番外 平成24年まで存在した、島鉄バス「島原号」専用車であった、元日本交通三菱エアロクイーン紹介 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)


 
 島原鉄道(島鉄バス)の福岡~島原線「島原号」は、運行本数が共同運行の西鉄バスと合わせましても3往復という事もありまして、専用車は1台使用・1台予備の2台しか在籍しておらず、多客時には専用車2台揃って稼働する事もある路線でもあります。
 
 その専用車両も、一時期は後述のような移籍車両が使用される事もありましたが、現在は2台とも自社発注車による運行となっておりまして、上の画像にありますように、平成29年には画像1のいすゞガーラ(1760・QTG-RU1ASCJ)、平成24年に画像2の日野セレガ(3210・QRG-RU1ASCA)、との2台体制での運行となっておりまして、いすゞガーラ1760には諫早市にありますフリーマーケット店「ACB」のラッピングが施されておりますし、日野セレガ3210に関しましては「島原半島世界ジオパーク」のラッピングが施されている事もありまして、「ジオパーク号」と呼ばれます愛称が付けられております。
 
 また、いずれの車も稼働できない場合は、画像のようにトイレが設置されておりません貸切車両が使用される場合もあります。実際に以下画像がその姿でありますが、この時にはその下画像の続行にも使用される事もあります三菱エアロバス(6020・KC-MS829P)が代走しておりまして、これら2台の専用車が稼働できない場合にはこのような貸切車両が使用される場合も出てくる時がある事が伺わせております。
 
 (令和元年撮影)
 
 (続行時(令和2年1月)撮影)~続行(2号車)と言う事で「」の札が見えるのがわかります
 
 
 所で、ご覧の皆様の中にはかつて「島原号」に使用されておりまして、その後長崎空港線の空港特急に転用されておりました日野セレガR(4121・KL-RU4FSEA)は?と思われた方もいらっしゃるのではないかと思いますが、この車は残念ながら既に平成31年3月末に廃車となっておりまして、残念ながらその姿はもう見る事はできません。この車も、画像のように末期は「ACB」のラッピングが施されておりましたが、この姿も過去のものになっております。
 
 
 また、島原鉄道は平成30年より長崎自動車(長崎バス)の子会社となっております。そう言った事から、長崎バスより路線車両が移籍導入されたり、貸切車両も長崎バス観光のような塗装になっている車両も見られておりますし、社番に関しましても長崎バスグループの社番に付与されるなどの姿も見られております。したがって、今回は社番でご紹介しております事をご了承いただきたいと思います。
 
 
 尚、ご紹介しております「島原号」は、令和2年3月の改正で島原側の始終着地でありました島鉄バスターミナルの閉鎖に伴いまして、始終着地が島原港に変わっております。本当に面影あるターミナルが閉鎖した事は残念ではありますが、時を思うと致し方ない所でもありましょうか。
 
 (平成30年撮影、島鉄バスターミナル)~隣のイオンも閉店しています
 
 (同、島原港)
 
 
 さて、今回ご紹介しますのは、所有時は上の画像の日野セレガR4121とともに存在しておりまして、「ジオパーク号」3210導入によりまして廃車となっております三菱エアロクィーンMV(長崎200か・477、U-MS729S改)を皆様にご紹介してまいります。
 
 
 この車は、平成19年に日本交通より移籍しました車でありまして、年式はU-規制である事からおそらく平成3年式であったようでした。この車の導入は、その前に同じく日本交通からの移籍車でありました以下画像の三菱エアロクィーンMV(長崎200か・273、P-MS729S~リアのみ)がこの年長崎県東彼杵町の長崎自動車道で車両火災を起こしまして廃車となった事から、その代替として導入されましたのがこの車でもありました。
 
 
 導入後は、4列シート・中間トイレ付の装備となっておりましたが、先代の三菱エアロクィーンMVと同様、行先自体もサボ式とシンプルな装備となっていたのが特徴でありまして、貸切からの転用車であった事もありまして、方向幕式とは違った姿も見られておりました。
 
 
 この車にも、画像のように先代と同様ラッピングが施されておりましたが、側面のラッピングは画像のように大きく「雲仙普賢岳」こと「平成新山」が大きく描かれておりました。このラッピングを見ましても、溶岩によって形成されました新山でありましたので、そう言った姿がきれいに見られていたのが特徴でありました。ただ、公式側には以下画像にありますように日本交通であった名残を残します小窓が見られておりましたので、頂上部分を詳しく見られなかったのは残念ではあったように思います。
 
 (公式側)
 
 (非公式側)~頂上部分が詳しく見られます
 
 
 一方、リア面にも島原城が見られておりまして、まさに島原を宣伝するにはもってこいと言う姿であった事も伺えておりました。私も、上の画像の先代よりも大きく描かれておりますので、その分宣伝効果も大きかったのではないかと思っております。
 
 
 この車は、平成24年までの5年間にわたりまして島鉄バスで活躍しておりました。しかし、経年であった事もありまして、この年日野セレガ「ジオパーク号」の導入によりまして運用離脱・廃車となっております。
 
 
 この車にとりましては、先代が不慮の火災事故によりまして廃車となってしまった事から、まさかの島鉄移籍となってしまった訳でもあった事もありまして、当初はまさに緊急登板と言う印象が高かったのではないでしょうか。それでも、それからは福岡~島原間を連日運行するに至った訳ですので、この車の第2の車生での活躍ぶりも良かったのではないかと思っております。現在はこの車自体存在しておりませんが、冒頭ご紹介しました少数存在の島鉄バス「島原号」専用車におきましてはラッピングを施している姿が引き続き見られておりますので、これからもそれぞれ宣伝しつつ運行していただければと思う所であります。