NO.2957 最高2両編成のワンマン列車によります運行路線、筑肥線(西線)全11駅探訪(前編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

コウさんのコウ通大百科 PART3

在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 当ブログでもこれまでもご紹介しておりますように、今年令和5年は、筑肥線が開業して100年と言う節目の年でもありました。

 

 筑肥線は、今から100年前の大正12年(1923年)に前身の北九州鉄道によりまして福吉駅~浜崎駅間が開業、以降東は博多駅まで、西は伊万里駅まで線路を延ばしまして、昭和10年に全線開通に至っておりまして、当時は博多~東唐津(旧駅)間、そして東唐津駅で向きを変えまして、唐津線の山本駅を経まして、伊万里駅まで線路を延ばすに至っておりました。

 

 以下画像が、昭和53年の筑肥線の時刻(下り)でありますが、画像のように東唐津駅(旧駅)を境にしまして、運行されている列車が見られている事がお分かりいただけます。それでも、博多~東唐津~伊万里間の列車や、かつて博多~東唐津~伊万里~平戸口~佐世保~諫早~長崎間を運行されておりました急行「平戸」をはじめとした筑肥線~松浦線(現・松浦鉄道西九州線)を直通する列車も運行されておりまして、系統自体も様々な姿が見られていた事がお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 (詳しくご覧になりたい方はクリックしてご覧ください)

 

 しかし、大きく変化するようになりましたのが、今から40年前の昭和58年、姪浜~唐津・西唐津間が電化開業(唐津~西唐津間は唐津線です)しておりまして、これによりまして姪浜~博多間、虹ノ松原~東唐津~山本間が廃止となりまして、そういう事から現在のように唐津~姪浜間、山本~伊万里間と分離した形となっておりまして、それぞれ東線・西線とも称されるようになっております。以下画像は、昭和58年の唐津~伊万里間の時刻でありますが、今年1編成で復活しましたスカイブルー塗装の103系1500番台電車が運行されるようになりました東線と対照的な姿が見られているのがわかります。

 

 現在は、いずれも普通列車で、上の画像の唐津車両センターのキハ125形気動車、もしくはキハ47形気動車によりまして運行されておりますが、東線とともに幹線として扱われながらも、本数は西唐津・唐津~伊万里間を9往復で運行されておりまして、利用者もそう多くはないのが現状でもありまして、そう言った事から全列車ワンマン運行にも至っております。

 

 また、この区間では将来廃止か?とも言われているなど、利用者がそう多くはない事からもそういった声も聞かれております。確かに輸送密度も多くはないと言う所からもよりそう伺わせておりますが、それでも利用者はいらっしゃる訳ではありますので、そこまで至らない事を願う所ではあります。

 

 

 ここまで、筑肥線(西線)に関しまして簡単にご紹介しましたが、今回から3回に分けまして、西線の全11駅に関しまして、皆様にご紹介してまいりますが、今回は山本・(本牟田部)・肥前久保の各駅をご紹介してまいります。

 

 

 まずご紹介しますのは、唐津線の駅でもあります山本駅であります。先述のように、かつて筑肥線はこの山本駅から間2駅を経まして東唐津駅(旧駅)へと続いておりましたが、現在はそういった姿も見られなくなっております。

 

 画像が、山本駅のホームであります。現在は2面3線のホーム配置となっておりまして、基本的に1・2番ホームが唐津線、3番ホームが筑肥線のホームとなっております。尚、昭和58年改正前は隣の現在は住宅地となっている所にさらに4・5番ホームもこの駅では存在しておりまして、その2ホームが基本的に筑肥線のホームとして存在しておりましたし、複数の側線も存在しておりました。

 

 (手前から1・2・3番ホーム)

 

 (佐賀・伊万里方)

 

 こちらが、筑肥線のホームとなっております3番ホームであります。以前は唐津線の出発信号機も備えられておりましたこのホームでありますが、現在は筑肥線のみの出発信号機が備えられるのみとなっております。かつては、この駅から大川野駅までの間でタブレット閉塞となっていた事から、通票を扱う駅員も見られておりましたが、現在は無人駅として至っております。

 

 (伊万里方)

 

 

 画像は、山本駅より先にあります古賀踏切で収めたものであります。以下画像が山本駅方向、そしてその下の画像が筑肥線・唐津線との分離地点でありますが、筑肥線の列車の中には基本的に唐津線ホームの2番ホームから発車する列車も存在しますので、このポイントも重要なポイントである事が言えるのではないかと思います。尚、このポイントまでは筑肥線伊万里方面・唐津線佐賀方面の列車とも徐行で進みまして、ポイントを過ぎますと馬力をあげながら進む事にもなります。

 

 (山本駅方向)

 

 (伊万里・佐賀方)~ちなみに右端の雑草が生い茂っている部分が「岸嶽線」跡になります

 

 

 こちらは、相知町の木細工踏切であります。一見複線区間のような姿が見られておりますが、国道側の線路が筑肥線の線路、山側の線路が唐津線の線路と、山本駅から約4キロ並走する区間でもあります。

 

 (奥が後述の本牟田部駅となります)

 

 

 画像が、唐津線の本牟田部駅であります。1面1線のホーム配置からわかりますように、筑肥線には駅が設けられていないのがお分かりいただけます。しかし、昭和10年の筑肥線全線開通時には筑肥線側に駅が設けられておりましたが、昭和16年に廃止になった経緯がありますし、その後唐津線側には昭和35年に設けられております。それにしても、わざわざ山本駅まで行かずにホームを設ければ?とも思う所ではありますが、利用者が少ない事もありまして、現在も唐津線のみのホームとなっております。

 

 (平成25年撮影、「マヤ検」は本牟田部駅を通過)

 

 

 約4キロ並走した後の唐津線との分岐地点です。筑肥線に関しましては、この分岐地点より坂を上りまして唐津線とクロスしまして肥前久保駅へと向かう事になります。

 

 

 分岐地点から約1キロ進んだ所にあります肥前久保駅です。この駅は無人駅ではありますが、画像のように待合室を兼ねた駅舎が設けられておりまして、この名称も「さくら館」とも呼ばれております。

 

 ちなみに、この駅の近くにありますのが唐津線久保川(松浦川)橋梁であります。ここは画像のようにトラス橋が設けられておりまして、通過の際にもトラス橋ならではの音が出ておりまして、ここから唐津線の列車を収める方もいらっしゃるようでもあります。

 

 さらに、上の画像の撮影地点からは肥前久保駅への近道(歩行者用)も設けられております。ただ、利用者も恐らくはそんなにいらっしゃらないのではないかとは思われますが、それでもこの存在は利用者にとりましてはありがたい存在かなとも思う所ではあります。

 

 

 入口からホームへとやってまいりました。筑肥線(西線)のホームは、一部の駅を除きまして基本的に3両分の長さしかホームが設けられておらず、普段が最高2両しか入らないホームでもありますので、その分かさ上げしてはいるものの、それ以外はかさ上げしていない姿も見られております。

 

 ここには、「無事カエル」と言ったカエルをかたどったものが置かれております。これは元々灰皿として使用されていたもののようですが、このような形で残されているのもいいのかもしれません。

 

 ご紹介しておりますように、この駅も利用者は少なめのようであります。その証としまして駐車している自転車もわずか2台と寂しい姿が見られております。それでも、この広さからも以前はまだ多くの方がいらっしゃったのではないかとは思われますが、現状を考えますと残念にも思う所ではあります・・・。

 

 

 今回は、筑肥線(西線)の駅の姿の前編として、これまでの現状、そして山本~(本牟田部)~肥前久保駅までをご紹介しましたが、昭和53年の時刻表を見ましても本数的には少なかった事からあまり多くの利用者はなかったようではあります。それでも、さらに東西に分離しまして40年経ちまして、より格差が見られている印象である事には間違いないようではありますが、それも過疎化が見られているなど問題を抱えている部分もある事も伺えるようではあります。次回中編では、さらに以下画像の西相知駅より肥前長野駅までをご紹介する予定ですので、次回もご覧になっていただきたいと思います。