NO.2958 最高2両編成のワンマン列車によります運行路線、筑肥線(西線)全11駅探訪(中編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 福岡県福岡市から佐賀県唐津市を経まして、伊万里市へと続きます筑肥線のうち、「西線」と称します山本駅から伊万里駅までの11駅の探訪の話題をご紹介しておりますが、前回の前編では現状及び山本駅から隣の肥前久保駅までの話題をご紹介しておりました。

 

 筑肥線は、今から100年前の大正12年(1923年)に前身の北九州鉄道によりまして福吉駅~浜崎駅間が開業しておりましたが、山本~伊万里間は全線開通しました昭和10年(1935年)に開業しておりまして、こちらに関しましても88年の歴史を誇っております。

 

 全線開通後は、博多~東唐津(旧駅)~伊万里間の直通列車が運行されてもいましたし、線路がつながっておりました松浦線(現・松浦鉄道西九州線)との直通列車も運行されておりましたが、昭和58年の(西唐津・)唐津~姪浜間電化によりまして、博多~姪浜間、虹ノ松原~東唐津間が廃止されまして、以降は東線(唐津~姪浜間)・西線と分かれるに至っております。

 

 (山本駅3番ホーム)~筑肥線向けのホームでもあります、以前は右側の宅地の部分にも筑肥線向けの4・5番ホームが存在していました

 

 しかし、東線が特に筑前前原駅以東で複線化されるなど多くの本数が存在する一方、西線は一日わずか9往復・ワンマン列車のみが運行する路線となっておりまして、かつ沿線の過疎化もありまして利用客も減少に至ってもいまして、将来は廃止との噂までも言われているのが現状であります。

 

 実際に、前回ご紹介しました肥前久保駅、そして後述の駅も、利用者が少ない駅が多く見られているのが現状でもありまして、3両分しか有効長がない(実際はかさ上げで2両のみが停車可能)駅がありましたり、駐輪場の自転車などの数からもそう言った事がより伺えるのではないかとも思います。

 

 (肥前久保駅)

 

 

 さて、今回中編では、肥前久保駅の隣駅でもあります西相知駅より、伊万里市に入りまして大川野駅までの各駅の姿に関しまして、皆様にご紹介してまいります。

 

 

 上の画像・以下画像が、肥前久保駅から1.5キロ先にあります西相知駅であります。唐津市相知町には、唐津線の駅として、前回もご紹介しましたように、山本駅~肥前久保駅間にあります、以前は筑肥線側にもありました本牟田部駅、そして相知駅がありますが、筑肥線にも肥前久保駅・西相知駅、そして後述の佐里駅とありまして、計5つの駅が存在しております。

 

 (ホーム)

 

 ホームは上の画像のように片面のみで3両までの有効長しかないホームとなっておりまして、列車が停車します2両分はかさ上げされております。そんなこの駅には現在は駅舎はなく、ホーム内にポツンと囲い付きの待合スペースがあるだけでありまして、正直寂しい姿が見られております。

 

 そんなこの駅は、かつて昭和50年代までは交換可能であった駅でしたが、その後道路側の線路は撤去されておりまして、現在もその名残は見られております。昭和40~50年代も、旅客列車の本数は10数本程度ではありましたが、それでも貨物列車が運行されてはいましたので、本数はまだ多かったでしょうし、周辺も炭鉱が存在していた事で賑わっていたでしょうから、その面影も見られなくなっているのも残念に思う所ではあります。

 

 西相知駅の駐輪場です。この駅でも駐輪している自転車は画像の1台のみであります。実際乗降人員も10名台との事でありますし、マイカー送迎も見られている事から、自転車利用も少ない事も伺わせております。

 

 

 この後、さらに南へと進んでまいります。そんな途中区間も、木々が生い茂る所を通過して行く事にもなります。

 

 

 こちらが、西相知駅から1.5キロ先にあります佐里駅であります。唐津市の駅はここまででありまして、以降は伊万里市の駅となります。

 

 この佐里駅は、昭和10年の開業時は佐里温泉駅と称されておりまして、後述の佐里温泉の最寄り駅として存在しておりました。けれども、翌昭和11年には松浦温泉駅、そしてその翌年の昭和12年に現在の佐里駅と再改称しまして現在に至っております。

 

 上の画像は、待合室「秋櫻館」です。ここにはトイレ付きの待合室が備えられておりまして、入った所には木製のベンチが見られている事がお分かりいただけます。また、以下画像のホームは片面ホームではありますが、こちらは4両分の有効長となっておりまして、温泉利用者向けを想定していたのかなとも思われるようではあります。

 

 (唐津方) 

 

 (伊万里方)

 

 この駅には、先述の「秋櫻館」とともに待合スペースも設けられておりまして、そのスペース内には時刻表も掲示されております。しかし、ご紹介しておりますように本数もわずか9往復しか運行されておりませんので、正直寂しい印象である事には間違いないでしょうか。

 

 (時刻表・運賃表)

 

 「秋櫻館」には「櫻」が入っておりますが、こちら佐里駅のホーム上・ホーム前の道路では桜が見られるそうでありまして、桜の木の姿も見られております。ちょうど撮影時にいらっしゃった駅近くの方曰く、桜シーズンには撮影に来られる方もいらっしゃるそうでありまして、今度はこの時期に来ないといかんなと思ったほどでした。

 

 そして、「佐里温泉駅」とも称されていた証として、佐里温泉も存在しておりました。しかし、その駅にいらっしゃった方曰く、韓国資本の方が「コロナ禍」前に購入されたそうですが、「コロナ禍」以降休止状態が続いております。私自身もかつて入浴にも出向いた事もありまして、ピラミッド型の浴場がよかっただけに、正直残念でならない所ではあります・・・。

 

 そんなこの駅は、年々利用者は減少に転じておりまして、現在の一日の乗り降り人員は20名満たないほどと聞きます。それほど過疎化も進んでいる事もありまして、利用者が少なくなっているというのも伺える所ではあります。

 

 

 次からご紹介します駅は、いずれも伊万里市の駅であります。まずは駒鳴駅をご紹介してまいります。

 

 佐里駅からは2.8キロ、時間に換算しますと約4分で着く事ができるこの駅は、昭和10年開業当時は駅ではなく停留場として扱われていた駅でありまして、その2年後に駅として昇格するに至っておりました。

 

 この駒鳴駅のホームです。このホームは全長は3両分しかなく、このうちの2両がかさ上げした上で使用可能となっております。ご紹介しておりますように、3両または6両編成の電車が運行しております同じ筑肥線の東側と比べますと、この西側は違った姿である事が伺えるのではないでしょうか。

 

 この駅には、後述のように駅舎と言うものはなく、小さな待合スペースが一つあるだけとなっております。こう言った所も、普段利用者が少ない駅ならではな所であると言えるのではないでしょうか。

 

 この駒鳴駅には、駅舎と言うものは存在していません。かつては存在していたようですが、そう言った面影は見られなくなっております。それでも、駅前には電話ボックスが設置しておりますし、

 

 井戸水を汲む事ができる手押しのポンプが置かれてあります(使用はできません)。尚、自動販売機といったものは駅前には置いておりません。

 

 また、駅前には数軒の民家もありますが、それ以外はその先の県道沿いに集中しておりまして、県道沿いの集落からは遠い位置に駅が存在するに至っております。

 

 さらに、駐輪場も設置しておりますが、利用する学生さん自体が少ない事もあり、駐車している自転車の数はなく手押し車が置かれる程度でありました。ちなみに、学生さんは親御さんから送迎する形となっているようですので、自転車利用も少ないのも致し方ない所でもありましょうか。

 

 この駐輪場にありますバス停です。かつては昭和タクシーによる乗り合いタクシーも運行されておりましたが、現在は地域コミュニティバスが運行されております。けれども、時刻は詳しく見られないほどとなっておりまして、実際に来ているのか疑問さえも思うほどの姿が見られているのが残念ではありました。

 

 そんなこの駅の道路沿いの所には、「絆の花壇」とも言われております花壇が置かれております。現在は冬季と言う事もありまして植えられている所が見られませんが、時期になりますとその下の画像のようにきれいな姿が見られるようになっております。

 

 (令和3年撮影)

 

 この駅は、過去には映画の撮影地として注目を得た事がありました。それが平成24年に公開されました、映画「僕達急行 A列車で行こう」のロケ地でもありまして、平成22年にこの駅で撮影が行われていた事がありました。この映画では、松山ケンイチさん(小町 圭役)・永山瑛太さん(小玉健太役)がこの駅に訪れるシーンがありましたが、その名残がボードが薄くはなりながらも現在も見る事ができております。

 

 (平成24年撮影)~この当時は詳しく見る事ができていました

イメージ 1

 

 また、令和3年にはこの映画の影響もあったのか、キハ66・67系気動車の最後の団体臨時列車が2番ユニットによって運行されておりました。この時は伊万里駅から山本駅へ向かう際に約10分間停車しておりましたが、次回ご紹介します、同じく停車しておりました肥前長野駅の時と同様今は亡きこの姿は今となれば貴重な姿ではないかとも思います。

 

 

 駒鳴駅の隣駅が、大川野駅であります。この駅は、「西線」の中心駅でもありますし、唯一の交換が行われる駅でもありますが、そんなこの駅では平成18年に改築されました二代目駅舎が存在しておりまして、コミュニティ施設であります「眉山ふるさと館」もこの駅舎に併設しております。

 

 (駅名標)

 

 画像は駅内であります。以下画像奥には、伊万里市大川地区の史料を集めました資料室も設けられておりますし、待合スペースも資料室の外側に設けられておりまして、そう言った所からも地元大川地区の方の憩いのスペースとしての姿もこの駅で見せている事が伺わせております。ちょうどこの時には地元の小学校の展覧会も実施されておりまして、皆さんよく描かれている事が伺わせておりました。

 

 ここからはホームでの撮影の模様をご紹介してまいります。この大川野駅の大きな特徴は、先述及びタイトルにもありますように「西線」で唯一の交換が行われる駅でもある事でもあります。かつては、山本~伊万里間がタブレット閉塞でもありましたので、前回ご紹介しました山本駅に加えまして、途中駅でもありますこの大川野駅にも駅員が存在しておりまして、通票の交換が行われる姿が見られていたほどでもありました。

 

 (アップ)

 

 このホームの各方向への撮影です。ホーム自体は4両分の長さでありましたし、現在も定期列車は2両編成までしか運行されておりませんので、奥の山本方には雑草が生い茂っておりました。やはり編成も短くなっておりましたので、ホームの先ほどそう言った姿に変わってしまっているのもわからなくはない姿でもあります。

 

 (伊万里方)

 

 また、保線施設もありまして、詰所も構内に置かれております。ただ、2本あります側線は画像のように草が生い茂っておりまして、普段から使用されていない事が伺わせておりました。やはり、マルチプルタイタンパー(「マルタイ」)が年に何度か来る程度でもありますので、このような姿になってしまっているのも仕方がない所でもあります。

 

 以下画像は、令和3年に撮影しておりました、「西線」唯一でもあります交換シーンの姿であります。今回は日中の時間帯でしたので、運行する姿を収める事ができませんでしたので、過去画像でご了承いただきたいと思います。この時の列車は、いずれもキハ125形気動車1両編成による運行でもありましたが、現在は「ロマンシングサガ」のラッピングが見られるキハ125形気動車ですので、まっさらな姿が逆に懐かしく思う所ではあります。

 

 (唐津行きが1番ホーム入線)~キハ125-3

 

 (伊万里行きが2番ホームに入線)~キハ125-7

 

 (2番ホームから伊万里行きが発車)

 

 

 今回は、中編としまして西相知駅から大川野駅までをご紹介しましたが、西相知駅のようにかつては炭鉱で賑わった所に設けられた駅、佐里駅のようにかつて温泉で賑わっていた駅も、今や一日の乗り降りも10人台にまで減っておりますので、それだけ過疎化も進んでおります。やはり、「西線」の最も多い途中駅であります大川野駅が存在していても、最高2両編成のワンマン列車で事足りる事もわからなくはない所でもありますが・・・。最終回となります次回後編では、残りの伊万里駅まで(途中肥前長野・桃川・金石原・上伊万里各駅)の姿をご紹介する予定ですので、次回最終回もご覧いただきたいと思います。