NO.2675 九州の鉄道の歴史がわかる場所です、九州鉄道記念館訪問記(前編・屋内展示車両編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 北九州市門司区のJR門司港駅と言いますと、九州の鉄道の起点の駅ともされまして、実際に門司港駅構内には0マイルのモニュメントまで設けられているなど、九州の鉄道起点の駅としての姿を見せております。
 
 この門司港駅は、平成31年3月にリニューアルオープンしておりまして、国指定の重要文化財にも指定されている駅でもあります。ただ、近年は白アリの被害も見られていた事もありまして、平成24年から6年半かけまして大修理を行いまして、現在は上の画像1の姿に改まっております。
 
 それ以外にも、ホーム部分も鉄骨の屋根などが時代を感じさせる姿が見られておりまして、画像2の改札からの部分でそう言った姿を見せております。かつては関門連絡船も発着していた事もありまして、九州~本州間のアクセスとしての姿も見られておりましたので、九州の玄関口としての姿も見せていた事も伺わせているのがいい所でしょうか。
 
 
 そんな門司港駅の隣には、平成15年に開館しました、「九州鉄道記念館」が設けられておりまして、以下画像にあります旧九州鉄道本社を本館として様々な展示物が設けられておりますし、門司港駅に隣接します小倉総合車両センター門司港派出(門司港運転区)側の所には後述のように車両展示スペースが設けられておりまして、大変貴重な車両たちがこのこの九州鉄道記念館内に保存されておりまして、今年で20年目を迎えます。
 
 尚、九州鉄道記念館本館に関しましても、平成19年に近代化産業遺産に認定されましたし、平成26年には国の登録有形文化財にも登録されておりまして、車両とともにこの九州鉄道記念館本館自体も大変貴重な建物ともなっております。
 
 
 さて、今回と次回の2回でその九州鉄道記念館に訪問しました際の話題をご紹介してまいりますが、今回は屋外の車両展示スペースにおります車両を皆様にご紹介してまいります。尚、内容の都合上、一部以前訪問時に収めました画像も掲載させていただきます。
 
 
 まずご紹介しますのは、上の画像・最後の画像にもありますように、この九州鉄道記念館の正面には、9600形蒸気機関車59634号機が出迎えておりますのでご紹介します。
 
 この59634号機は、大正10年(1921年)川崎造船所(現在の川崎重工)で製造された蒸気機関車でありまして、この九州鉄道記念館に保存されております59634号機は、800両以上製造された中で残されている機関車でもありまして、戦前・戦中・戦後と九州各地で活躍しました後、昭和40年代にはなぜか東北地方の山形地区へと飛ばされまして、その後九州へ帰ってきました後(最終配置・後藤寺機関区)に廃車となっております。
 
 その後、福岡県内で静態保存されてましたが、この九州鉄道記念館開設を機に、この地に安住の地を得ておりまして、ご紹介しておりますように正面の一番前の部分におきまして保存されております。
 

 その後ろにおりますのが、同じく蒸気機関車でもありますC59形蒸気機関車であります、C591号機であります。
 
 (今回訪問時は「あさかぜ」のヘッドマークが掲出してありました)
 
 この機関車は、ご覧の通りトップナンバー車でありますが、この機関車は、昭和16年汽車会社(現・川崎重工(吸収合併による))製の蒸気機関車でありまして、新製配置が名古屋機関区、そして姫路機関区→門司港機関区とたどりまして、最終配置は熊本機関区でありました。
 
 現役時代は、特急を中心に運行されておりまして、それを表すように、前面のナンバープレートは青色のプレートとなっているのが特徴でありまして、そう言った所から変わった所が見られております。
 
 (平成30年撮影)
 
 尚、廃車後は小倉工場(旧称)に保存されまして、そして九州鉄道記念館開業を機にこの地に移ってきておりました。また、この機関車は、小倉工場保存時に準鉄道記念物に指定されておりまして、そして引き続きこの安住の地で大切に保存されております。ちなみに、以下画像のプレートでは「港」と表示されておりますが、これはかつて戦前から昭和50年代まで存在しておりました門司港機関区を意味しておりました。
 
 
 次にご紹介します機関車は、EF10形電気機関車であります、EF10 35号機をご紹介します。
 
 この機関車は、戦時中に当たります昭和16年に製造されました機関車でありまして、東京芝浦電気(現・東芝)と汽車会社(現・川崎重工(吸収合併による))の共同製作で製作された機関車であります。したがって、上の画像・以下画像のように銘版が画像のように2つ付いている事がわかりますが、この機関車は関門トンネル区間に当たります、山陽線の門司~下関間で使用されておりました。
 
 (東京芝浦電気(現・東芝)銘板)
 
 (汽車会社銘板)

 実はこの機関車は、直流電気機関車でありまして、現在九州内では直流には筑肥線を除き縁がないようにも思いますが、関門トンネル区間が直流区間である事から、この機関車も直流電気機関車での導入となっておりました。しかも、当時は現在みたいに門司駅より先小倉方面は電化されておりませんでしたので、この直流電気機関車のみで賄っておりました。

 しかし、関門トンネル区間は、やはり海底トンネルと言う特殊な条件が問題となりまして、塩害と呼ばれる障害も発生しておりました。この塩害では、車体や台車、パンタグラフ、さらには車両の機器類などにも海水が付着してしまい、トラブルが多く出ていた事から、車体はステンレスが巻かれまして、その上に画像のようなぶどう色の塗装が塗られておりました。尚、この機関区の機関区表記は「里」であります。これは旧大里機関区を表していて、現在の門司機関区の前身でもあります。
 
 この35号機は、昭和36年の門司港~久留米間の交流電化に伴いまして、主役をEF30形電気機関車に譲りまして、活躍の場を東海道・山陽線に移動しまして、昭和54年に廃車となります。そして、北九州市門司区大里の公園に里帰りしまして、保存されておりましたが、九州鉄道記念館開館に伴い移動し、現在に至っております。
 
 
 次は、ED72形電気機関車のトップナンバーであります、ED72 1号機をご紹介します。
 
この機関車は、昭和36年に東京芝浦電気(現・東芝)で製造されました機関車でありまして、この機関車の特徴は、前面が「く」の字形状の車体、そしてフロント上部のヘッドライトは2灯式であるのがおわかりいただけます。実は、この1号機は試作機でありまして、量産車の3号機以降とは若干違っております。
 
 このED72形電気機関車は、九州では最初の交流電化になります、門司港~久留米間のために製造されました機関車でありました。しかし、車重などの関係もありまして、電化が進んだ後も北部九州内(主に鹿児島線熊本以北・日豊線大分以北)でしか運行されず、後に導入されたED76形電気機関車に主役の座を譲りまして、昭和50年代には全廃されてしまいました。
 
 尚、この1号機は九州鉄道記念館に近い、門司区内の公園に保存されておりましたが、この九州鉄道記念館開設を機に移設されておりまして、現在に至っております。
 
 
 ここまで機関車を紹介しましたが、続きましてはキハ07形気動車であります、キハ07 41をご紹介します。
 
 (平成30年撮影)
 
 (今回撮影)
 
 このキハ07 41号は、昭和12年に日本車両において新製されまして、当時の車番はキハ42000形気動車を名乗っておりましたので、42055号でありました。当初はガソリン動車であるとともに、手動変速によります機械式による運転となっておりました。
 
 戦後であります昭和27年には、この形式もディーゼル動車化されまして、形式もキハ42500形気動車を名乗りまして、この車も42540号と改番されまして旧高岡機関区所属として氷見線・城端線などで運行されておりました。その高岡所属の間に、形式もキハ07形気動車に変わりまして、42540号もキハ07 41を名乗るようになります。
 
 その後、42(←42541)・43(←42542)号とともに九州に移りまして、旧豊後森機関区に転属の上、以下のサボにもありますように宮原線において使用されておりましたが、残念ながら昭和44年に廃車、以来昭和61年まで豊後森機関庫に、平成15年まで旧大分運転所にて保存されておりましたが、旧小倉工場(現・小倉総合車両センター)で修復の上、九州鉄道記念館に保存されまして現在に至っております。尚、この車は3月に国指定重要文化財に指定されておりまして、より貴重な車両である事を伺わせております。
 
 今回車内に入る機会を得る事ができましたので車内に入ってみましたが、木製の座席幅が狭く、今の気動車とはだいぶ違う印象でもあります。また運転席も、見た目コンパクトで、やはり広さもそれほどないため、太目の方には少々辛かったのでしょうか。また網棚も、まさに「網」であるのが印象的です。これが昔は当たり前だったと思うと、本当に信じられないくらいでもありましょうか。
 
 (車内)~シート幅も狭めです
 
 (運転台)~狭めの運転台です
 
 (網棚)~まさに「網」です・・・
 
 
 次は電車2種をご紹介します。いずれも特急として活躍していた電車でありましたが、まずは485系電車であります、クハ481-603をご紹介します。
 
 
 このクハ481-603は、昭和44年日本車両製でありまして、新製は仙台運転所(現・仙台車両センター)でありました。
 
 実はこの車は、当時はグリーン車(クロ481-5)でありまして、その証としましてに窓の形状・数が通常の車両とは異なっております。これは座席おきに窓が設置されていたためでありまして、個別に車窓を味わうようになっていた事が伺えております。

 この車は、後述の画像にありますように普通車に改造されておりますが、この改造は九州に転属するようになった事から改造を施しておりまして、画像のヘッドマークにあります「にちりん」の他、それ以前は「みどり」でも運行されておりました。
 
 ここでは以前訪問時に収めておりました車内もご紹介しますが、車内は座席も今みたいなシート形状ではなく、青色のリクライニングシートとなっておりまして、当時の国鉄型の印象が多く出ていると言ってもいいのではないでしょうか。尚、先述のように窓の形状が異なっておりますので、座席間隔と窓割とは全く一致していないのも特徴でもありますので、したがって窓と窓の間の席に座られた方は、車窓が見れなくて残念ではなかったのではないかとも思います。
 
 (平成30年撮影)
 
 この車両は、全体がRERED EXPRESS)化される中で、最後まで国鉄色であったのが特徴でした。廃車登録後は小倉工場に保存されておりましたが、車両のさびがひどく、解体かとも思っておりましたが、その後保存されるようになったのは良かったのではないかと思っております。
 
 
 次いで、583系電車の先頭車でありますクハネ581-8であります。
 
 このクハネ581-8は、昭和42年に新製された車両でありまして、新製は南福岡電車区(現・南福岡車両区)でありました。当時は画像のように寝台特急「月光」として博多~新大阪間で、昼行特急「みどり(現在とは異なります)として大分~新大阪間で運行されていて、まさに昼行・夜行特急として運行されておりました。

 その後は、「なは」・「有明」などにも使用され、昼夜行交互に使用されておりました。尚、この先頭形状は、先頭車がボンネットでありました485系電車にも浸透しまして、まさに特急車としての印象を得るようになっていきました。やはり何と言っても、先頭が貫通扉であるのが特徴でありましたが、こちら九州方面では結局使わなかったのは残念であったように思います。
 
 こちらも平成30年に収めておりました車内をご紹介しますが、車内は以下の画像のようによく見ますと、ドア際にはなぜかロングシートが、さらにはつり革が付いてあったりと、クハネ581形にしては変であったように思いますが、実はこの車両は近郊型改造を施してありまして、車番はクハ715-1と言う車番でもありました。
 
 (平成30年撮影)
 
 それでも、寝台を復元してあり、私自身も寝てみましたが、こんな感じになっていたんだな、そしてこの電車の高さが高いのがわかりますが、3段寝台であったと言う印象が見て取れておりました。
 
 (寝台設定時)
 
 (読書灯)
 
 (座席利用時)
 
 この電車は583系電車として保存されている訳でありますが、私としましては715系電車の印象が濃く、学生の頃はよく利用しておりました。そんなこの車両の残念な特徴としましては、折戸でドア幅が狭かった事、それによりラッシュ時は遅れがしばしば起きていた事、さらには定員が少なかった事から、混雑には不向きであったのがいけなかったように思います。
 
 それでも、特急車改造と言うのが自慢できる所でありましたので、先述以外ではよかったように思います。また、715系電車化後も残されておりました画像のブラインドを見ますと、やはり寝台車であったと言う印象が出ておりますし、よく学生の頃にはこのブラインドが付いた窓に座ったりもしておりましたので大変懐かしく感じました。
 
 この車両は、保存前は画像のように小倉工場に留置しておりました。見た時は解体されるのではないかと思っておりましたが、583系電車としてに復元され保存されるに至った事はありがたかったでしょうか。
 
 
 さらに、「ブルートレイン」とも呼ばれておりました車両であります、14系客車でありますスハネフ14 11をご紹介します。
 
 このスハネフ14 11は、昭和46年に日本車両で製造されたものでありまして、新製配置は旧品川客車区でありました。当初は、「さくら」・「みずほ」・「あさかぜ」で使用されておりましたが、その後は「さくら」・「みずほ」で使用されておりました。
 
 昭和61年、JR化前に熊本運転所に転属されまして、引き続き「さくら」・「みずほ」で運行されておりましたが、平成6年に「みずほ」が廃止されまして、それからは旧長崎運転所に転属しまして、引き続き「さくら」として東京~長崎・佐世保間で運行されておりましたが、平成11年に佐世保「さくら」が廃止されまして、「はやぶさ」とともに運行されるようになりまして熊本運転所(→熊本車両センター)に転属されましたが、平成17年に「さくら」廃止後は、「富士」・「はやぶさ」として東京~熊本・大分間で運行されておりましたが、平成21年に廃止となりまして、以来保留車として熊本車両センター内に留置されておりました。
 
 そして、平成25年に小倉総合車両センターで整備後にこの九州鉄道記念館に保存されまして、現在に至っておりますが、車内は以下画像のようにモケットを交換したままで保存されておりまして、平成21年当時からの姿を残しております。
 
 (平成30年撮影)
 
 (下段アップ)
 
 
 そして最後にご紹介します車両は、セラ1239形貨車であります。
 
 (平成21年撮影)
 
 この貨車は、見ての通り石炭専用の貨車でありまして、筑豊地区で使用されたものであります。

 そもそも、その筑豊地区は、数多くの大手から中小までの炭鉱が各地に点在しておりまして、それによります貨物列車が、筑豊線を中心に、田川線・伊田線(いずれも現・平成筑豊鉄道)や、宮田線・香月線・幸袋線などの廃止路線でも使用されておりました。

 また、石炭車は50両もの長大編成で編成された事もかつてはあったとも言いますので、炭鉱自体は存在しない事もありまして、今では考えられない筑豊地区でありますが、かつてはそれほど盛んであった事がこの貨車の存在でわかるのではないかと思います。
 

 今回は、前編として九州鉄道記念館の屋内展示車両をご紹介しましたが、こうして九州鉄道記念館の保存されております車両をご紹介しましたが、これら車両とも九州とは関わりがある訳でありますし、それとともに本州でも活躍した履歴もある車もありますので、どれだけ貢献していたかが伺えております。ご覧の皆様も行く機会があります方はご覧これらになってみてはいかがかと思いますし、次回は前面のみ保存されている車両や本館内の保存されている姿もご紹介しますので、より気になる方は引き続きご覧になってみてはいかがかとも思います。