました。しかも、トイレ付改造まで施す事ができないと言う事もありまして、比較的短距離路線で使用されるようになります。実際に、以前三角線では以前は画像のようにトイレ付・トイレなしを表す時刻表まで見られておりまして、これでキハ31形気動車が運行される・されない事がわかっていました。
 
 また、熊本地区の運行区間でありました肥薩線に関しましても、平成28年に乗り入れが終了しました。やはり、トイレが装備されていないと言う事や、駅にもトイレ自体がない駅もあるためとの事でしたが、やはりこう言った所も残念ではありました。
 
 
 そして、極めつけが折戸式となっていた事でドア幅も狭く、これによる遅延もラッシュ時には発生してもいました。特に、多く運行されておりました「若松線」では、通勤・通学時間帯ではそう言った所が見られていたそうでありまして、やはり最寄りで学校が多く存在します折尾駅での乗車・下車時は大変ではなかったかと思ってならなかったようではあります。
 
 (三角線宇土駅にて)~平成30年撮影
 
 
 そして、平成30年には819系蓄電池電車の導入に伴いまして、直方車両センターからは博多運用2両・熊本車両センター転属4両を除きまして定期運用を離脱、その結果多くが廃車となりました。
 
 さらに、冒頭ご紹介しましたように、最後の活躍の場でありました上の画像の三角線からも直方車両センターからの転属車も存在しておりましたが、翌平成31年3月15日に定期運用が終了しまして、その後令和に入りまして、直方車両センター博多運用・熊本車両センター6両の計8両が全車廃車となっております。
 
 (平成29年折尾駅で撮影)~最後の画像も、この平面ホームも3月15日まででした
 
 
 今回は、現在は全廃となっておりますキハ31形気動車に関しましてご紹介しましたが、この気動車も、当時の国鉄型車両の置き換えのために導入されたものでしたが、冒頭ご紹介しましたように、末期は先輩キハ40系気動車よりも活躍の場を失っていましたので、それほどキハ40系気動車の使い勝手が良かった反面、キハ31形気動車は逆に使い勝手が悪かった事が伺えます。やはり一番はトイレを付ける事ができなかった事が挙げられるようでしたが、そう言った対応ができなかったのは正直残念であったでしょうか。とにかくご覧の皆様も過去にこのような気動車が存在していた事を存じていただければと思います。