NO.2959 最高2両編成のワンマン列車によります運行路線、筑肥線(西線)全11駅探訪(後編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 3回にわたってご紹介してまいりました、筑肥線(西線)の全11駅探訪の話題も今回で最終回であります。

 

 ここまで、の前編では現状及び山本駅から隣の肥前久保駅までの話題、中編では西相知駅から大川野駅までの話題をご紹介しておりましたが、そんな西線区間であります山本~伊万里間はは前身の北九州鉄道によりまして昭和10年(1935年)に開業しておりまして、これによりまして全線開業からは今年で88年の歴史を誇る路線となっております。

 

 全線開通後は、博多~東唐津(旧駅)~伊万里間の直通列車が運行されてもいましたし、線路がつながっておりました松浦線(現・松浦鉄道西九州線)との直通列車も運行されておりましたが、昭和58年の(西唐津・)唐津~姪浜間電化によりまして、博多~姪浜間、虹ノ松原~東唐津間が廃止されまして、以降は東線(唐津~姪浜間)・西線と分かれるに至っております。

 

 しかし、東線が特に筑前前原駅以東で複線化されるなど多くの本数が存在する一方、西線の本数は一日わずか9往復・ワンマン列車のみが運行する路線となっておりまして、かつ沿線の過疎化もありまして利用客も減少に至ってもいまして、将来は廃止との噂までも言われているのが現状であります。

 

 それでも、この路線では過去に映画のロケ地としても注目されていた駅も存在しておりまして、画像の駒鳴駅は平成24年に公開されました「僕達急行 A列車で行こう」のロケ地として、出演しておりました松山ケンイチさん・永山瑛太さんらが訪れていた事もありましたので、その分注目される駅でもありました。 

 

 また、画像2・以下画像の大川野駅は西線唯一の交換駅となっておりまして、時間帯によりましては画像のように交換する姿も見られております。ちなみに、以前この駅から山本駅間がタブレット閉塞となっておりまして、通票交換する姿も見られていたほどでもありました。

 

 けれども、本数減によりまして片面ホームとなった駅も見られております。画像の西相知駅は、昭和50年代までは交換駅でもありましたが、その後は片面ホームの駅として存在しております。また、かつてはこの駅周辺も炭鉱があった事からその分賑わっていたそうでしたが、そう言った賑わいも見られなくなっておりまして、後述の駅にも片面ホームとなった駅も見られておりますので、冒頭の過疎化も伺える所が見られているのも現状ではあります・・・。

 

 

 ここまで、前回までの話題を改めてご紹介しましたが、最終回となります今回後編では、いずれも佐賀県伊万里市にもあたります、肥前長野駅から伊万里駅までの姿に関しまして、皆様にご紹介してまいります。

 

 

 画像は、大川野駅から1.4キロ先にあります肥前長野駅であります。この駅も昭和10年の全線開通を機に開業しました駅でありまして、かつては貨物・荷物も取り扱う駅としても存在しておりまして、地元産のなしの積み出し駅としても存在していた事があったほどでした。

 

 (駅内)~味がある姿が見られます

 

 この肥前長野駅は、1面1線のホーム配置となっておりまして、2両ワンマン列車が停車する分かさ上げされている所が見られてはいますが、山本方の先1両分はかさ上げされておりません。この姿からも普段利用者もそう多くはない事が見ていて伺う事ができるのではないかと思います。

 

 こちらは、駅舎・ホームの前にあります牛舎であります。以前訪問時は独特の匂いもしていたので何の匂いかなとも思ったほどでしたが、そうしますと牛舎があるんだと思ったほどでしたが、現在はここでの飼育は休止しているようで牛の姿もありませんでした。今後、暖かくなりますとまた牛の姿も見られるようではありますが、その際はまた独特な匂いが見られるようにもなるのでしょうか。

 

 

 さらに、駅舎の横にありました、手押しポンプです。ここには井戸水がある事が伺わせておりますが、現在はこの手押しは使用されておらず、駅横にくみ上げる機械が置いてありまして、それでくみ上げる形になっております。

 

 駅舎に戻りますと、JR時刻表が置かれておりましたし、時刻表を見るための虫眼鏡も置かれておりました。これも訪れる方のために地元の方が設置されているようではありますが、現在はスマートフォンで調べればこの駅以外の時刻もわかる中でもこの大きな時刻表の存在は慣れていない方でしたら特にありがたい存在でしょうか。

 

 そんなこの駅も、近年ではいたずらが見られていたそうですが、鉄道ファンの有志によって大切にしていこうと言う貼り紙が見られておりました。先述のように、この駅舎も昭和10年の開業時に設けられた駅舎でもありますので、今年で88年にはなります。ですから老朽化が進んでいる事には間違いないとは思いますが、その分大切にしていただきたい所ではありましょうか。

 

 そして、こちらは同じく掲示されていました新聞記事でありますが、上の画像の件やかつての合理化(無人化)による反対運動などの事が記されておりました。この駅も、現在の一日の利用者が20人台と言う事で非常に少ないのが現状でありますので、その分無人化も今となればやむなしと言う所ではありますが、その無人化に対しても反対運動が起きていたとの事で、現在も無人化が進みますJR九州でもありますので、当時はまだひどかったのかなとも実感する所ではありましたでしょうか。

 

 そんなこの駅と言いますと、過去には福岡のアイドルグループ「HKT48」がシングル「君とどこかへ行きたい」のジャケット撮影を行っていた場所でもありました。実はこの曲自体は、JR九州全面協力であった事からできていた姿でしたが、実際にホームの姿とジャケットの姿を見ますとお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 (オリコンニュースより引用しています)

 

 また、令和3年6月には前回も駒鳴駅停車があった事をご紹介しておりました、キハ66・67系気動車2番ユニットの最後の団体臨時列車の伊万里駅まで行く列車が停車していた駅でもありましたが、やはり青の塗装でこの筑肥線を走る姿は見ていて違った印象でもあったように思うだけに、最後の最後にこの企画を行ってくれて良かったと思っております。

 

 (駅名標と絡んで)

 

 

 この肥前長野駅での撮影を終えますと、この後ご紹介します次の駅へと向かっておりました。

 

 

 次にご紹介します駅は、肥前長野駅から約3キロ先にあります桃川駅であります。

 

 この桃川駅も、昭和10年に開業しました駅でありましたが、当初は松浦駅と言う駅名でありました。と言いますのもこの地自体が伊万里市松浦町に属しているためでありますが、隣町に長崎県松浦市もありますし、翌昭和11年の国有化に伴い後述の伊万里駅も通ります松浦線(現・松浦鉄道西九州線)もありましたので、近く同士で「松浦」と言う地名もある事も伺えるのではないかと思います。尚、昭和12年に現在の桃川駅に改称されておりますし、長崎県松浦市の松浦駅も、当初は志佐駅でもありましたが、昭和34年に松浦駅に改称されております。

 

 この駅の利用者は、大川野駅並みの利用者がみられているものの、片面ホーム1面1線の配置でありまして、こちらも3両分のホームの長さがあるものの、2両分までがかさ上げした形となっておりまして、3両以上の定期列車は来ない事も伺わせております。

 

 (伊万里方)~その下の画像はホームの先、2両分までかさ上げしてあります

 

 (山本方)

 

 この駅には、以前は駅舎が設けられておりましたが、現在は待合スペースのみがある小ぶりな姿に変わっておりまして、つくりから見ましても寂しさが伺えるのではないかと思います。

 

 また、かつては前回ご紹介しました西相知駅と同様ホームも設けられていたようでしたが、残念ながら撤去されておりまして、その跡も現在も見られております。それにしても、駅舎自体も見られなくなっておりますので、駅の入口からホームまでも少々離れている印象でもあります・・・。

 

 所で、このホームの外には、警告文が見られておりましたが、無断立入禁止・耕作禁止と書かれておりました。無断立入禁止に関しましては、線路を越える事にもなりますので危険だからと言う事が伺えますが、耕作禁止に関しましては、よく地方部の線路沿いに畑を作っておりまして、野菜などを作る方が見られる所もありましたが、やはり危険だからと言う事でそう言った事をやらないようにと言う事が記載されている事がわかるのではないでしょうか。

 

 そんなこの駅には、桃川駅前バス停が置かれておりまして、武雄市コミュニティバスが平日4往復・土曜日3往復でJRの伊万里方面からの列車に接続する形で運行されております。しかし、かつては昭和自動車(昭和バス)の伊万里~武雄線が平成30年まで存在しておりまして、県道沿いにバス停がありましたが、その代替として現在はこのコミュニティバスが運行されておりますが、唐津方面からの接続が逆に効かなくなってしまったのは残念ではあります・・・。

 

 (時刻)

 

 (現在も残る、昭和バスの廃止告知)

 

 尚、桃川駅前バス停は平成初頭までは佐賀方面・福岡方面(「いまり号(九州道経由時代)」)の高速バスの停車地でもありまして、利用者も見られていたようでしたが、高速バスがやってこない今、バス停も移設している分、そうした面影も見られなくなっております。

 

 

 場所は変わりまして、桃川駅から2.3キロの所にあります金石原駅であります。

 

 この金石原駅は、昭和10年の開業当時は停留場として生まれておりましたが、国有化によりまして駅として現在に至っております。この駅も、荷物・貨物も扱っておりましたので、過去は有人駅でありましたが、現在は無人化されておりまして、以下画像の狭い所からホームに入る形となっております。

 

 この駅も、駅舎がない分、待合スペースが設けられておりますし、ホームも3両分設けられておりましても2両分しか使用できなくなっておりまして、ホームの先端は雑草が生い茂っております

 

 (山本方)

 

 尚、駅舎はかつては画像の地に置かれていたようではありましたが、現在は面影は見られなくなっております。やはりこれまでご紹介してきました駅の中では最も狭い印象が見られますが、かつて有人駅であった事を思いますと、あってはおかしくなかったかなとも思う所ではあります・・・。

 

 

 金石原駅を出まして、上伊万里駅へと向かいますが、ちょうど伊万里駅からの唐津行き列車の姿を上の画像の場所で収めようとしましたが収める事ができず、結局最後の画像にあります近くの踏切で後追いだけは収める事ができておりました・・・。

 

 

 ここからご紹介しますのが、画像の上伊万里駅であります。金石原駅とは4.4キロも離れておりまして、駅間の所要時間も5分ほどかかる区間でもあります。

 

 この上伊万里駅も、昭和10年に開業しました駅でありまして、当初は1面2線のホーム、また貨物の側線も設けられておりましたが、昭和45年に貨物の営業が廃止、その後道路側の線路も撤去されまして、現在は西相知・桃川両駅とともに片面ホームとなっております。また、これまでもご紹介しておりますように、3両分のホームの有効長はありますが、2両分がかさ上げした形となっておりまして、奥は柵がありまして通行できないようになっております。

 

 (2両分のみしかかさ上げされていないのがわかります)

 

 ここで時刻表であります。運行本数は上下各9本ですので、運行されない時間帯がある事がわかります。実際伊万里行きが9時29分発の次が12時55分唐津方面も7時44分発の次に11時08分発と空いた時間帯がありますので、より少なさが伺える所ではありましょうか・・・。

 

 この上伊万里駅には、画像の位置に駅舎が存在しておりました。実際にその面影も見られているのがわかりますが、撤去しまして久しい今となれば残念な印象さえも感じさせられます。

 

 

 この後、次の駅でもあります西端の伊万里駅へと進みます。画像がその伊万里方でありますが、雑草が生い茂っておりまして、あまり手入れも行き届いていない事が伺わせておりました。

 

 

 そして、筑肥線の西端であります伊万里駅であります。伊万里駅と言いますと、これまでもご紹介しておりましたが、かつては1つの駅として存在しておりましたが、昭和63年の松浦線の松浦鉄道(MR)転換後は、線路は互いにつながっていましてもJRとMR2つが存在するようになっておりましたが、その後後述のように分断されるに至っております。

 

 かつて伊万里駅は、以下画像の現在は道路・連絡橋となっている中央部分に伊万里駅の旧駅舎が存在しておりまして、先述のように旧国鉄・JR松浦線とJR筑肥線との共用駅として存在しておりましたが、JR化後翌年の昭和63年に松浦線が廃止、第3セクターの松浦鉄道に転換される事になります。

 

 それ以来、伊万里駅でのJR筑肥線~MRとの直通列車は、団体・臨時・検測列車以外は乗り入れる事もなくなりましたが、その後伊万里駅周辺の再開発事業によりまして、旧伊万里駅駅舎付近から国道202号線にかけての道路を整備する事になりまして、その結果平成14年にJRとMRとは線路を分離されてしまいまして現在に至っております。

 

 尚、そのつながっていた証は、現在もMR側のホームで明らかにする事ができておりまして、実際に古いホームが寸断されていた事を伺える姿も見られております。

 

 現在のJR側の駅内です。ここには駅員配置によるみどりの窓口が設けられておりますが、営業時間が平日午前中のみの営業となっておりますし、土・日曜日には休業する形となっております。この時も、運行されていない時間帯に訪問しておりましたので、駅内はガランとしておりました。

 

 伊万里駅のホームです(過去撮影)。この駅のホームは画像のように1面1線のみのホームとなっておりますし、線路自体もその下の画像のように行き止まりのホームとなっております。旧松浦線がMR転換時に2・3番ホームが充てられましたが(その後1番ホームも追加されます)、筑肥線に充てられておりましたのが1番ホームだけでありましたので、考えてみましても見ていて寂しい感が伺える所ではあります・・・。

 

 (この先で線路は寸断)


 現在、JRとMRとの乗り換え亘り線は、画像のように歩道橋として存在しております。しかし、乗り換えにわざわざ階段・エレベーターを使用しないといけない事から、あまり使用される方はおらず、ほとんどが近くの横断歩道を横断される方がいらっしゃっているのが現状のようであります。尚、以前は横切られる方もいらっしゃったようですが、現在は柵が設置している事から、安全面は改善されているようです。

 

 

 さて、今回まで3回に分けましてご紹介してまいりました、筑肥線の西線全11駅探訪を終わる事になりますが、普段の利用者から見ましてもそう多くはない姿が見られておりますし、過疎化も見られている分、駅の姿からもそうした姿が伺わせております。やはり、これまでも述べておりますように、電化されております東線とは対照的な姿が見られているのが現状でありまして1・2両の列車で事足りている事もわかるのではないでしょうか。となりますと、将来廃止とも噂されてしまうのもわからなくはない所でもあります。

 

 

 けれども、少なからずども利用者は見られております。確かに以前は増発を行っておりましたリ、快速列車の運行も行っておりました筑肥線の西線区間ではありますが、それでも学生さんや交通弱者の方の足となっている事には変わりはない訳ではありますので、今後何らかの手を打つなりして活性策を考えていただければと思う所ではあります。例えば「D&S列車」を走らせるなりと言った策も一番の手でもありますし、より観光面でも力を入れればまだいいのではないかとも思いますので。とにかく、この西線も寂しい姿が見られているだけに、あくまでも「上次第」ではありますが、この路線に関しまして更なる利用を望みたい所ではあります。